顔合わせ。その一
ウイラスがずかずかと人の寝室へと入る。特に見られて困るようなものはないが、他人に自分の部屋に入られるのはあまり良い気がしない。
「何もありませんね。闘技場狂いだから、記念品やら飾ってあるかと思いましたが」
「そういうものを買うくらいなら、もう一試合見たいからな」
そりゃ欲しい。闘技者を隔たりなく応援している立場としては、大会の記念品どころか、日常から販売しているグッズだって買ってやりたい。闘技者はそういった副収入を得ることで、余計な仕事を増やさずに鍛錬と試合に専念でき、良き試合へと繋がるのだ。
だが俺の稼ぎでは観戦することが精一杯。削れる食費も削りきったうえでこの体たらくなのだ……。
「闘技場なのですから、賭けにでも参加すれば良いでしょうに。貴方ほどの実力者なら、確実とまでは行かなくても、だいたいどちらが勝つかとか見極められるでしょう?」
「かー、これだから素人は……」
「あ、その手の界隈で面倒臭いタイプの玄人リアクションだ」
「うっさい。儲けるために金を賭けていたら、互いの選手を平等に応援できないだろ」
俺が求めているのは勝ち負けではない。そこで繰り広げられる戦いそのものなのだ。勝者も敗者も、そこまでに至る過程で蓄積してきたものを発揮し、魅せつけてくれる。俺はそんな彼らの集大成に人間讃歌を感じとることができるのだ。
そんな素晴らしいものに、先に繋がるからと金稼ぎのような邪念を入れるなど正気じゃない。
「多分正気じゃないのは貴方の方だと思いますがね。元々そういう娯楽でしょうに。まぁ何もない部屋なのは掃除の手間が省けるのでありがたいですが」
ウイラスはそう言うと、ベッドの隣の床に魔法陣を展開していく。
魔法陣は本来大掛かりだったり、コントロールが難しかったりする魔法などを安定して発動させるもの。
だから普通ならば魔力を通しやすい触媒などを利用し、寸法などを確認しながら丁寧に作るものだと師匠から教わったことがある。
だが流石はこの世界を創り出した女神。自分の魔力だけで魔法陣を展開し、床へと焼付けを行っている。この手の技術は魔法を得意とする冒険者なども用いることはあるが、ここまで複雑な魔法陣を一発で焼き込むようなことはまずない。
せいぜい魔物を誘導した先にある罠を起動するための仕組みとして、シンプルな魔法陣を焼き込むくらいのものだ。
「大したもんだな。こんなに大きな魔法陣を一発で仕上げられるなんて。転移魔法って結構複雑なんだろう?熟練の魔道士も依頼を受けてから数日掛かりで丁寧に仕上げるって話だし」
「褒めなくて結構ですよ。失敗したので」
「うぉい!?」
「久々に魔法陣を刻んだもので、ちょっとブレちゃいましたね。別の部屋使っても良いですか?あと二~三回練習すればいけると思いますので」
「人の家を魔法陣だらけにする気か!?」
結局魔法陣を床ごと削り、四回目で正しく魔法陣を刻み込むことができた。寝室にちょっとした段差ができてしまったが、元々魔法陣を何かしらで隠す予定だったし、後日上に被せるタイルでもこしらえるとしよう。
「転移の仕方ですが、こちらの指輪をどうぞ。魔法陣と指輪に同一の魔力を流し込めば、転移が始まります」
「媒介が別にもあるのな」
「何世代か前でしたが、うっかり魔法陣の上でクシャミをして、その力みで転移した魔王とかいまして」
「あー。普通は神殿とか、簡単に踏み入らない場所とかに用意するもんな」
物は試しと魔法陣の上に乗り、指輪と魔法陣に同時に魔力を流し込む。すると指輪と魔法陣が共鳴を起こし、周囲の景色が一瞬で別の場所のものへと切り替わる。
薄暗くベッドがあることから同じ寝室ではあるようだが、数倍は広く家具も趣味の悪さに目を瞑れば豪華なものであることが理解できる。
「ここは魔王城の一室。厳密に言えば玉座の間の裏にある魔王控室です」
「魔王控室」
「本来魔王は魔族から適任を選びますが、彼らにも私生活はあります。魔界の全てを背負い、この城に一生住み続けるのはそれなりに覚悟が要りますからね」
