実力を測る。その三

 勇者なき聖剣を護る村、リュラクシャ。

 独自の風習で男性がいない……というよりは男性は村の外で支援を行っているとされている変わった村だが、その呼び名の通り、そこに住む者達は聖剣の護り手としての能力を持っている。

 とりわけ剣術家としては一流揃い。老いも若きも一般教養の認識で私達騎士団の水準を超える技術を身につけている。

 こうした超人集団を相手に模擬訓練を行わせてもらえるのは、女性だけで構築されているリリノール騎士団の数少ない利点だろう。

 近年不作が続き、各国の重鎮が兵力の増強に踏み出せない現状。数がダメならば質を上げるべきだと言い出した我らが国王陛下。それだけならひんしゅくを買うだけなのだが、こうして伝説の地とのツテまで用意してくれたのだから、私達はこの機会を精一杯に活かすほか無い。こんな秘境とのツテって一体どんなだ。


「マ、マリュア隊長……時間です……」

「よ、よし……全員休憩だ。しっかりと体力の回復に専念……言うまでもないな」


 部下達の中に立っている者はいない。訓練時間の区切りを告げた部下も床に大の字で倒れ込んでいる。

 無理もない。この村の者達は皆達人クラスの剣豪揃い。そんな相手に模擬戦闘を続けていれば、心身ともに消耗するのは当然のことなのだ。

 それも年端も行かぬ少女や、面倒見の良いお婆ちゃんのような外見の方々に、一方的にのされ続けていては、騎士団の誇りなどどうでも良くなっていることだろう。

 リリノール騎士団はその立場上、奇異な目で見られることも少なくない。女性が騎士として戦うだけでも希少なのに、男性を意図的に排除した形だ。

 周りからの圧力に負けないようにと、騎士としての在り方に固執するものもそう少なくはない。だが騎士として生きることと、騎士に固執して生きることは別だ。


「あら、皆良い顔になっているわね」

「あれだけがむしゃらに鍛錬させられたのだ。体裁に拘りを見せる余裕などとっくにないだろう。私も隊長としての威厳がボロボロだ」

「そう?マリュアは一人だけ、まだ立っているじゃない。ちゃんと周りよりも一歩先にいるわよ」

「はは……。まあ君には手加減をしてもらったからね。イミュリエール」


 イミュリエール=トゥルスター、この村最強の戦士であり、当代の聖剣の乙女。

 私と年の差はなく、外見的な差はそれほどない。だが外見以外は差がありすぎて、比較するのも馬鹿らしい。


「わりと本気でやったんだけど?」

「リリノール騎士団の剣技で、だろ……」


 イミュリエールは今日初めて私達と出会い、その剣技を目にした。そして私との手合わせの際には私達の誰よりもリリノール騎士団の剣技を極めていた。

 私にこの剣技を叩き込んだ先代の騎士隊長だって、ここまで極めていたかどうか……次元が違うとしか言いようがない。


「良い剣技よね。腕力がなくても、しっかりと戦えるように工夫されているし。でもマリュアはそこそこ脳筋なんだから、もう少し力を込める技とか覚えた方が良いわよ?」

「脳筋って……。しかし少し見ただけで、見せてもいない技を使えるのはどういう手品だ?」

「そりゃあ、そういう訓練も受けているもの。自分達の剣術を学んでハイおしまい、ってやり方だと、搦め手を多用する相手と戦う時に良いようにやられちゃうじゃない。相手の戦闘技術を把握した上で、自らの最適解を相手に叩き込む。それが私の戦い方だもの」


 その言葉に少しだけ背筋に冷たい汗が流れた。

 イミュリエールは私達の剣技を完璧に模倣してみせた。それは少し見ただけで私達の戦い方を完全に理解して見せたということ。

 その上で遥かに秀でた剣術を、効果的に振るってくる……。この先私が自らの剣技を極めたとして、イミュリエールに勝てる光景が思い浮かばない。彼女が人であることを女神ウイラスに感謝しなくてはならないな。


