顔合わせ。その二
◇
ガウルグラート=リカルトロープ。獣の因子を持つ牙獣族を束ねる領主。
領主ではあるものの、内政等は姉弟達に全て委ねており、自らは実戦を要する仕事の最前線で日々活動している。
獣の因子を持つ牙獣族にとって、領主とは群れを率いる象徴。ガウルグラートはその象徴として、一族の歴史に名を残すほどの偉業をいくつも成し遂げている。
牙獣族の派閥争いでは自らが最前線を駆け抜け、それぞれの族長を単独にて撃破。
他の種族の派閥争いにも友軍として馳せ参じ、勝因の一つとしての活躍を誇示し続けた。
十三の領主のうち、最も前線で戦い、最も多くの功績を積んだ男。だからこそ、彼の強さは牙獣族だけに限らず、他の種族にも広く知れ渡っている。
さらに言えば、牙獣族は純粋な近接戦に於いて魔界の中でも上位の座を不動のものとする。魔力で理を構築することは得意ではないものの、その本能から呼び起こされる肉体の魔力強化の質は、幼少期の牙獣族でさえも熟練の戦士に匹敵するとされる。
魔法や特異性を封じての手合わせは、牙獣族にとっては有利でしかない条件。この条件下ならば天竜族でさえ牙獣族とは戦いたくないと顔をしかめることになる。
そんな牙獣族の頂点であるガウルグラートの強さは魔族なら誰もが知るところ。アークァスの前に名乗り出た時も、全員が最適な人選であると口を挟まなかった。
「悪くない。まだ動けるな?」
だけど今は皆、口を挟むどころか開けないでいる。
それも仕方のないこと。名を聞いたこともないようなインキュバスを相手に、あのガウルグラートが膝をついているのだから。
この異常に、直接戦っているガウルグラートも困惑していた。彼は手を抜くつもりなどはなかった。心を読んだ範囲では、ガウルグラートはアークァスを本気で殺すつもりこそなかったが、安直な挑発の対価を払わせようとアークァスの四肢を砕くくらいのつもりで挑んでいた。
「無論っ!」
起き上がりながら、ガウルグラートは自らの武器である大剣『豪斬牙』でアークァスの周囲を薙ぎ払う。
あの大剣は何世代か前の魔王が牙獣族に与えた武器。粗雑な作りで特異な力こそないものの、どれほどの扱いをしても折れない剛剣としてその名が知れ渡っている。
人間の成人男性、その倍近くあるガウルグラートの身長と同じ規模の金属の塊。それが音を斬り裂く速度で振られてくる。
魔力強化が未熟な者は、完璧に受け止めたとしてもその衝撃だけで肉塊に成り果てる。
自らを鋼鉄以上に強化できる者でも、その質量を抑え込むことは不可能。棒で球を飛ばす遊びのように、遥か遠くへと吹き飛ばされることとなる。
その伝説級の大剣による薙ぎ払いを、アークァスはただの鉄の剣で迎え撃つ。子供でも、少しばかり親の手伝いをすれば買えるような、処分セールで並んでいた市販の剣。
仮にアークァスが剣に神業にも迫る魔力強化を施せたとしても、元の剣の硬度から考えれば折れるのは必須。
だけどアークァスは剣に申し訳程度の魔力しか込めていない。せいぜい一般人が木に向かってがむしゃらに剣を叩きつけても、刃こぼれせずに済む程度の量。
「――っ!」
ガウルグラートは手応えのなさに、自らの大剣の刃を目でなぞる。その先、大剣の刃に、鉄の剣で
アークァスは大剣を受けてなどいない。剣に施した魔力で、ガウルグラートの大剣に帯びている魔力を掴み、乗り越えるように躱していた。
魔力で相手の魔力を掴む。魔法でもなければ特異性でもない。身体の魔力を操作する魔力強化の先にあり、鍔迫り合いになった時など、相手の剣を確実に払う時に使われる妙技。
その妙技を自らの手足の延長線としてアークァスは自在に攻撃をいなす。
「良い踏み込みだ。実戦と鍛錬、そのどちらも費やしてきた至高の一歩だ!」
「奇妙な技を……っ!」
ガウルグラートは自らの身体能力を余すことなく発揮し、嵐のような乱舞を放つ。だがそのどれもが届かない。アークァスの剣が触れた瞬間、勢いまでもが彼の回避行動のエネルギーとして利用されている。
ただ掴まっているだけならば、その体はしなる鞭のように振り回されてしまうが、アークァスは大剣の上を剣で滑っている。ガウルグラートの大剣が生み出す運動エネルギーを完全に無力化してしまっている。
「ハハハッ!それだけ振り回しておきながら、息もほとんど切れないか!凄まじい心肺能力だな!走り込みは十分か!良いぞ、もっとだ、もっと見せろ!」