「なるほど。俺みたいに通勤できる形にしておけば、了承もしやすかったわけだ」
「それに、魔王だって一人になりたいときもありますからね。玉座の間を立入禁止にするのは士気にも関わりますし」
従業員室のようなものだと思うのだが、魔界を統べる王にもこういった部屋があるのだと思うと、急に身近に感じれるようになってきたな。
過去の魔王達とか、ここにある姿鏡とか見ながら気分の切り替えとかやっていたのだろうか。一人くらいやってそう。
姿鏡といえば、俺いつもの冒険者風の格好なんだけどこんな姿で大丈夫なんだろうか。そもそもウイラスもいかにも女神ですって格好なんだが――
「ってなんで脱いでるんだよ!?」
女神の格好どころか、服を脱ぎだしていたウイラスに、思わず自分の上着を投げつける。
「痛い……。なんでと言われましても。この格好で魔族達の前に出れるわけないじゃないですか。――ああ、大丈夫ですよ。これ下に邪神の衣装着ていますので」
「ほぼ下着じゃねぇか!?」
「材質的には水着に近いですよ。やはり魔界を生み出した邪神として、多少のヒール感は出していきたいところですからね。よいしょ」
よいしょと言いながら、どこからともなく出した角を頭に装着するウイラス。あれ、どういう仕組でつくんだろうか。まあ角が生えていれば、魔族っぽさはグンと上がるが……って、肌の色が急に青白くなってきた!?
「え、それどうやってるの?」
「体の中にある魔力の属性を反転させただけですよ。普段は光属性ですが、闇属性に変えると肌の色素なども多少変化しますからね」
「なんでもありだな……」
「貴方もほら、早く着替えないと。その格好で出たら斬りかかられますよ」
「ですよね。って着替えがあるのか?」
ウイラスが指し示す方向に、衣装箪笥を発見。中を開けてみると、なんか雰囲気のある衣装や鎧とかが大量に収納されている。鎧って衣装箪笥に入れるようなものだっけ?いや、それ以上に中が物理法則を無視していることにツッコミを入れるべきだろう。
「これ、異空間に繋がっているのか?」
「はい。歴代の魔王の中に格好に拘っていた方がいましてね。自由に衣装や鎧を作らせていたら置き場所がなくなりまして。なので特別に拵えた経緯となっています。貴方の分の角、こちらに置いておきますね」
「あ、ああ……」
ざっと見て衣装と鎧、それぞれ百着くらいないか?魔王の役目を果たしつつ、これだけ作れるというのは……よっぽど暇だったのだろうか。それはそれでありがたい話である。
しかしどんな衣装にするか……魔王になるからと言って、初手からゴテゴテしい格好はしたくない。
辺鄙な田舎暮らしから、日陰者のような生き方、そして今は貧乏な冒険者というのが俺の半生なのだ。とりあえずこの辺の動きやすそうな服と、軽装の鎧の組み合わせで良いだろう。
中が異空間に繋がっていることを活かし、更衣室代わりにと中に入ってそそくさと着替えて外に出る。
「着ようとしたら勝手にサイズが変化したんだが……」
「魔王が創り出した衣装や鎧ですからね。後世の魔王達が着れるように配慮してくれたのですよ」
「ありがたい話ではあるが、魔王の鎧とかの特別性はないのな」
「そこはほら、隣の宝石箱に入っている宝石やアクセサリーでエンチャントごとカスタマイズできますので」
「抜かりないのな」
「勇者相手には全員抜かっていますがね」
「言わないでやれよ……」
ウイラスからもらった角を手に取り、少しだけ眺める。適当に頭に付ける感じで付くのだろうか……あ、ついた。なんか元々生えてますよと言わんばかりにしっかりとくっついている。むしろ引っこ抜こうとしても痛みを伴うだけで全然抜けない。
「これ呪われたアイテムとかじゃないよな?」
「外れろと強く念じれば外れますよ」
「あ、ほんとだ」