「聖剣の乙女、その実力を知ることができたのが今日一番の収穫だな」

「それは良かった。私もマリュア達みたいな女性だけで構成された騎士団は初めて見るから、久々に新鮮な気持ちになれたわ。でもどうしてそういう騎士団ができたのかしら?」

「入ってくる者の理由は様々だが、創設された理由はシンプルだ。風習に固執した女人禁制の騎士団があるからだな。そのことに少なからずのメリットが存在する以上、その逆にも需要があることに気づいた者がいた」

「男を近づけたくない王族や貴族の娘の護衛や鍛錬相手、こういった男性が入ることを許されない場所への派兵、メリットなんていくらでもあるわよね」

「縛りを設けることには何事においてもメリット、デメリットが生じる。メリットを知って活かし、デメリットを最小限に抑える工夫をすれば、それは秀でた個性になりうる。大切なのは、その縛りの必要性を理解し、絶対でないことを自覚することだ」


 などと『こう言っておけば角が立たないわよ』と教わった先人達のアドバイスを自分の言葉のように語る。思うところなんて生きていればいくらでもあるのだ、適当な場所で折り合いをつけることも処世術の一つである。


「剣技一つにもそういった歴史が含まれているのよね。貴方達を見ていると、先人達の努力が見えてきて楽しいわ」

「それを初見で見透かされたという話は、土産話にはできないがな。というか、ここの村の住人は全員そんな技術を磨いているのか?」

「『見』を奥義まで昇華させているのは一部だけよ。相手を見ることも大事だけど、そもそも自分の剣技が未熟じゃ意味ないもの」

「奥義……か。聖剣の乙女の奥義としてなら、模倣されてもまだショックは少なくて済むな」


 本来剣技は何度も同じ技を繰り返し体に覚えさせ、心技体を持って完成させるものだ。

 相手の剣技を見て、自分の技として振るうことができる。それは剣の道を進むものからすれば、間違いなく奥義として認識される技術だろう。


「私は聖剣の乙女として、この村の剣技を極めることを最優先に育てられたから、そこまで『見』は得意じゃないのよね」

「そこまで得意じゃなくてこれなのか……。逆に得意な者はどんなんだ」

「剣技はそこまでだけど、私の弟とか凄く『見』の才能があるわよ。マリュアが普段どんな鍛錬をしてきたのとか、どういう戦場を潜り抜けてきたのかとか、なんなら貴方が今日の朝食に何を食べたかさえも見極められると思うわ」

「なにそれ怖い。……って、君には弟がいるのか?」


 イミュリエールはもう成人女性だ。その弟ともなれば、十代以下ということはないだろう。この村で誕生した男性は、成長期になる前には村の外に送り出されるという話を聞かされている。

 彼女が認めるほどの才能のある弟ならば、その名が外で知られていても不思議ではないのだが……。


「ええ!ちょっとシャイで鍛錬に対して真摯に向き合い過ぎているけど、とっても素直で優しくて可愛い子なの!村を出た後も、私のことを気にかけてくれる内容の手紙を欠かさず送ってくれるし!」

「そ、そうか……。姉思いの弟なのだな」


 弟の話題になった途端、イミュリエールの声にとても張りが出てきた。これはアレだ。私達を支援してくれている貴族が、自分の家宝とかを自慢気に話す時のテンションに近い。


「そうなの!まぁちょっと暫くの間、油断できない人と一緒にいたみたいだけど……。今はパフィードで一人、冒険者をやっているって手紙に書いてあったわ!」

「グランセルのパフィードか。友好国の主要都市で冒険者をやっているのならば、その名声くらい届いていそうではあるが……」

「あの子出世欲とか、目立つこととか嫌うのよね。ほら、私が幼い頃から聖剣の乙女として鍛え上げられていたから」


 自分の姉が村の代表として周囲の注目を集めている。その上で目立つことを嫌うのは、姉の苦労を知っているからなのか、それともどうあがいても目立てないことを悟って捻くれてしまったのか……どちらにせよ大人しい性格に育っているのだろう。