ガウルグラートという極上の戦士を前に、感極まっているアークァス。女神である私ですらドン引きするほどにキマっていますね。
ガウルグラートは決して弱くない。果てしない鍛錬と、膨大な実戦の中で磨き上げられた戦闘技術を持つ天才が弱いはずなどありはしない。
だけどアークァスの積み重ねてきたものはそれらを遥かに凌駕している。
誰もが羨む天才の偉業に影を差すのは、異才、鬼才、奇才といった理解の範疇を超える独自性。
アークァス=トゥルスター。聖剣の乙女の一族、その中でも聖剣の乙女を継ぐ者を姉として育った者。
彼は聖剣の乙女の秘技を身につける姉の鍛錬を見続けてきた。その過程で幼いながらも武芸者が辿り着く『境地』へと足を踏み入れる。
その環境が恵まれていたことは事実。しかし境地へと踏み入ることは武術を極める者にとっては一つの過程にすぎない。昨今、達人と呼ばれた者達は例外なくその境地へと辿り着いており、目の前にいるガウルグラートもその一人。
ガウルグラートは戦いの中、正念場と言える場所では幾度となく自らの境地へと踏み込み、誰もが偉業と認める戦果を成し遂げてきた。
「ウグオオオッ!」
「髄にまで響く咆哮だな!腹からちゃんと出せているな!だが喉の通りが少し甘いな、発声練習はしてないのか!?肺をふくらませるイメージがコツだぞ!」
だけどこれは手合わせに過ぎない。今境地へと踏み入れているのはアークァスだけ。
そう、彼の異質さはこの境地への踏み込み易さにある。
武の境地へと踏み入った者は、その戦いにおいて本来のスペックを超える力を発揮することができる。それこそアークァスが今使っているような妙技も、境地へと踏み入り極限までに研ぎ澄まされた集中力があってこそのもの。
だけど境地とはいつでも自由に踏み入れられるようなものではない。
境地へと踏み込むには、極限が必要となる。集中、窮地、覚悟、その者にとっての特別な条件であることが、自らの能力のタガを外すトリガーとなりうる。
でもアークァスにはそのトリガーがない。あまりにも境地へと踏み込み過ぎていて、トリガーが馬鹿になってしまっている。
原因はシンプル。幼少期に踏み入った境地に魅入られてしまい、バカの一つ覚えのように境地への出入りを繰り返していたからだ。
寝ても覚めても境地へと踏み込むための鍛錬。気づけば日々の鍛錬でも容易に境地へと踏み込み、なんなら庭の雑草の手入れや夕飯の野菜を切る時にも境地へと踏み込むという、世界中の達人に土下座案件な暴挙っぷり。
自らの目的のために鍛錬を積み境地へと至った者と、境地へと至り続けるために鍛錬を積んだ者の違い。数回しか剣を握ったことがない者と、何度も剣を握った者並に差が出ていますね。
「どうした、剣に美味そうな焦りがトッピングされているぞ!?この涎を誘う隙は俺への献上品か!?俺のご機嫌をとって防御の鍛錬でもしたいのか!?」
というかこのバトルジャンキー、頭の中がハッピー過ぎていて心を読むだけで私の脳内がトリップさせられそうになっているのですが。
周囲の領主達もアークァスの強さに驚きを隠せない模様。それ以上に変貌っぷりに引いていますけど。
などと思っていると、アークァスが乱撃の合間を縫ってガウルグラートの膝へと刀身を叩きつけた。平然と予備動作もなく剣を当てにいっていますね。
刃は鉄塊のような鎧の前に阻まれ、広場には乾いた音が響き渡る。誰もが攻撃は通らなかったと思った矢先、何かが引き千切れるような音と共にガウルグラートの膝が崩れた。
「グッ、オオォッ!?」
ガウルグラートの唸り声や表情から、その痛みが尋常でないことは伝わってくる。あれも武の境地へと辿り着いたものが使える技、かつて使っていた者は鎧通しと名付けていましたか。
ガウルグラートの足の毛皮、皮膚、筋肉、骨、それらを覆う魔力強化の密度、そして鎧の硬度からなにまで完全に見極めた上で、的確に衝撃を届ける妙技。
しかもただ衝撃を届けるのではなく、彼はガウルグラートの魔力強化をずらすように衝撃を与えている。
牙獣族として天性の域にある魔力強化は、全身に最善最適の密度で魔力強化を施し、肉体を護る第二の鎧としても機能している。