人間界での生活を考えると、顔は隠した方が良いよなと、地味な感じの仮面を一つ手に取り装着する。どうやらこの仮面も角と同じく、自分の意思でしか外れないようになっているようだ。便利だなと思いつつ、適当に着替えを済ませていく。
「肌の色は大丈夫なのか?」
「そのくらいの肌の魔族もザラにいますからね。問題ないですよ。ご希望なら私と同じ様に魔力の属性を変えてあげますけど」
「戻すのも大変そうだから遠慮しておくわ……」
相手の魔力の属性を変化させ、体調を崩させる呪いがあるくらいだし、多分普通の人間が魔力の質をガラりと変えるのはよろしくないはず。顔も隠して角も生やしたわけだから、変装としては十分だろう。
ウイラスの方も同じ顔のはずなのに、女神っぽさは微塵もない。体の至るところに模様まで浮かべており、悪魔や淫魔っぽさを彷彿とさせるが、しっかりと邪神っぽい格好になっている。
「さて、準備も終えましたし、ちょっとだけ追加説明をしておきましょう」
「ん、ああ」
「ここ魔王城は魔界の最奥にあり、その周囲には魔族達が管理している領土があります。そしてそれぞれの領主の住む館には、この城に直通する魔法陣を刻む権利が与えられており、それはそこの魔法陣と連動して起動する形となっています」
「ふむふむ」
未だに輝きを維持している魔法陣を見ると、中央の大きな円、そしてその周囲にある十三の小さな円が一際発光しているのがわかる。おそらくはその領主の館にある魔法陣と連動していることを示しているのだろう。
「今回は通常の転移でしたので、全ての領主の元に私達がこの城に現れた旨が伝わっています。なので今頃全員この魔王城へと転移してきていることでしょう」
「悠長に着替えていて大丈夫なのかと思ったが、領主達の支度のことを考えると多少遅いくらいの方がいいのか」
先の勇者と魔王との戦いからもう百年は経過している。魔族の平均年齢がどんなものかは知らないが、領主達の顔ぶれがまるで変わらないということはないだろう。
先代や先々代から引き継いだ領主の地、そこにある魔法陣が突如起動すれば慌てる領主もいるだろう。外出中だったりしたら、なおさらの話だ。
いつ起動しても対応できるように連絡体制を整えていたとしても、心構えとかもあるだろうしな。もう少しくらい雑談をして時間を潰してあげた方が良いのかもしれない。
『それと、玉座の間で私個人に話をしたい時は、このように念話を使うようにしておいてください』
「うおっ!?」
ウイラスは唇を少しも動かしていないのに、俺の脳裏にハッキリとウイラスの声が響いてくる。これはあれか、この取り付けた角を媒介に念話をできる状態にしているのか。
色々と細かい話を合わせるのは大変だから、先に打ち合わせを済ませておくのも悪くないと思っていたが、これなら都度確認する程度で済みそうだな。
『ええと、こんな感じか』
『はい。まー、基本的には私が説明とかしますので、適当で良いですよ』
『それで良いのかよ……こちとら人間界に生まれた人間なんだぞ。常識とか認識のズレとか色々あるだろう?』
『大丈夫ですよ。魔族の中には人間界に潜み暮らす者もいますからね。そういった人生を歩んできた者として紹介すれば手っ取り早いですから』
なるほど。人間として聞き捨てならない発言ではあるが、確かに人間界に魔物や魔族が現れる事例はそれなりに聞いたことがある。
魔界からやってきたと思いがちだったが、最初から人間界を根城として活動している連中もいるということか。なら魔界の情勢に疎くても怪しまれる要素にはならないな。
『魔族と魔物の違いくらい認識していれば大丈夫ですよ』
『それは大丈夫だ』
魔物は魔界で生まれた生物の総称で、魔族とはその中で自我や知能を獲得できた個体のことだ。
人は人として生まれ、人のまま成長して死ぬ。だが魔族は魔物として生まれ、強い個体のみが進化して魔族となる。
魔族となったものは下位の種族を支配し、軍勢を作り、縄張りを作り独自のコミュニティを構築する……そんな感じだったはず。