 だが近くの国に実力があるとされる聖剣の乙女の弟がいるというのは朗報だ。鍛錬のためとはいえ、秘境であるリュラクシャの村までの遠征は時間も費用も馬鹿にならないからな。


「そうなのか。今度機会があれば、うちの隊の鍛錬に協力――」

「あ、弟に手を出したら殺すから」

「えっ」

「マリュアは大好きだし、いいお友達になれると本気で思っているわ。でも、弟の人生に私以外の女はいらないの。だから気をつけてね?」

「あ、はい」


 イミュリエールは友人と話すときの笑顔のまま、言葉は淡々と、朝起きたらおはようと挨拶をするのが当たり前のことだと言わんばかりに話している。

 先人達の教え『空気の異質さを感じた時は保身に走れ』の意味を、本能が進行形で思い知らされている。ありがとう先輩、貴方の教えは今私の命を救っています。


「はぁ、あの子のことを話していたら、会いたくなってきちゃった。さ、鍛錬を再開しましょ?」

「いや、まだ休憩中……やります」


 とりあえずパフィードに行くときは、トゥルスターと名乗る者には近づかないことにしておこう。出世欲のない冒険者ならば、知り合う機会もないだろうし、大丈夫大丈夫。


 ◇


 悪夢のような存在だと言われた僕でも、悪夢くらい見る。

 最初から今の領域にいるわけではないのだから、競争相手や格上の障害だって当然いた。そういった相手から今の立場を勝ち取ることへのプレッシャーが悪夢として僕の心を蝕もうとしていたんだ。

 だけど僕はその悪夢と向き合い、利用してみせた。怖い、恐ろしいと感じた感覚をどうすれば相手にも抱かせられるのか、気付くための機会として受け止めたんだ。

 だけど今の状況はこれまでに見たどの悪夢よりもたちが悪い。こんな状況、どう受け止めろというんだ。

 全員が危機感を持ち、普段以上のパフォーマンスを発揮し、迅速に行動をしている。なのに、数が次々と減っていく。


「ぐっ!?」


 先頭付近にいた部下の声、視線を向けると部下が茂みから飛び出してきた棒を武器で受け止めていた。

 状況の判断に一秒もいらない。大半がその棒に意識が向き、それが槍ではなく、ただの棒であることに気づき、視線を誘導するための設置罠であることを理解する。

 その目的が視線の誘導であることを察し、周囲へと注意を向け直す。

 その間に三人の部下が地面に倒されている。そしてその四肢に淡々と槍を突き刺す面布の男。


「このっ!?」


 部下が武器を構え、魔法を放つ素振りを見せた時には、既に茂みの奥へと滑るように消えていく。同じ手段がこれでもう四度目。いや、実際には設置罠のふりをして本人が直接槍で攻撃を仕掛けてきたフェイントも含まれている。

 こちらに無理矢理に反応を行わせ、その隙を徹底的に突いてくる。まるで獣相手の狩りだが、その精度が異常過ぎる。


「完全に後手に回されている……っ!反応するなとは言わないが、足を止めるな!移動を続けていれば、相手の奇襲にも限りはある!」


 相手のペースに付き合ってはいけない。たとえ相手に誘導されようとも、動きを止めてしまえば相手にできることが増えるだけだ。被害は出やすくなるけど、その機会を減らした方がトータルとしては浅く済むはずだ。

 相手が天竜族だとしても怯まない部下達の表情には焦りと恐怖が滲んでいる。正体の掴めない敵は、強大な敵よりも神経を擦り減らしてくる。

 なによりもまずはこの樹海を抜ける。還らずの樹海にまで下がることができれば、あの開けた道は僕等にとって優位な地形となる。

 無差別に襲ってくる魔樹の中には潜めないし、カークァスが拓いた道は視界も開けている。そこまで下がることができれば、どれほど不可思議な動きのできる相手でも、確実に捕捉でき、狙いを定めることができる。

