実力を測る。そのニ

 還らずの樹海。それは人間界と魔界の境界線にあり、光と闇の属性が入り乱れる大気の影響を受け、凶暴化した植物系魔物がひしめく死の樹海。

 地では根と茎が襲いかかり、空では花粉が樹海の奥へと誘おうとしてくる。魔族にも進化せず、ただ本能だけで近づく生命体全てに襲いかかる魔樹は、植物を使役できるはずの樹華属ですら近寄れない。

 という感じの認識ではありますが、実際のところは私が意図的に変異させた変種だったりします。

 人間も魔族も学習する生物、馬鹿ではありませんからね。星を二等分する境界線のどこからでも攻め込めるとなれば、攻めやすい場所を選ぶのは自然なこと。

 境界線付近の全ての場所が戦地となれば、勇者と魔王の存在関係なしに争う要素が増えることになり、双方の発展の妨げとなります。なのであの手この手で、互いに境界線を越えられないようにと、まともな生物が生きていけない過酷な領域を用意したのです。


「――今の感想をどうぞ」

「いやぁ、久しぶりに自重せずに鍛錬できて楽しかったな!」


 その還らずの樹海に、それはもう立派な太い一本道ができてしまっています。原因は言うまでもなく、この爽やかな笑顔を見せているアークァスです。

 内部の七割が刈り取られていたことについては、過ぎたこととして良しとしたのですが、そこを経由し、人間界と魔界を繋ぐ道を造られたとなっては絶句するしかありません。


「しかもこの道、黒呪属の領主に通らせるんですよね?情報共有されたら、全領主に知れ渡りますよ?」

「そこはほら、俺が拵えた道なんだし、俺の許可なく使わせなきゃ良いだろ」

「貴方が今の立場から失墜したら、使い放題なわけなのですが」


 この道は魔王候補カークァスが用意したもの、となればこの人を支持していない領主達はおいそれと使うことはないでしょう。

 ですがこの人が魔王としての役割を終えれば、この道は『安全に人間界へと侵攻できる』手段の一つとして魔界に有効活用されることでしょう。


「なぁに、誰が維持するのかって話になれば、進んでやりたがる奴もいないんじゃね?」

「――それもそうですね」


 この樹海の恐ろしさはその繁殖力。光と闇の両属性の魔力が入り乱れている場所に限らせてはいますが、放置していればこの道も数ヶ月以内には元の樹海に戻るでしょう。この道を維持するには定期的に再生を行っている樹海を切り取る必要があるのです。

 だけどそれを安全に行えるような有力な魔族が、このような単調な仕事に就きたいとは思わないでしょうし、かといって並の魔族では命を失うリスクが非常に高い。

 鍛錬のついでというふざけた理由で伐採されない限り、維持費も馬鹿にはならないでしょうね。

 もちろん維持費に目を瞑り、有力な侵攻ルートとして利用しようとする魔族もいないわけではないのですが……ま、いっか。


「それじゃあ後は手筈通りに、別に喋らなくても良いからな。適当に睨んどいてくれりゃいいよ」

「よくもまぁ、女神に手伝わせようという発想がでますね。私貴方の雇い主なのですが」


 アークァスが私に依頼した内容はシンプル。まずはワテクアとしてこの場所で彼とヨドインの会話を見届ける。そして彼の着替えをちょっと手伝うというもの。

 彼が領主の一人を仲間にする策を、間近で見届けるついで程度の手伝いなので了承しましたが……内容をほとんど聞いていないのですよね。

 詳細を問いたい気持ちと、面白いものが見れるかもという期待。僅かに後者が勝っているので、とりあえずは彼に任せるとしましょう。

 既にアークァスは魔王カークァスとして、私もワテクアとして着替え済み。彼の野営セットを利用してお茶を淹れてもらい、かつての自信作の成れの果てをなんとも言えない気持ちで眺めていると、ヨドイン=ゴルウェンが自らの私兵を連れてきました。