人間の基準で言えば人語を話せれば魔族、それ以外は魔物として認識している。
『概ねその通りです。補足として、有力な一族にもなれば、生まれた子も始めから高い素質を持つ魔族として生まれることが常となります。例外もありますけどね』
『色々家族事情が複雑になりそうな話だな』
魔物上がりの魔族からすれば、自分の子が最初から魔族としての素質を持って生まれれば喜ばしいことだろう。だが逆に有力な魔族の一族で、魔物として生まれた子は劣等者としてのレッテルが貼られそうだ。
子孫を魔族として安定させるのに必要なのが年月を重ねた才能の血筋だとすると、各地の領主達も血統周りのプライドは高いのだろう。
『さて、そろそろ行きましょうか。私が話をつけますので、貴方は適当に雰囲気でも出しておいてください』
『雰囲気ってどうやって出すのさ』
話を無視してウイラスが扉を開く。するとその先の部屋からいくつもの異なる魔力が流れ込んでくる。
多少の鍛錬を積んでいれば、誰もが一級品だと認める洗練された魔力。それが幾重にも混ざり合い、部屋を埋め尽くしている。
視界には玉座らしきもの。その玉座のある位置の背後に一本の細い通路があり、そこが魔王控室と繋がっている形だ。劇場のそれと似ているな。
ウイラスと共に玉座の方へを歩いていくと、無数の意識がこちらに向けられるのがわかる。
玉座の正面には既に十二の魔族が跪く姿で控えていた。
鉄塊のような鎧を纏ったウェアウルフ、燃え盛る炎のような角と艶やかな鱗を持つドラゴニュート。
お前が魔王じゃねーのって格好のヴァンパイアもいれば、なんか凄くエロいサキュバスっぽい奴とかもいる。
魔族としての進化からか、人型に近しくはあるのだが、それぞれが別の因子を持っているように感じられる。
『はい、その通りです。魔族は四属性、火、水、風、土の因子を持つ四族から派生し、それぞれが異なる因子を得て今の姿となっています』
『闇の因子とか、そんな感じ?』
『いえ、闇属性の魔力は魔物達の因子による進化に影響を与えているだけです。純然たる光や闇は生物にはあまり良い影響を生みませんから』
確かに完全な光属性や闇属性に染まっている存在は聞いたことがない。女神の使いとされる天使達も、光属性と四属性を持つとか、教会の神官さんが話していたのを覚えている。
だからこそ純然たる闇属性に染まっているウイラスが邪神なのだと、ここにいる者達は確信を持って跪いているわけだ。
そう、彼らはウイラスに跪いているわけであって、俺に対しては嫌悪のような意識すら向けられている。
「面を上げよ」
『口調違わない?』
『魔族は雰囲気を大切にする傾向がありますからね』
ウイラスの言葉に各種族の領主達が顔を上げる。練習したわけでもないのに、全員が同じように動くのは中々に壮観だ。
「久方ぶりではあるが、皆よく揃った」
『なんかそこ、一箇所空いてない?』
若干気にはなっているのだが、なんか妙に一箇所空いている場所があるんだよな。なんか床に水晶っぽいの転がっているし。
『そこは忌眼族という種族の領主の場所ですね。あの種族、いるだけで他の種族に悪影響を及ぼしますから、特例で水晶越しの対話を許可しています』
『そんなのいるんだ』
名前的に魔眼持ちの種族なのだろう。魔眼の中には見てしまうだけで呪いを受けるものもあると聞く。領主だからといって、誰もが魔眼に耐性があるわけではないのだろう。
人間界にも異なる種族というものはいるが、魔界ではより一層違いが大きいようだ。あの馬鹿でかい二足歩行の虫みたいな奴とか、口とか虫のそれなんだが、どんな風に喋るのやら。
「さて。今日、言の葉を紡ぐ者は誰か」
「私めでございます。我らが創始の女神、ワテクア様」
『普通に喋れるんかーい』
『私にツッコミいれないでください』
仮に喋れるとしても、人語を真似する魔物とか、語彙力の足りないゴブリン的な感じかと思ったのに、凄く舌が回りそうな喋り方だ。いや、それよりもワテクアが女神?