 あの面布の男はこちらの攻撃を警戒している。黒呪族の魔法や呪いの危険性を正しく見極めている。逆を言えば攻撃を当てられる状況を作れば、勝てる相手なのだ。

 道中の単調な罠を見る限り、敵は確実に一人。このペースならば八……七十人は樹海を抜けられる。

 今僕等が逃げなければならないのは、あの男に対抗する術を持たないからだ。この場に留まり、あの男を倒そうとしても時間を掛けられじっくりと料理されることになる。

 還らずの樹海へと戻った後は領地と連絡を取り、救助隊を本格的に構築してこの樹海を徹底攻略する。

 どれほど優れた狩人だろうとも、隠密対策を完全に施した軍隊ならば恐れる必要はない。それこそ人海戦術を用い、樹海ごと焼き払ってしまっても良い。

 頭の中には何通りにもあの男を倒す術が浮かんでいる。準備さえできれば恐れるような相手じゃないんだ。


「ヨドイン様っ!」

「なん――っ!?」


 返事をするよりも先に、膨大な煙に視界を奪われる。毒性はないが、目に染みる煙が隊を覆うように展開されている。

 暗部などが扱う、逃走用の煙幕玉に近しいものだろう。大丈夫、視界は奪われるけど、その程度で方角を見失うような部隊じゃ――


「ぎゃっ!」

「ごぁっ!?」

「――っ!」


 部下の悲鳴だけではない、今まで聞こえなかった攻撃の音が耳へと届いてくる。あの面布の男が部隊の中に紛れ、攻撃を行っている。

 探知魔法を使い――ダメだ、あの男は自らの魔力を完全に抑え込んでいる。今までは僕等の注意を逸らし、その隙を狙ってきていたけど、今はもう僕等の視界を完全に潰している。

 だから部下を倒す際に声を出させても、武器を振るう音を響かせても平気なのだと暴れているのだ。

 耳に届く悲鳴や、打撃音の間隔は非常に速いテンポで響いてくる。相手はこの煙の中でも、確実にこちらの魔力を探知し、的確に狙えているようだ。


「くっ、全員方角は見失っていないな!?急いで煙を抜けろ!」

「ヨドイン様、声と魔力を抑えてください。視覚で捉えていないのは敵も同じことですっ!」

「――っ、そうか」


 この煙の中、相手はこちらの魔力を探知して攻撃を仕掛けている。魔力を抑え込んで移動すれば、少なくとも僕が捕捉される心配はない。

 探知魔法に割いていた魔力の流れを断ち、限界まで沈静化させる。暗部ほどではないにせよ、魔力を抑え込んでいない部下達の中で僕を捕捉することは不可能だろう。

 姿勢を低くし、部下達の中を無言で駆け抜ける。遠くで部下達が次々と襲われている。その音が少しずつ近づいていることに自身の心臓の鼓動が高まるのを感じる。

 それでも煙幕の影響範囲から逃れることができ、周囲にいる部下達の姿がハッキリと見えるようになってきた。

 後方はまだ煙が充満している。中からは数人ほど部下が出てくるが、取り込まれた人数に比べ、抜け出せている人数が明らかに少ない。


「たかが煙幕一つでここまで――っ!?」


 煙の中から導線に火の付いた球体が飛び抜けてきたのが目に入る。

 それが煙幕であることを目撃した全員が察し、この後に待ち構えている展開に表情が青褪めていく。

 きっと今の僕の顔も、視界に入る部下達のように――っ!