それをずらされるということは、体内にその異常な密度の魔力の異物を出現させるということ。結果、その部位は不出来な魔力強化によって自壊させられてしまう形になる。
さっきの一撃では様子見程度だったが、今の鎧通しは完璧なもの。ガウルグラートは自らの足を、自らの魔力で引き千切らせられてしまった。
「どうした歴戦の英雄!四肢の故障は初めてではないのだろう!?剣を杖にしろ!そうすればまだ実質五体満足だ!その牙や爪は野菜スープを食べる時にしか使えないのか!?所望するのならば素手による肉弾戦に切り替えてやっても良いぞ!さぁ、立て!奮い立て!俺の体を奮わせる咆哮を上げろ!まだまだ楽しもうじゃ――」
「――参り……ました」
ガウルグラートの降参宣言に固まるアークァス。ただの手合わせで足の腱まで引き千切られたのだから、当然と言えば当然なのですが。あ、アークァスの脳内がすごい勢いでしょんぼりしていっていますね。
「……もう終わりにするのか?魔法や特異性も使って良いぞ?」
「技量の差は瞭然……。引けぬ戦いならばいざ知れず、ここで仮に獣としての力を解き放ったとて、死に様が幾分マシになるだけ。吾輩の完敗……でございます」
「――そうか。……そうか」
本気で落ち込んでいますね。負けた方よりも残念がっているのってどうなんですか。
ただ当人が戦いを見る専だと言っていた理由も頷けましたね。そりゃあこんなバトルジャンキーを楽しませられる相手なんてそうそういませんものね。
「御見逸れいたしました。先の無礼な発言……何卒ご容赦くださいませ」
「構わん。いや、構うか。では贖いとして、一つ命令を聞いてもらおうか」
「……なんなりと」
「名を名乗れ」
「……今、なんと?」
ガウルグラートを始め、周囲の領主達も多少の戸惑いを抱いている。今の手合わせではガウルグラートの攻撃は何一つ届かず、僅か数手だけで戦闘不能にまで追い込まれた。
新たな魔王候補の実力を見誤り、無様に膝を付かされただけだった。
それなのに、アークァスは名前を尋ねた。ガウルグラートはその真意を確かめるべく、困惑した表情でアークァスを見つめていた。
「名乗れと言った。手合わせを通して伝わったお前の武勇、見事の言葉に尽きる。俺の記憶に留めるに相応しい。お前の名と共にここに刻んでやろう」
アークァスは自らの胸に手のひらを当てながら、ガウルグラートに自らの本心を伝える。わりと本気で気に入っているようですからね、このバトルジャンキー。
そして牙獣族族には相手の本心を察することができる天性の直感があり、本気でその言葉を言っていることに、静かに感激を受けているガウルグラート。
「手も足も出なかった、吾輩ごときの名を……ですか」
「俺に惨敗したからといって、お前がこれまでに積み重ねてきたものが無価値になることはない。むしろお前はこの敗北を通し、俺に自らの集大成を示すことができたのだ、誇れ。敗れたことに負い目を抱くのならば、その想いを糧に精進せよ。俺以外に負けぬ限り、お前の名誉は誇り高きままだ」
「――カークァス……様っ!」
なんか魔王ムーブが上手過ぎませんかね、あのブロンズ冒険者。いえまあ、あの人の過去を調べていればそれなりに納得はできるのですが……。
聖剣の乙女の里を追放されたアークァスは、その後一人の男に拾われる。アークァスはその人物を師匠と呼び、様々なことを学んだ。
しかし彼が学んだのは剣術や魔術といったようなものではない。彼の強さは彼自身の異常性癖から派生した異常行動の結果でしかない。
アークァスが師から学んだのは会話術や交渉術を始めとする処世術。それも相手の心理を故意的に揺さぶることを前提とした、詐術にも繋がるような内容。
師の名前はセイフ=ロウヤ、現在進行形で人間界にて指名手配中の大詐欺師。
「牙獣族領主、ガウルグラート=リカルトロープ!只今よりカークァス様の配下となりて、御身こそ次期魔王に相応しき方であると、全力を以て支持させていただきます!」
『早速領主の一人を懐柔しましたか。見事な手腕です』
『えぇ……ちょっと仲良くなれたら良いかな程度だったんだが……牙獣族怖っ……』
ただ本人はそこまで自分の詐術に自信がない模様。彼を端的に紹介するのであれば……バトルジャンキーな天然詐欺師といったところでしょうか。
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