『創世記としては同じ流れなのですがね。ただ魔界を創り出したのはワテクアとしての私ですから。魔界の者達にとってはワテクアが創生の女神なのです』
『なるほど、魔界からすればウイラスは旧世界の神ってことなのか』
『はい。魔界では旧神ウイラスと呼ばれていますね』
光属性に満ちた人間界から生まれた魔界、魔界から生まれた魔族。彼らから見れば人間は旧い人類であり、ウイラスも新たな世界を拒もうとする旧神とみなされるわけだ。
人間界と魔界、何かしら和平の道とかもいけないかと考えてはいたが、この意識の差は互いの世界にとって埋めがたい溝になりそうだ。
「今回、何故招集をかけたのか。説明は必要か?」
「――その意味を察せぬ者はここには居りませぬ。しかし恐れながら、ワテクア様。貴方様の真意が宿るお言葉がなければ、我々では何をするにあたっても決断しかねます」
「そうか、ならば告げよう。次なる魔王を選んできた。名は――」
『まさか本名を言わないよな?』
『……え、ダメですか?』
『ダメだよね!?ブロンズ止まりの冒険者だからって、人間だってことは隠すんでしょ!?』
『えー。じゃあ適当に名乗ってくださいよ』
打ち合わせを適当で済ませたことを早速後悔し始めている。名前名前……とりあえず名だけで良いか。
「――カークァス、だ」
『ほとんど本名じゃないですか』
『やかましい。いきなり言われてオリジナリティ溢れる名前が思いつくかっ!』
この念話、直接口で会話するよりも短い時間で意思疎通が取れるという点では、非常に便利な代物だな。緊張感とか微塵もなくなるが、そこは使い手次第か。
それはそうと、名乗りを上げた瞬間。刺すような視線が一斉にこちらへと向けられている。品定めを含め、様々な意思が含まれているようだが、好感触なものはほとんど感じられない。
「……ワテクア様。失礼を承知でお尋ねさせていただきます。その者、角こそ生えておりますが、身に流れる魔力、体の匂い、明らかに人のものかと存じますが」
『あ、人間の匂いを残したままでした』
『うぉぃ』
認識や常識とかの話じゃなかった。そうだ、こいつらは魔界の地を統べる領主達。俺の魔力の質くらい余裕で看破できるだろうよ。
匂いまで判別できるのは……そこにいるウェアウルフくらいはやりそうかなとは思うけど、まさか虫に指摘されるとは。いや、でも虫も匂いを辿る生物であることには違いないのか。
『まぁ貴方についての説明がてら、適当に誤魔化しますよ』
『頼むぞ本当に……』
「カークァスは淫魔、インキュバスだ」
『うぉぃ!』
「……ほう、インキュバスと」
虫野郎が首ごと視線を横へと向けると、なんか凄くエロいサキュバスが小さく首を振る。
恐らくはその方面に顔が広いとかそんな感じで、ワテクアに魔王として推薦されるくらいの器なら知っているのではという確認なのだろう。
「知らぬのも道理だ。この男は人間界で生まれ、人間界で育った『外れ者』だ」
『なにそれ』
『魔界の魔族の情報は基本的にそれぞれの領主が管理していますが、人間界に渡って生きている魔族については足取りを完全に捕捉しきれていません。領主達の影響下から離れて生きている魔族達のことを外れ者と呼ぶのです』
「外れ者ですか……。ですがその匂いや魔力は――」
「人の精気を喰らい、人の中に溶け込み続けるにあたり、カークァスは人間と寸分違わぬ性質の魔力を内包できるようになっている。獣の鼻、精霊の目、人の心、どれを持っても見抜けぬほどにな」
まあ完全に人なんだから人にしか見えないのは当然なんだけどもね。悪くない設定ではあるが、それでもインキュバスて。せめてこう、悪魔よりな感じで紹介してもらった方が良かった気がするんだが。
「なるほど……面白い性質を持っているようで。ですが僭越ながら、その決定には問題があるかと思われます」
「ほう。なぜ我々領主の中から選出を行わなかったと言いたげだな」
「……ええ。我々はどの種族においても、過去に例を見ぬ天賦の才を貴方様から与えられました。ゆえに我々は過去のように自らの我欲に捉われることなく、貴方様から与えられた宝とも言える力を無駄に消費せぬよう、黙してこの日を待ち続けてきたのです」