「調子に……乗るなっ!」


 湧き上がる憤りの感情を混ぜ込ませるように、腕から呪いを解き放つ。

 僕の特異性『我が血は呪いと共に』は構築を不要とし、自在に呪いを魔力に付与することができる。自分が扱える呪いならば、なんでもだ。そしてその呪いを魔力に付与している間は僕自身にその呪いに対する絶対の耐性をも得る。

 付与した呪いは適当なもの、物理的干渉を行う類の呪いをデタラメに練り込んだものだ。今必要なのは呪いの中身ではなく物理的干渉ができるということ。

 煙幕玉を呪いで包み込み、その爆発をも呪いの圧力で握りつぶす。煙幕は爆発の時に発生する爆風で煙を広範囲に展開する。だけど殺傷力を求めていない以上その威力は低い。

 狙い通り、呪いの中で爆発した煙幕玉は煙を撒き散らすことなく、呪いの塊と共に樹海の奥へと落下していった。

 呪いの余波が周囲の木々を枯らし、大気中の魔力を歪めていく。余り痕跡を残したくはなかったけど、咄嗟の練り込みで加減をする余裕はなかったから仕方ない。


「ヨ、ヨドイン様っ!?流石ですっ!」

「煙幕程度を抑え込むのに使っていい技じゃないんだけどね……っ!でもこんな時に出し惜しみしている――」


 体が急に引っ張られ、声を掛けてきた部下が遠ざかる。広がった視界に映ったのは、僕が今さっきまで立っていた場所を貫く槍の一閃だった。

 崩れた姿勢が起こされる。僕の体を引っ張っていたのはハルガナ、僕が煙幕玉の対処を行おうとした時点で既に周囲を警戒していたのだろう。

 攻撃を外した面布の男は、迷うことなく横にいた僕の部下に狙いを切り替え、反応の遅れた部下を槍の柄で殴り倒した。


「やはりヨドイン様を狙うかっ!」

「っ、助かったよ、ハルガナ……っ!」


 面布の男の首がこちらの方を向き、僕を見ている。ただ観察をするだけの行為、敵意はおろか感情すら伝わってこない。だけどハルガナと僕が完全に姿勢を立て直すと、倒れていた部下の頭を掴み、茂みの奥へと連れ去っていった。

 連れて行かれたものだけではない。既に数名が今の流れの中で倒されていた。奴は誰かが煙幕の対処をすることさえも隙を狙う好機として利用してくる。もしもハルガナが助けてくれなければ、僕は意識の外からの攻撃をまともに受けていただろう。

 どうする。あの男は見た感じでは軽装だ。煙幕玉もそう何個も持ち歩いているわけではないだろう。

 だけどたった二個使われただけで、最終的に七十は生き残ると見積もった部下達が既に五十を切っている。還らずの樹海までの距離もまだある……。


「ヨドイン様、冷酷な判断で構いません。貴方が生還する手段をお取りください」

「――分かった。なら全員で囮を頼む」

「はっ。総員、声を上げながら散開し還らずの樹海を目指せ!」


 その号令に、部下達は今まで溜め込んだ恐怖を忘れようと、大きな叫び声を上げながら樹海をバラバラに駆け抜ける。

 普通ならば愚策もいいところだ。密集していたとしても徐々に減らされていたというのに、散開しては減らされたことにすら気づけなくなる。

 だけど声を上げさせながら走らせることで、今面布の男がどこの誰を襲っているのか、僕やハルガナには判断することができる。


「――今です!」

「ああ!」


 面布の男の位置を特定し、そこを避けるように一気に走る速度を上げる。

 このまま隊で移動していれば、僕等は還らずの樹海に辿り着くまでに全滅していただろう。だけどそれは隊で移動していたならという話だ。

 近接戦が苦手な僕ではあるが、それは他の肉弾戦特化の領主達と比べてという話だ。本気で魔力強化と補助魔法を施した僕の速度に付いてこれるのはハルガナくらいのもの。

 遠くで部下達の叫び声が途絶えるのを確認、まだ面布の男は部下を襲っている。このまま一気に距離を稼ぎ、樹海を抜ける……っ。


「くそっ、結局部下を全員置き去りにすることになるのか……っ!」

「仕方ありません。確かに彼らは並の魔族に比べれば訓練された精鋭ですが、ヨドイン様や私ほどの速度での移動は無理です。逃げることしかできない現状では、足を引っ張るだけの存在でしかありません」