「こ……これは……っ!」


 ヨドインを始めとし、彼の部隊の兵士達は皆驚愕の表情を浮かべている。女神である私ですらこの光景には絶句したのですから、当然と言えば当然なのですが。


「人間界側にある通常の樹海に繋がるまで道を繋げておいた。道の中央を通れば、左右から植物に襲われる心配はないだろう」

「ちょ、ちょっとお待ちください。こ、この道はどうやって!?」

「そんなことか」


 アークァスは剣を抜き、道の隅へと移動する。当然そこには凶暴化した魔樹がおり、生命体の接近に反応した魔樹はアークァスへと次々と蔦や枝を伸ばし、彼を捕らえようとする。

 その速度は熟練の兵士達が振るう斧や槍にも匹敵するけれど、ガウルグラートの猛攻すら平然といなすアークァスの体に届くことはない。

 アークァスは変わらない速度のまま、根を下ろしている魔物の本体の前まで辿り着き、雑に剣の刃先を叩きつけた。

 すると剣を叩きつけられた魔樹がより狂ったように暴れだし、周囲に無差別に蔦や茎を振り回す。そしてその動きは徐々に激しさを失い、やがてその体は枯れ果てるように崩れていく。

 その光景を見たヨドインは何か起こったのかを察したのか、僅かに震えていた。


「今の一撃で……不特定な位置にあるはずのコアを砕いたのですか……っ!?」

「本能で位置を決めているような連中だからな。ある程度動きを見れば、おおよその位置は掴める。後はそこに衝撃を届けるだけの簡単な作業だ」


 コアは自らの因子を肉体に保持するための器官、魔物や魔族にとって第二の心臓。アークァスが見せたのは、人間で言うところの『適当に叩けば相手の心臓を破裂させられる』といった芸当に匹敵します。

 だからこそ、ヨドインを始め、魔族達は皆今の一撃が自分に向けられた時の脅威が脳裏に浮かんでいるのでしょうね。


「……たった一週間で、これだけの面積を……?」

「これは俺がお前達の前に現れる前から、密やかに準備を進めていた工程の一つだ。魔王として君臨する上で、なんの準備や手土産もなく、のうのうと現れたと思ったか?」


 物は言いようという言葉はこの時のためにあるようなものですね。この人、人間界にとっては致命的なやらかしを、魔界側にとっての貢献として利用する気ですよ。

 確かに歴代の魔王軍は侵攻の際には唯一安全に進軍できる平野を利用していましたが、それは人間界も熟知していること。

 砦や城壁を造られ、それでもなお愚直に同じルートを使っていたのは、その方が失う労力がないからです。

 よもや魔族の領主を一対一で叩き伏せるほどの強者が、何年も労力を掛けて途方も無い作業を成し遂げて見せるとは冗談にしか考えられないでしょうね。


「……そうですか。僕は少々考え違いをしていたようです。ワテクア様が貴方を選んだ理由が、ただ能力的に適任だったからと考えていたのですが……こうして魔界に対する貢献の姿勢も示していたのですね」


 その考えは完璧にあっているのですが、違ったことにされちゃっているのですよ。私はアークァスが適任だという理由だけで選んだわけであって、別にこの樹海の惨状については何一つ評価していないのです。

 などと口にするわけにもいかず、その気持ちを不機嫌そうな顔で表現しておくことにします。それが私に対する不信を向けていたことに対する反応と受け取ったのか、ヨドインの心には隠しきれない焦りの感情が滲み出しています。


「――ざっと数えて二百か。物資も含め、それなりに準備は整えてきたようだな」

「約束は約束ですからね。僕なりに貴方への答えを示そうと思いまして」


 非戦闘員だらけの百人の村を、二百の精鋭で襲撃すれば結果は明らか。だけどヨドインの狙いは圧倒的勝利ではなく、その先を見据えた結果を出すことなのでしょうね。

 物資の量や、運び込まれている荷物の種類から推測して、恐らくは村を落とした後に拠点として利用するつもりなのでしょう。

 しっかりと戦闘向けの装備をしているのはおよそ半分の百、戦闘の定石である『相手よりも同等以上の数を用意する』も守れていますね。

 確かに策を弄し少数で多数を圧倒することができれば、優れた能力があると示すことはできます。ですが本来将に求められるのは、必要な兵、物資をいかに迅速に準備することができるかです。

 それが用意できないのであればそれは未熟ということ。少数で事足りると語ることは、わざわざ部下達にリスクの高い作戦を決行させるわけなのですから、驕りでしかありません。


「では俺は後方から様子を見届けさせてもらう。いざとなったら助け舟くらいは出してやる」

「助け舟ですか……面白い冗談ですね。この道を用意して頂いたこと以上の助けなんて不要ですよ。それでは見届けてもらいましょうか。総員、進行開始だ」


 ヨドインの言葉に、彼の私兵は一糸乱れぬ隊列を維持したまま進軍を開始する。ヨドイン達が視界から消えた時点で、アークァスはその方向に背を向けて歩きだす。


「それじゃま、帰りますか」

「えっ、帰るのですか?」

「先回りするのなら、転移でパフィードに戻った方が早いだろ?」

「――ああ、そういうことですか」


 ヨドインの隊は還らずの樹海を最短で抜け、人間界へと入る。その後は通常の樹海を進み、ピリトの村を目指すことでしょう。

 村の位置や方角は既にアークァスがヨドインに地図を渡しているので、三日もあれば村に到着し、占拠できる見積もりですかね。

 アークァスの方は今から一時間以内にはパフィードに到着し、それなりに整備された道を通れば、昼までにはピリトの村に到着することでしょう。

 還らずの樹海近くに設置してある転移紋を使い、彼の家へ。すると彼は普段着ではなく、見慣れない格好に着替えています。動物の毛皮で造られたような、潜伏向けの衣装と言いますか。


「なんですか、その格好は。猟師かなにかです?」

「ああ。山で獣を狩る猟師さんの格好だ。うーん、武器はどれにするかな」


 アークァスは家の中にある物置の扉を開けると、そこにあるものを物色していきます。以前訪れた時から、中を見ていなかったので私としてもそれなりの興味。こそっと覗いてみると、そこには様々な種類の武器が転がっています。

 どれ一つとして特別だったり、高価に見えたりするようなものはありません。ですがどれも入念に手入れされており、握りなどの箇所は相当な年季が入っています。


「それ、全部使えるのですか?」

「ああ。うちの一族は剣術が主体だけど、体捌きとかはどの武器にも共通するしな。細かい技とかは、ほら、闘技場でいつも見てるから問題ない」


 剣術の達人が他の武器を使えば素人同然になるのかと言えば、答えは否。最終的に自分にしっくりと合うものを選ぶことはあれども、真の強者はそもそも武器を選びません。


「……ところで、ヨドインの部隊を奇襲するつもりですか?」

「おう。いやぁ、あの練度見たか?流石は歴代最高の魔王軍って感じだよな。グランセルドの兵士達じゃあんなに揃った行進なんてできやしないぞ!」


 あ、ダメですねこの人。もうスイッチ入っています。雰囲気から襲いにいくんだろうなとは察していましたが、何を目的としているのか、聞き出せそうにはないようです。

 だってほら、槍の刃先を見ている目とか、完全に愉悦に浸っている感じじゃないですか。


 ◇


「ヨドイン様。もう間もなく還らずの樹海を抜け、人間界の樹海へと入ります」


 斥候の報告を受け、頭の中で計画の微調整を進めていく。カークァスの拓いた道は否の付け所はなく、兵士達も全く疲労を溜めることなく進むことができている。

 目の前で見せられた剣技もそうだが、それ以上にこの光景には未だに夢心地のままだ。

 今僕達が通ってきた道、そこには本来精鋭達でも手を焼く魔樹がひしめいていたはず。それがどうだ、まるで僕らに道を譲ってくれたかのように広々とした空間を提供してくれている。

 人間界に気づかれることなく、侵攻を行えるルートが突然存在することになったのだ。これが我々魔界の軍勢にとってどれほどの価値があることか。

 カークァスに対する認識はとうに改めた。あの男は超越した技術に加え、鋼のような精神を持ち合わせている。

 あの剣技を持ってしても、この還らずの樹海に拓かれた道はそう簡単に用意できるものではない。

 道中確認を行ったが、還らずの樹海は進行形で再生を行っていた。それは通常の樹林の成長速度とは比較にはならないほどの異様な速度でだ。

 なにせ目視で木々の成長を確認できるほどだ。この広大な道も数ヶ月後にはほとんどが埋め尽くされることとなるだろう。

 つまりカークァスはこの還らずの樹海で、数ヶ月、いや数年間、樹海の再生速度を超える速度で、魔樹を処理し続けているのだ。

 領主達はきたる戦いに備え、自らの力を蓄えてきた。だがそれは自分の立場を盤石に保つ行為も含まれている。言わば自分のためにもなるのだ。

 魔界の未来を護るためであろうとも、責務としてこの道を維持し続けるなんて、普通なら気がおかしくなっていても不思議じゃない。


「ワテクア様が選ばれた理由にも、納得がいったしね。でも困ったものだ……」


 ワテクア様からすれば、カークァスは強く魔界にも多大な貢献を行っている優秀な人材だ。だがそれを知っている者はワテクア様だけなのだ。

 ガウルグラートを除き、僕達は皆カークァスに対して好意的な意思を示していない。だけど知りようがなかったのだから、仕方がなかったと済まされる話ではない。

 少なくとも僕自身はカークァスに資質はあるものと考えを改めている。魔王として相応しいかどうかはさておき、能力も実績もある者を頭ごなしに否定するつもりはない。

 とりあえず当面はカークァスの下に就くこと視野に入れ、僕自身の立場を確保するために動く必要があるだろう。

 そういった意味では、今回の侵攻は実に好都合だ。他の領主よりも先にカークァスの有用性に気づき、自身の能力を示せる機会を得たわけなのだから。


「ヨドイン様。計画はこのままで?」

「うん。工作兵は樹海内に簡易拠点を。もう一度斥候を放ち、今度はピリトの村までのルートを再確認する。大して疲れはないだろうが、戦闘兵はしっかり休息をとっておくように。最高のパフォーマンスを出すことが最優先だ」


 村の人間を皆殺しにするだけならば、そもそも僕やハルガナの数名で事足りる。だけどそれは他のどの領主にもできる芸当だ。

 だから僕は村を最大限に利用する。村人は可能な限り捕らえ、資源として有効活用する。村も陥落したことを周囲の人間に悟らせず、今後人間を捕獲するための拠点として改造するのだ。

 還らず樹海に道ができたことで、人間の運搬も相当楽になる。上手くカークァスに取り入り、この道の管理権を任せられることになれば、他の領主達と競うことなく、悠々と人間を手に入れられるのだ。これ以上の収穫はない。


「……少し怖いね」

「どうかいたしましたか?」

「話が僕にとって美味し過ぎる。ウラの一つや二つあると考えておいた方が良いかな」


 楽観的に考えれば、カークァスは自分を品定めしようとした僕のような存在を配下に加えようとしている。そのために僕に得としか考えられないような、この侵攻を行わせた。

 それだけが狙いならば、カークァスの目論見は達成されている。心の底から忠誠を誓うわけではないが、彼という船に乗るくらいの気持ちにはなっているからだ。

 だけど領主達からの信用を得るというだけならば、最初から還らずの樹海の話を全員にすれば良かっただけの話だ。

 この道の価値を理解できないような馬鹿は僕達の中にはいないのだ。そうした上で、この道を利用しようとする野心を持つ者に挙手を行わせ、その能力を競わせた方がカークァスにとって僕達を見極める機会になり得ただろう。


「ウラ……ですか」

「楽な任務だと軽んじないようにって、皆に徹底させておいて。多分小さなヘマ一つが後々尾を引くことになると思うよ。勘だけど」

「承知致しました。ヨドイン様の勘は当たりますからな」


 還らずの樹海から移動を始め一日半が経過。人間界側の樹海に小さな拠点を作成し、休息とりつつ斥候の報告を待った。

 近くを調べさせた斥候の報告によれば、多少の獣はいるが脅威となるような存在はなし。人間が樹海に入り込んでいた痕跡がいくらか見つかったそうだが、どれも数ヶ月から数年前のもので、薬草の採取や、獣を追って樹海に入り込んだ猟師などの痕跡であるとのこと。


「こんな樹海に入り込むとか、物好きな猟師もいたものだね。ま、絶対に人目がないというわけじゃないということが分かっただけでも十分だ。村の様子を見に行った者以外は引き続き、周囲の警戒を。もしも目撃者がいるようなら逃さずに捕まえるんだよ」


 不定期にこの樹海に入り込む人間がいる。ならばその人間と偶然出会う可能性も考慮してことを進めなくてはならない。

 本来なら無視して構わないと言いたいところだが、妙な胸騒ぎがある。カークァスに取り入るにあたり、失敗が許されないと緊張しているだけなのかもしれないけど、それでも慢心するよりはマシだ。

 あとはピリトの村を調査しに向かった斥候の帰りを待ち、そこから即座に侵攻を開始。村人達の退路を断ち、最小限の戦闘で制圧を行う。その後は幻術魔法で人間に化けた工作兵に村を運用させ、拠点としての整備を行う。内容としてはそれだけなのだが……。


「――遅いね」


 予定された集合時間になっても、ピリト村に向かった斥候が戻らない。それも一人や二人ではなく、五人だ。兵達にも僅かながらに動揺が見られる。


「いかが致しますか?」

「このまま侵攻したいと言い出す馬鹿はここにはいないよ。休憩を行っている兵に周囲の警戒を行わせ、残った斥候が戻り次第、固まって調査に向かわせる。工作兵には移動の準備を進めさせておくように」

「どちらにでも動けるよう、対処致します」


 斥候達は不要な戦闘は避けるように教育を施してある。もしも自身が発見された場合、即座に周囲の仲間にその旨を伝え、その後に相手の対処、または逃走を試みる。その間に情報を受け取った仲間は半分だけが補佐に周り、残りは即座にこちらに戻ってくる手筈だ。

 つまり考えられるのは、斥候達が連携の取れないまま、全員行動不能に陥ってしまっているというケースだ。

 殺されただけならば良いが、捕獲されたとなれば情報を奪われる可能性もある。尋問程度で口は割らないが、魔法で洗脳したり思考を読んだりすれば話は別だ。最悪僕達の位置すら既に筒抜けになっていることを想定しておく必要がある。


「――カークァスに罠に嵌められた?いや、仮にカークァスが事前にこちらの情報を流していたとして、人間達に僕らの斥候を捕まえる手立てが用意できるものなのか?」


 人間界の情報はそれなりに入手している。今各地の国は大した軍備もなく、連携すらまともに取ろうとしていない。それこそ黒呪族の兵力だけで、人間界の全ての兵力にも勝てると見積もれているほどだ。

 今回用意した兵達はいずれも精鋭揃い。斥候にしても全員が手練で、それこそ領主クラスの魔族でもなければそう簡単に倒せるような者達じゃない。


「ヨドイン様っ!」

「どうした?」


 各隊への伝令の一人が焦りの表情を浮かべて現れる。その表情からはとても吉報を届けにきたとは考えられない。


「それが……近辺を索敵していた斥候までもが連絡が途絶えて……」

「――っ!?」


 本能が何者かの敵意を感じ取っている。疑いようがない。今この拠点は狙われている。何者かが斥候を潰し、近くまで接近している。

 傍に控えているハルガナも同じ感覚にあるのだろう。いつも以上に周囲の空気を張り詰めさせている。


「移動の準備は整っておりますが……」

「よし、退こう。物資は捨てて構わない。工作兵にも武装させ、還らずの森まで撤退する」

「よろしいので?」

「数も不明、地の利こそないにせよ、僕らの斥候が全員潰されるような相手だ。この地に留まった時間だけ被害が増えることになる」


 好機を見逃すことに未練がないわけではない。だが事態が把握しきれていない以上、優先すべきは被害を最小限に抑えることをおいて他にない。

 工作兵にも武装をさせ、隊列を組ませて撤退を開始する。


「ヨドイン様……」

「言うな。もう気づいているよ」


 視界に入っている隊列に乱れが生じている。ここにいる者達の足並みは揃っているというのにだ。この乱れの正体は、数が足りていないということ。

 斥候どころか、一部の戦闘兵までもが姿を消している。もう既に僕らは何者かの視界に捉えられ、攻撃を受けているのだ。


「警戒を怠るな!既に敵襲を受けている!敵の数は不明だが、姿を表してこないことからそこまでの数はないはずだ。視野を確保できる還らずの樹海まで真っ直ぐに――」


 言葉に詰まったのは、進行先にある景色に目を奪われてしまったからだ。退路の先、樹木の木々の枝に無数のロープが結ばれている。

 そしてそのロープの先には、行方不明となっていた斥候達が宙吊りとなってぶら下がっていたのだ。

 息をゆっくりと吐き出し、心を落ち着かせる。これは敵が僕らを混乱させようとする行為だ。退路に無力化された味方を吊るすことで、精神的に攻撃、恐怖や動揺を与えようとしている。


「ヨドイン様、彼らはまだ生きています」


 探知魔法を使い、吊るされた斥候達の魔力を探る。気を失ってはいるが、魔力の流れや呼吸に異常は見られない。

 選択肢は二つ。一つは斥候達を無視して逃走を続ける。もう一つは斥候達を助け、彼らを起こして情報を得る。

 後者は罠である可能性が非常に高い。わざわざ捕まえた敵兵を救助できる状態で放置する道理はない。ならばこれには何かしらの意味がある。

 広めに探知魔法を使ったが、近くに敵の気配はなかった。だが探知魔法は魔力の有無を察知する程度のもの。もしも相手が暗部のように自身の魔力を抑え込み、虫や動物程度の魔力しか感知できない状態にできるのであれば、その限りではない。

 実際に探知魔法を習熟しているはずの斥候達がこうして無力化されている。敵はすぐ近くにいると考えて良いだろう。

 だが多少の危険を冒してでも、斥候達を助けるメリットはある。装備は奪われているようだが、外見としては大きな負傷は見られない。この樹海を抜けるまでの間、探知能力に秀でた彼らを取り戻すことは、大いに役立つことになる。

 そして何よりも、全員が全員背後から倒されたとかでなければ、少しくらいは敵の姿を見ているだろう。つまりは敵の正体を知ることができる可能性が高い。

 罠の危険性がないか、周囲に目を凝らし、観察を行う。斥候の体に異物はないか、周囲の樹木に何か変化はないか。結ばれているロープに……っ!


「――敵は少数だ。今は少しでも人手と情報が欲しい。斥候を助けよう」

「承知致しました」


 斥候の救助が行われ、簡易的な治療が施されていく。斥候の周囲に罠らしきものは見当たらない。やはりこちらの読みはあっていたようだ。


「……それで、なぜ相手は少数だと?」

「ロープだ。長さや結び目、特に切り口を見るんだ。同じ長さ、結び方、そして切り口の特徴が全て一致している。彼らを木々に結びつけた者は同一人物。敵は僕らの退路を先読みし、この光景を準備するのに、一人で作業をしなければならなかった」

「確かに……」

「吊るされている者の中に後続で向かわせた斥候がいない。吊るす余裕がなかったんだろう。先の五人をここまで運ぶだけでも相当な手間だからね」


 斥候を一方的に制圧できるほどの実力者だ。魔力強化を施せば、一人で五人をまとめて運ぶことはできる。だけど木に吊るし、後続の斥候まで捕獲するともなれば、純粋に人手が必要となる。その後もこちらの兵を少しずつ襲っているようだし、そこまでの罠は仕掛けられていないと考えられる。


「精神干渉の類の魔法は受けておりません。ですが四肢の腱が肉ごと削ぎ落とされております。本格的な治療を行えなければ、戦力としての復帰は厳しいかと」

「そこまで甘くはないか。意識はどうだい?」

「既に一人の意識が戻っております。あちらの方に」


 意識が戻った斥候の元へと向かい、様子を確認する。自ら起き上がることは難しそうだが、瞳は真っ直ぐにこちらに向けられている。


「何が起こったか説明はできるか?」

「はい……。ピリトの村へと向かう途中、突如獣の毛皮を纏った槍使いが……」

「数は一人なのか?」

「おそらく……。ヨドイン様、お気をつけください。あの者の強さは異常でした。単純な戦闘能力ならばハルガナ様よりも……」


 斥候達は暗部の隊長であるハルガナが鍛え上げた。その部下達がハルガナよりも強いと断言するということは、斥候達には相手の底を知ることができなかったと考えられる。

 だけどハルガナよりも強いともなれば、それはただの人間ではない。それこそ英雄や勇者と呼ばれるような存在だ。


「何でも良い。可能な限り思いつく情報を話すんだ。その情報を頼りに還らずの樹海まで撤退を行う」

「はい……。背格好は人間の成人男性ほど、槍は鉄製と思わ――」

「おい、どうしたんだ?」


 斥候が目を見開き、口をパクパクとさせながら僕の後方を指差す。その方向に即座に振り返ると、そこには僕の部下が複数人、地面に倒れていた。

 そしてその上、部下の体に何度も槍を突き刺す獣の毛皮を纏った男がいる。顔には面布を装備しており、顔は分からない。粗雑な作りの毛皮の衣装は、知性の低い牙獣族の猟師を彷彿とさせるような出で立ちだ。

 魔力の質を調べようにも、暗部のように完全にコントロールしているのか、虫程度の波長しか感じられない。

 僕達が面布の男を唖然として見つめている中、そいつは黙々と僕の部下達の四肢に槍を突き立てている。


「――っ!敵だっ!総員戦闘準――っ!?」


 僕が大きな声を出した途端、面布の男は槍を携えた姿勢のまま樹海の奥へと滑るように姿を消した。

 なんだ今の歩法は。あんな移動の仕方、見たことも聞いたこともない。暗部達は足音を殺し、無駄のない動きで這うように移動することができる。だけどそれでも多少は移動する姿勢というものがある。

 なのに面布の男は、立ったままの姿勢で、まるで床が動いているかのように樹海の奥へと消えていった。


「……ヨドイン様、急いでお逃げになってください」

「なにか分かったのか、ハルガナ」

「あの男の姿をヨドイン様と共に確認するまで、私は周囲の魔力探知を続けておりました……ですが何も感じなかったのです……っ!すぐ背後で、部下が倒されていることにすら気づけなかった……っ!」


 ハルガナがここまで感情を見せるのは初めて見る。それほどまでにあの面布の男が異常なのだ。

 面布の男がなぜ斥候を吊し上げ、僕らの前に置いていたのか、その理由が今なら理解できる。

 あれは視線の誘導のためだけにあったのだ。視線さえ外せば、あの男は暗部の隊長であるハルガナですら気づけない隠密術と歩法で接近し、僕らを一人ずつ襲うことができる。

 事実、斥候を救助している間に立っている兵の数が二十近くも減っている。二百人はいた僕の部隊が、既に百を切りそうになっているじゃないか。


「くそ、お前達、手練ではあるが敵の数は一人だ!全方向に視野を広げ、奇襲に――」


 備えろと声を掛けようとした最寄りの部下の方を見ると、先程の面布の男が倒れている部下の足首に槍を突き立てている。

 僕が反応し、魔法を放つために魔力を腕に溜めきった時には、先程の奇妙な歩法で樹海の中へと消えていった。

 僕がハルガナと会話し、部下に指示を出すまでの間に三人倒されていた。全員死んではいないが、意識を刈り取られていて、四肢の腱をしっかりと切断されている。

 近くの茂みを見ると、ワザとらしく僕の部下達らしき者の腕や足がはみ出していた。

 部下はまだ全員生きている。だけど全員が意識を取り戻しても自分の力で移動ができないようにされている。

 もしもその部下を救出し、撤退しようとすればまだ満足に動ける兵の半分以上の動きが制限されることになる。

 あの面布の男、それを分かっていて部下を殺さずに倒しているのか……っ!


「ヨドイン様」

「言われるまでもない。総員、動けぬ者は見捨てよ!今救助するよりも、撤退し再編してから助けた方が被害は少なくすむ!全滅したら誰も助からないぞ!」


 面布の男の異常性を部下達も察したのか、仲間を見捨てる命令に何一つ不満の色を示すことなく、残った全員が僕の周りに集まり移動を開始する。


「ヨドイン様……ご無事でっ!」

「無様でも良いから生きながらえていろ、お前達は僕の道具だ。必ず取り返す」


 意識の戻った斥候を樹木に寄りかからせ、その場に置いていく。普通ならば見捨てられることに思うことの一つや二つあるだろう。それが暗部上がりの斥候だとしてもだ。

 そんな彼らでさえも、あの面布の男から逃げるには自分を見捨てる必要があると即断することができている。

 まだ僕等は冷静な判断ができている。いや、冷静な判断をするしかない状況に追いやられているのだけなのかもしれない。



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