魔王軍内での優劣を決める小競り合いが起きなかったのはそういうことか。どの種族も歴代最強の勇士が生まれたものだから、その奇跡に意味があると信じてしまっているわけだ。
そしてその奇跡を起こせるのは、魔界の神であるワテクアを除いて他にいない。自分達の神が均等に与えた力、それを無闇に消費するよりも準備を粛々と整えて魔王の任命を待った方が良いと共通の認識を持ったのだろう。
そりゃあ一斉に天才が生まれたら、その中の一人を魔王にするつもりなのかもしれないと邪推するのは仕方のないことだ。
『まあ実際は偶然と奇跡のオンパレードだったのですがね』
『どうするのさ。全員納得がいかないって顔してんぞ』
「ふむ……」
ウイラスは少しだけ目を細め、虫野郎とその他を一瞥する。まあウイラスもこのへんまでは想定内といったところ、ここからどう丸め込めるのか見ものではあるな。
『……万策尽きましたね』
『うぉぃ!?お前は一つの策を万策と呼ぶのか!?』
『私の言葉ですよ?万倍の価値があって然るべきです』
この女神、俺をインキュバス扱いすればそれで済むと本気で思っていやがったのか……。いや、本来は全員から崇められるような存在なんだし、それでいけなくもなかったんだろう。
だけど今回は腑に落ちない点が多すぎる。納得を与えないまま押し通すのには無理があるというものだ。
このままノープランの適当女神に任せるのも不安だし、こちらでやれることをやるとしよう。
『量より質を語るなら、せめて成果をだな。……まあ良いや、適当に話を丸めれば良いんだろ?』
『できます?女神的にちょっと準備不足を感じているところですが』
『女神じゃなくても準備不足だと思うけどな。まずは適当に口を開いてくれ』
『……?』
ウイラスが言われるままに口を開こうとするのに合わせ、制止の手を出す。こういうのは演出もそれなりに必要だ。
絶対服従までとはいかないが、ここにいる領主達は皆ウイラスを女神ワテクアとして多少なりとも敬う気持ちがある。そのワテクアの言葉を遮って前に出るという行為は、良くも悪くも強い印象を与えられる。
もっとも、現状では確実にマイナスのイメージが悪化するだけだろう。だがそれで良い。マイナスからのスタートの方が時間を掛けられるというものだ
「ワテクアの機嫌を伺いつつ、望ましい展開へと誘導するのは手間だろう。俺が話を単純にしてやる」
「貴様……っ!」
ワテクアと呼び捨てにしたことに対し、虫野郎を始めとした数名が怒気を通り越して殺意すら向けてきている。やはり一級品の殺意というのは研ぎ澄まされていて、チリチリと肌に刺さる感じが心地よい。
「そう滾るな。ワテクアの独断で俺が魔王として君臨してしまうことは、ここにいる誰もが不本意に思うことだろう。だが安心しろ。俺はこの話を受けはしたが、正式な手続きを済ませたわけではない」
「……っ!?」
「当然の話だ。この中で俺こそが魔王に相応しいと諸手を挙げて祝福する者はいるか?いるなら挙手しろ、その狂気が日頃の過労からくるものだと暫しの休暇を勧めよう。いるわけがないな?ここにいるのは歴代の領主の中でも最も秀でた者達。どこからともなく湧いた存在に、全てを委ねられるほど安い存在ではないだろう」
当たり前の正論を、雄弁に語ることに大した意味はない。話の通じる相手であり、都合が良く、上手くことを運べば思い通りにできる相手だと間接的に認識させることができればそれで良い。
「だが俺がワテクアに魔王に相応しいと選ばれたことも事実。創生の女神の判断を、我々の判断だけで無視するわけにもいくまい?ゆえに俺はワテクアと話し、試用期間を設けることにした」
「試用期間……だと?」
「そうだ。俺が仮初の魔王としてこの魔界を統べ、ワテクアの選択が正しかったのかを見極める期間だ。判断するのは俺でもなければワテクアでもない。十三の領地を任されているお前達だ」
もしもここで口八丁が上手くいき、俺が魔王として認められてしまえば、準備万端の魔界はすぐにでも人間界に総攻撃を始めることになる。
そんな状態を無理に引き延ばそうものなら、どうやってもボロはでる。ならば俺が魔王として認められるまでに時間を必要とする状況を作れば良い。