「分かっているよ。その足手まといをも生還させてこその領主だろうに……っ」


 部下を切り捨てることに心苦しさを感じているわけじゃない。僕は部下達を使い捨ての道具だと割り切ることができている。だけどそんな使い捨ての道具でも無駄に浪費することは嫌なのだ。

 道具には役割が存在する。その役割を果たさせられないのは使い手として無能を晒すことと同義だ。

 彼らは使いようによっては村一つ、いや街だって陥落させることができただろう。それがただの囮としての消費だなんて、僕が出していい結果なんかじゃない。


「境界線を抜けるまでおよそ一分、このまま――」


 正面にある巨大な樹木の枝を飛び越えた瞬間、真横に槍を構えた面布の男が浮いているのが視界に入った。部下達を倒し、全力で逃げている僕達に追いつき、あまつさえ回避のできない跳躍の瞬間を狙って攻撃……っ!?

 いくらこの男が熟練の狩人で、この樹海に出入りしているからといって、こんな魔界の近くの地形まで完全に把握しているものなのか?それこそ魔界にまで足を運ぶような存在でもなければ――


「ヨドイン様ァっ!」


 面布の男の姿勢が変わり、飛びかかってきたハルガナの攻撃を受けとめた。ハルガナとてこの男の気配は感じ取れていなかった。だけどハルガナは最初から僕だけを見ていたのだ。

 自分が奇襲されても構わない、ただ僕が狙われた時に確実に助けに入れるように。

 空中でハルガナの体当たりにも近い斬撃を受けた面布の男は、そのままハルガナと共に近くの茂みへと落下していく。


「ハルガナッ!」

「ここは私が食い止めます!援軍、お待ちしております!」

「――っ、ああ!」


 迷うことは全てを台無しにすることだ。ハルガナと面布の男の戦闘を見ることなく、一気に樹海を駆け抜けていく。

 そして周囲の樹木の変化と共に、開けた道へと到達した。真っ直ぐに伸びる見渡しの良い道。口に入り込む空気の中に満たされている馴染みのある魔素。視界の奥にひしめく魔樹達も今となっては若干の心強さまで感じる。

 還らずの樹海に到着。魔界へと戻ってくることができたのだ。


「はぁ、はぁ、ふぅ……」


 この程度で疲れるような鍛え方はしていないはずなのだが、それでも息が乱れている。人間界での長期戦闘は負担が大きいとは聞いていたが、通常よりも倍以上疲労の蓄積があるとは。

 だけど無事に魔界に戻れた。あとはこの道を戻り、領地と連絡を行うだけだ。たとえあの面布の男が追いかけてきたとしても――


「――まあ、くるよね」


 何気なしに振り返ると、そこには僕と同じように樹海を抜け、還らずの樹海へと現れた面布の男の姿があった。

 姿はそのままだが、槍を持っていない方の手にはハルガナが装備していた暗部の仮面が握られている。それがどういう結果を意味するのかは考えるまでもないだろう。


「……でもまあ、条件はもう覆った」


 呼吸はもう整っている。精神の乱れも特にない。そう、今の僕はもう平常通りだ。

 確かにあの独特な歩法、樹海を知り尽くした隠密術は脅威だった。僕のような遠隔攻撃を主体とするタイプにとっては、狙わせてくれないのが一番困る。

 まあ当てられなくても、巻き込めば良いのだから、戦えないわけでもなかったのだけれど……その場合、部下達を確実に巻き込んで殺してしまっていただろう。


「視野は確保できた。そしてハルガナを含め、足手まといはもうここにはいない……黒呪族領主、ヨドイン=ゴルウェンとして万全の状態で戦うことができる!」


 この場を逃げ、援軍を連れてこないのを笑う愚者もいるだろう。だけどそいつらは僕の実力を完全に見誤っている。

 万全の状態で戦える僕は、自らの軍隊とだって対等以上。この場所で戦えるのならば、それは黒呪族総出で樹海に攻め込むこととなんら変わりない。


「あらゆる生物を苦しませ、殺し尽くす無尽蔵の呪い。君が辿り着くは死よりも悍しい末路。相手を見誤ったことを――?」


 突如面布の男の体が斜めになった。姿勢も先程と違い、槍を払ったかのような構えになっている。

 あれ、というかなんか距離が近くない?これじゃまるで奴の間合いに僕がいるかのように――っ!?


「あ、がっ!?」


 領主として磨き上げた闘争本能が、僕に現実を叩きつける。既に面布の男は槍の間合いまで接近済みであり、斜めになっているのは僕の頭だ。

 顎に感じる痛みは槍の穂先で弾かれたからであって、今僕の体は脳を揺らされ膝から崩れ落ちている。

 要するに、僕が臨戦態勢になってるのにもかかわらず、この面布の男は気づかれないまま接近し、避けるどころか気づくことも許されない一撃で僕の顎を撃ち抜いた。

 信じがたい事実だが、視界で確認できている光景と体の状況を照らし合わせた結果はそれしか存在しない。

 そこまでを理解し、体がこの状況を打破すべく行動を開始する。脳が揺らされ、体の自由が奪われようとも僕は思考が回るように訓練してある。

 思考が生きていれば、僕は特異性を発揮できる。自らの魔力に呪いが充満しているのだから、それを放出するだけでも立派な攻撃手段となる。

 僕の体はこのまま一度膝を付くことになる。面布の男が遊ばないのであれば、そのまま追撃がくるだろう。様子見をするにしてもこの場から離れる選択はない。

 体内の魔力を一気に体外へと放出し、面布の男に呪いを浴びせる。そうすれば追撃はおろか、そのまま命を奪うこともできるだろう。


「っ!?」


 僕が膝を付くよりも速く、面布の男の蹴りが僕の体を後方へと突き飛ばす。それに遅れて魔力の放出。視野に僅かに映った範囲では、面布の男は更に距離をとっていた。

 信じられない、脳を揺らし崩れ落ちる相手の反撃に気づき、最善の回避手段をとるなんて。

 いや、ハルガナでさえも時間稼ぎにすらなれない猛者だ。それくらいしてきて当然と考えるべきだろう。

 こちらの攻撃は外れたけど、僕の周囲には高濃度の呪いが撒き散らされている。その範囲は奴の槍の五倍以上。僕に槍を突き立てようと接近しようものなら、全身で僕の呪いを受けることになる。

 体が地面に叩きつけられ五秒が経過、脳を揺らされたダメージが治り、全身を動かせるようになる。


「――いきなりの奇襲には驚かされたけど、もう通じないよ。呪いは展開した、もうこの戦いが終わるまで君は僕に近づくことすらできやしな゛っ!?」


 上半身を起き上がらせたのと同時に喉を貫く鋭い痛み。風邪を引いた時とは比べ物にならないほどの刺すような痛み……というか実際に槍が刺さっていた。

 あの男、槍を投げてきた!?いくら近づけないからって、唯一の武器を躊躇なく投擲するの!?

 お、落ち着くんだ、僕。喉は貫かれたけど、その程度で死ぬような僕じゃない。それよりも相手が武器を手放した優位を喜ぶべきだ。

 突き刺さった槍を抜き、治療魔法を施しながら呼吸を整える。そう、奴はもう素手、これ以上僕に直接攻撃をすることなんて……なんて……。


「……あれ、それって……もしかしてハルガナの……」


 奴の手には見覚えのある瓶が握られていた。暗部であるハルガナの装備で、ナイフなどに塗る麻痺毒だ。蓋が空いており、中身もだいぶ少なくなっている。

 今しがた引き抜いた槍を見る。穂先には僕の血以外に、ベッタリと麻痺毒の液体が塗られていた。

 なまじ呪いに耐性があるから、体がそういう毒に鈍いことが判断の遅れに繋がった。

 奪い取った槍を手から落としてしまったのは、色々とショックを受けたとかではなく、純粋に全身に麻痺毒が回ったからだ。

 せっかく起き上がらせた上半身が力なく倒れる。流石ハルガナ、隙あれば呪いをばら撒く黒呪族の足掻きさえも封じる良い毒だ。体だけでじゃなく、魔力を通す経路もバッチリ麻痺している。

 うわー、思考だけがこんなにハッキリしているのって恐怖でしかないんですけどおおっ!?

 五感機能しているから、あの男が歩み寄ってくるのもろわかりなんですけどおおおっ!?


「あ、ひゅ、け……」


 交渉や命乞いの言葉も出せない。いっそ意識を落としてしまいたい気持ちで山々なのに、訓練された思考回路がただただ冷静に現状を伝えてくる。

 視界に僕を見下ろす面布の男が入り込む。その手には拾い上げられた槍がしっかりと握られている。


「かっ、はっ、あっ、ふっ……」


 面布の男は部下達にしてきたように、僕の四肢の腱にも丁寧に槍を突き刺してくる。何一つ感情を感じられない。ただの作業、釣った魚を締めるような、それくらいの感覚でやられている。

 うーん、ハルガナ。君の麻痺毒優秀過ぎない?刺される痛み、全然軽減されてないんだけど!うーん、死ぬ、僕死ぬんだけど!?

 面布の男は静かに僕の顔を覗き込んでいる。だけどそこまで興味もなかったかのように槍を構え直し、僕の頭へと穂先を向ける。

 ちょっと待ってくれ、本当に殺されるのか?まだ正式に魔王も誕生していないような、こんな歴史の序盤で、なんの成果を示せず、まとめ上げた黒呪族達の能力も示せず、こんな獣のように狩られるのか!?


「い、や、あ゛っ!」


 喉奥から声を絞り出そうにも、力の入れ方を体が忘れさせられてしまっている。

 もうただの死にかけの獣でしかない。こんな、こんな終わり方、到底受け入れられるわけが――


「――っ!」


 面布の男が突如槍を翻し、飛んできた何かを打ち払った。直ぐに視界の外に弾かれたため、何が飛んできたか分からなかったけど、明らかに面布の男を狙ったものだった。

 面布の男は何かが飛んできた方角をじっと向いていたが、やがてそのままの姿勢のまま僕の視界から消えていった。

 助かった……のか?いや、だけど今のは一体何が起きたんだ?僕の部下が助けに来たのか?いや、あの男が僕の部下相手に逃げ出すような真似をするだろうか。

 いくら待てども、新たな人影は現れない。結局体に回った麻痺毒を呪いで無理やり中和し、自力で起き上がるまでの数分間、静寂だけが耳に残った。


「う、く……おぉ……。今度、毒の中和の鍛錬もしておこうかな……」


 麻痺毒が完全に抜けたわけではなく、呪いで麻痺毒を包み込むという荒業で麻痺をなかったことにしている状態。体の中には異物が大量に入り込んでいるような不快さが残っている。それでも体が動くのならば、文句は言えない。

 周囲を見渡し、面布の男がいないことを確認する。どうやら僕は見逃されたようだけど……。


「一体何が……」


 続けて周囲を見渡すと、ある物が視界に入った。

 それは何の変哲も……いや、むしろ質の悪い安物というべきか。一本の鉄の剣が地面に突き刺さっていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る