認められなくとも、試用期間分の時間は無駄にできる。
認められたのならば、信用のある魔王として上手く時間を稼ぐ策を練れば良い。
「……期間はどれほどだ?」
「お前達で決めろ。ワテクアの顔を立てられる範疇で、好きにすればいい」
ワテクアの前でそう言っておけば、少なくとも呼び捨てにしたことに憤慨している連中は極端に短い期間を設けることを良しとしないだろう。少なくとも試用期間として妥当な時間を設け、そこに多少の色が付く程度とみる。
「お前達で決定した期間が過ぎ、俺が魔王に相応しくないと判断した場合、好きな奴が名乗り出ろ。先着順で一人ずつ相手になってやる。俺に勝てば、俺の推薦という形で次期魔王候補の座をやろう。これらのことは既にワテクアにも了解をとってある」
『初耳ですけどね』
そらそうよ。今さっき考えた内容だもの。
「――試用期間を設け、その適性を見極めさせると言いながら、最後は実力で奪えというのはどうなのだ」
「どこぞのインキュバスごときに遅れを取る者に、魔王の座を任せたいのか?」
「……要らぬ問いであったな」
事例を作ることは有意義だ。なぜならこうすれば俺が魔王の座を奪われても、次の者達が新たに魔王の座を奪い合う可能性が生まれる。ワテクアの了解を得て、魔王の座を奪い合えるという事例は魔界の足を引っ張るには十分過ぎる成果とも言えるだろう。
まあ満場一致で代表とかを選出されたら、どうしようもないんだけどな。それはそれで、どうにかすれば良いし。
「そうそう。これは俺の試用期間でもあるが、同時に俺がお前達を見極める期間でもある。俺が仮初の魔王だからと無駄に反発し、全員の足を引っ張るような輩は、その後に自分の席が残るとは思わないことだ」
「……言われるまでもない」
「愛想よくする必要はない。自分の役割を果たせていればそれで良い」
全員が領主の仕事をボイコットし、治安が乱れたのを俺のせいにされても困るしな。最低限の釘は刺しておく。
「さて、せっかくこうして領主達が集まったことだし、ワテクアに選ばれた資質くらいは今見せておこうか」
軽く周囲を一瞥し、楽しむような笑顔を作り、小さく手を上げて見せる。
「一人、この中で純粋な武芸、魔力強化に秀でている自負があるものは前に出ろ。軽く手合わせといこう。魔法を始め特異な力は一切使用しない、完全なお遊びだ。もしも俺から一本取れたら、試用期間の間も将として採用する。ついでに俺を殺せたら、次期魔王候補の座もやろう」
『えぇ……』
空気の質が少しだけ変化する。一先ず話が丸く収まり、今後のことを考えていた領主達の前に、突然次期魔王候補の座を獲得する機会が生まれたのだ。
自分が魔王に任命される可能性があると自負していた者達ならば、この話を聞かなかったことにはできないだろう。
「吾輩が相手になろう」
地を揺らしながら前に出たのは、鉄塊としか表現できないほどにゴツい鎧を纏ったウェアウルフ。さっきどさくさ紛れて殺気を飛ばしていた者の一人だ。
銀色の滑らかそうな毛並みをちょっと撫でてみたいが、そんなことを言えそうな空気ではない。
「良い決断の早さだな」
「吾輩の名は――」
「要らん。覚えたくなったら聞く。それまでその口は閉じていろ」
「――承知した。口だけは開けるよう、配慮させていただくとしよう」
おうおう、声にドスが効いてらっしゃる。やっぱりインキュバス相手にこんな挑発されたら効果抜群のもよう。
「ここでやっても構わないが……ワテクア。この城には手合わせをするのに手頃な場所はあるのか?」
「――階下に決闘用の広間がある。せいぜい見応えのある余興にしてみせることだな」
『邪神っぽい口調、似合っているじゃないの』
『貴方こそ、魔王っぽい佇まい上手じゃないですか。ですが大丈夫なのですか?相手は近接戦に秀でた牙獣族ですが』
『まあ、な』
魔法や訳のわからない特異性を使われるよりかは、シンプルに強いヤツの方が楽だからな。単純な手合わせなら、余程一方的にでもならない限りは勢いのまま殺されることもないだろう。多分。
『多分て』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます