女神の来訪、そして魔王に。そのニ

 

 なんか女神様が空間に透ける板を創り出して、何かしらの図を見せる。これはあれか、一部の商人とかが統計とかで使っている、数値を可視化したグラフとかいうやつ。

 でもおかしいな、昔見せてもらったやつとかもっとこう、円の面積の割合の比較とかでわかりやすく描かれていたような気がするんだが……。なんというか円に一本の線が引かれているようにしか見えない。


「こちらの細い線が人間側の戦力となります」

「数十倍とかじゃ済まなくないか!?」

「はい。万が一にも人間側に勝ち目がありません。勇者と魔王の戦いに決着がついても、この戦力差ならとりあえず侵攻すれば人間を滅ぼせます。ちなみに魔王軍の幹部候補になりそうな者達の中には、この事実に気づき始めています」


 冒険者の中には魔界を偵察する依頼を受けるやつもいる。魔界にも人間界の状況を偵察しているやつくらいいるだろう。

 それで『あれ、これ楽勝じゃない?』という観測結果が出始めているということだ。下手をすれば魔王とか勇者が表舞台に出る前に仕掛けるような魔族も出てくるかもしれない。


「どうしてこんなことになったんだ。元々は上手く調整できていたんだろう?」

「そうですね。ざっくりいうと、偶然の重なりのせいですね。魔族の各種族から歴代最強が誕生し、兵糧は各地で過去類を見ないほどの大豊作。本来は魔王が現れる前に、魔王軍での地位を求め、ある程度種族間で争うはずなのですが、今回はほとんど無血の状態で魔王を迎えられるまでに団結しています。他にも諸々、あらゆる要素が理想の斜め上をいっている形です」

「うわぁ……」

「対する人間界は各国が半端に足を引っ張り合い、戦争にまでは発展しないことによる慢心、各地の凶作によって各国の兵力の確保が過去最低レベル。各組織のトップは不正や悪質な方法で成り上がった不適正者によって腐敗気味。他にも諸々、あらゆる要素が想定の斜め下をいっている形です」


 あー、師匠が最近あちこちのギルドでキナ臭い動きがあるとか言ってたなー。凶作の話も過去の蓄えがあるから、今年さえ乗り切ればなんとかいけるって話も聞いたことがある。生きる上でなんとかいけるということは、それ以上に消耗する余裕がないってことだ。


「……詰んでない?」

「まだギリギリセーフですかね」

「嘘だぁ……」

「嘘ではないですよ。この水晶が貴方を示した。つまりはまだ貴方が魔王として頑張れば、人間が滅びずに済む可能性が残っているということです。私以外の神の力で保証しているのですから大丈夫です。多分」

「多分は抜いて?」


 おおよその話は理解した。おそらく掘り下げていけば人間界側が不利になった理由もボロボロと出てくるのだろう。

 要するにこの女神の話を信じるのであれば、人間界は未曾有の危機に直面しているということになる。

 仮に勇者が優秀でも、個で全てを護るようなことはできない。星の半分が魔界なのだから、適当に見積もっても戦線は星の直径分はあることになる。

 いや、そもそも勇者ってまだ決まってないよな、この様子だと。


「はい。勇者は最終調整の段階で誕生させています。魔界軍のレベルに合わせて加護の力を調整する予定です」

「へぇ、それじゃあかなり強い勇者とかも誕生させられるんだな」

「はい。ですがもしもこのままで人間界を救えるとするのならば、神にも匹敵するような勇者を生み出さなければなりませんね」

「勇者単体だけで調整していく感じなんだ……」

「女神としても、邪神としても、私が干渉できるのは勇者と魔王だけですからね。星そのものに問題が起きればその限りではありませんが、原則的にはノータッチです。神の干渉なんて本来はない方が良いんですよ」

「進行形で干渉してない?」

「貴方は魔王候補ですから。今回の状況は私の干渉できない範囲での偶然の重なりの結果なのです」


 こんな絶望的な状況を単体でどうにかできる勇者が誕生するとして、そんな化物の戦いの余波ってどんなものになるんだろうか。

 そもそもそんな勇者が暴れたら、魔界の方が滅ぶんじゃないのか?いや、そっちの方は割とどうでも良いんだけど……それはそれで人間界の未来が心配になる。


「本当に色々と危うい状況ではあるのですよ。たとえばここから南に行くと樹海がありますよね」

「ん、ああ、あるな。その先を抜ければ魔界だろ?」


 人間界と魔界の境界線の大半はどちら側も簡単には通れない地形となっている。断崖絶壁だったり、荒れ狂う海だったり、一度入れば抜け出せない大樹海だったりだ。

 今となってはこの女神様が不用意な争いが起こらないように配慮した地形を用意してくれていたのだと分かる。


「実は魔界側にも同様、いえ、それ以上の樹海があるのですよ。通称『還らずの樹海』、木々が意思を持ち、人間だろうが魔族だろうが一定以上の大きさの生物を襲い、養分にしてしまう。人間界でも立入禁止区画として認定されている場所です」

「……ああ、知ってる」

「その還らずの樹海がですね、どういうわけか七割方死滅しておりまして。下手をすると魔界軍の移動ルートとして利用される可能性があるのですよ」

「――へぇ」


 目を逸らす。ウイラスは真顔のままこちら側へと詰めより、俺の顔を見つめている。


「アークァス=トゥルスター。勇者が女神ウイラスから与えられた聖剣、それを代々護り続けてきた歴代の聖剣の乙女……その一族の中に生まれた男。聖剣を護る清らかな聖域として作られた村では、男として生まれた貴方は元服の儀式として村の外へと追放され、身分を隠して生きることを命じられた」

「……追放って言い方は良くないな。別に見捨てられたわけじゃないんだから」


 古くからの風習で、成人以上の男は存在してはならないとされている村。確かに俺はそこで育ち、十二歳にもならないころに村の外で生きるように言われた。

 だからといって、追放という言い方は間違いだ。多少の生活費は貰えたし、村の周囲には同じ一族の男達が独自のコミュニティネットワークを構築しており、村から送り出された男の面倒を見てくれるのだ。

 もちろん俺も一人で生きていけるようになるまで世話になったし、なんならそこで師匠とも知り合った。


「そうですね。貴方にとって出自はそこまで問題ではないですよね。問題なのは今の生き方の方ですから」

「うぐっ」

「成人し、冒険者となった貴方はここ、グランセルド国にあるパフィードの街に定住した。理由は二つ。その一つが魔界に近いということ。貴方、この数年間、異様な頻度で還らずの樹海に入り込んで鍛錬していますよね?魔界の食人植物相手に」

「……ハイ」


 俺は三度の飯より鍛錬が好きだ。鍛錬の中で自分と向き合い、感覚が研ぎ澄まされていく境地を知ってからというもの、暇さえあれば鍛錬をしている。

 小さい頃からそうだったが、以前に住んでいた街の近くにあった森の大半を丸裸にしたことを師匠にこっぴどく叱られた。

 木々でそうなのだから、生き物相手ではもっと酷いことになることくらいは重々承知していた。

 だからといって、何も試し切りできないのでは鍛錬にならない。なので人の入らない樹海が近いパフィードの街へと引っ越したのだ。

 最初は近場の樹海で鍛錬していたのだが、近くを猟師が通ったことがあり、もう少し奥へ、奥へと鍛錬の場所を移していった。


「そして還らずの樹海に入り込んだと」

「……ハイ」


 そこにあったのは俺にとっての理想郷だった。動くものに無条件で攻撃を仕掛ける生きた植物。ただそこにあるだけの木々とは違い、実戦さながらの鍛錬ができる環境だったのだ。

 俺は歓喜した。誰も寄り付かない魔界の樹海の中、思う存分に鍛錬に明け暮れた。時には食料を持ち込み、一ヶ月ほど住み込みで斬り続けた日もあった。


「あの樹海、結構な再生力もあって、魔界の者達も除去を諦めていたレベルなんですがね。なんで再生不可能なレベルにまで伐採してくれているんですか」

「いやその……斬っているうちに、どう斬れば全体に影響を与えられるのかとか……閃きまして……」

「確かに不特定な位置にコアはありますけど、全部のコアを破壊して整地してまわったわけですか」

「魔界の植物だし、別に誰も困らないかなと思いまして……」


 言われてみれば、あの樹海があれば俺のように対応できる者ならいざしれず、隊列を組んで移動する軍隊での通行はほぼ不可能だろう。

 樹海はまだ残っているにはいるのだが、寝床を確保する目的から始めた伐採作業で内側からくり抜くような形で伐採してしまっている。

 多分本気で作業すれば道を開通するのにそう時間は掛からないだろう。あの植物共、コアを砕いたら勝手に枯れ果てるもんだから、死骸をどかす必要もなかったんだよな……。いや、楽しかったなぁ……。


「わりと深刻ですよ。魔界側の軍が人間界に侵攻するには、人間界側が警戒している場所を正面から突破するか、各地の魔境を突破する必要があるのですから。安全に通れる陸路を確保してしまったわけです」


 よもや人間の滅亡の危機となる偶然の重なりの一つに、俺個人の行動が含まれているとは……思いもしなんだ。


「修行が絡むと後先見えないタイプですね」

「……あの、女神様の方でどうにかなりませんでしょうか」

「私が干渉できるのは勇者と魔王だけと言ったでしょう。責任は自分でとってください」


 自分の犯した罪の責任は自分で取れ。ろくでなしの師匠の言葉の中で感銘を受けた数少ない言葉だ。だが今はその言葉がとてもチクチクしている。

 俺がやらかしたことは理解している。だからこそ素直に話を受けるべき……いや、いくらなんでも話の規模が大きすぎる。

 そもそも魔王になるって、魔界に引っ越すってことだよな?そうだ、それはダメだ。俺にとっての生き甲斐を奪われるくらいなら、いっそ人間なんて滅んでしまった方がマシだ。


「もうちょっと大きなスケールで人間を見捨ててもらえませんかね。ただの闘技場観戦でしょう、貴方の趣味」

「ただのとはなんだ!ただのとは!異なる思想はあれど、自らの武の境地を目指す者同士が、日々鍛え上げた肉体と技を競い合う、人生の縮図とも言える光景を見れるんだぞ!」

「うわ……。私のような絶世の美女になびかないと思ったら、想像以上のバトルジャンキーでしたか」

「バトルジャンキーじゃないし。鍛錬は好きだし、人が戦うところを見るのも大好きだ。だがな、俺自身が戦うのは好きじゃないんだ」


 そう。俺は見る専門なのだ。グランセルドは世界で最も闘技場の規模が大きな国でもある。

 闘技場のスケジュールは逐次把握しているし、出場選手の経歴なども可能な限り調べている。

 そのためにコツコツと闘技場の観戦料のための日銭を稼いでいる。日夜行われる試合の全てを見られるように、自由の利くブロンズの冒険者を維持しつつ、各国の闘技者が最も集まるこのパフィードの街に定住しているのだ。


「なんでそこまで武術に精通しておきながら、自分で戦うのが嫌いなんですか。自分の技がどこまで強者に通じるか試したいとか思わないのですか?」

「思わないな。自分で戦ってたら、強者の良さを吟味できないからな」

「そうですか。どうでも良いです」

「どうでも良くはないだろ!」

「――まあそうですね。確かにどうでも良くはありませんでした。貴方を説得する方法が見つかりましたので」


 説得する方法が見つかった?いや、受ける気なんてないぞ。魔王なんてやってたらこのパフィードを離れないといけないし、闘技場に通う金も稼げない。


「まず言うまでもありませんが、魔界とは並の人では立ち入れぬ魔境の地です。その中には魔族すら入れないような過酷な土地があります。貴方が魔王になれば、それらの場所に自由に行き来し、修行の場とすることができます」

「……っ!」

「竜巻が吹き荒ぶ乱流の崖、燃えたぎる大地が川のように流れる灼熱の地、自らの自重が何倍にも増加する超重力の洞穴……それらの修行場が自由に使えるのです」

「そんな場所が……っ!?」


 今の言葉から過酷な環境を想像し、そこで修行する自分を思い浮かべる。なんという光景だ。きっと今以上に切り拓ける境地があるに違いない。

 いや、だが還らずの樹海でさえ、往復にはそれなりの日数が掛かる。本格的に修行できるのはどこぞの超越者が闘技場を壮大に破壊してしまった時くらいのものだ。

 魔界の奥地に魅力的な修行場があるといっても、そこに行くだけで膨大な日数が経過してしまうだろう。


「そうそう、引っ越しをする必要はありません。この家には転送紋を施し、そこから魔王城への移動ができるようにします。要するに家の中から直接仕事場に出勤できます。もちろん魔界の各地にある修行場にも転移できるようにしましょう」

「好きな修行場に自由に転移ができるだと……っ!?」


 不味い。それは非常に不味い。魅力的すぎる。日替わりで魔界の魔境で修行ができるとか、還らずの樹海以上の理想郷じゃないか……っ!

 実のところ、最近は還らずの樹海の植物に物足りなさを感じ始めていた。だがこれ以上の場所はないと、どこかで自分を誤魔化していた。

 だが、そんな提案を出されたら、もう自分を誤魔化しきれない。やめろ、この邪神め!俺を惑わすな!


「邪神ではありますが、今は女神ですよ」

「ぐぬ……だ、だがな、ただでさえ冒険者業の稼ぎが少ないんだ。余計な仕事は――」

「お給料も出しますよ。時給制なので、貴方の自由な時間帯でシフトを組んでもらって構いません。もちろんある程度はしっかりと働いてもらいますけど、冒険者との掛け持ちも許可します」

「やります」


 俺の中で何かが折れた。俺が拒否するために思いつく全ての理由が完全に打ち砕かれてしまったのだ。仕方がないといえば仕方がない。


「もう少しくらい理由あるでしょうに。まあ水晶が選んだ理由もなんとなく理解できましたね」

「……どういうことだ?」

「だって貴方、こんな話を前にしても平然としているじゃないですか。世界の命運が掛かっているという話が理解できていないわけでもない。なのに、自分の都合さえ解決すれば問題ないと本気で思っている。大変だろうなとは思いつつも、どうにかできるかもしれないと既に算段がついてしまっている」


 反論しようとも思ったが、あながち間違いでもないので言葉に詰まる。確かに人間として魔界軍をどうにかしろと言われたら無理だの一言だ。

 だが魔王として足を引っ張れというのであれば、様々な手段が頭の中に浮かんでくる。流石は足を引っ張ることにかけては世界一の師匠がいるだけはあるな、俺。


「――俺の事を調べているのなら、別に掘り下げなくても良いだろ。ちなみに給料ってどれくらいでるんだ?」

「そうですね。これくらいでどうでしょう」


 ウイラスはどこからともなく、丸めた羊皮紙を取り出し、それをテーブルの上に広げる。そこには雇用契約書としての文字が書かれており、時給等の情報も記載されていた。

 こいつ最初から給料は出す気だったな?タダで魔王になるやつなんてそうそういないだろうから、当然と言えば当然か。

 文章に特に変なところはない。一ヶ月の内、累計で働かなければならない時間が定められている点が縛りらしい縛りだろうか。それでも普段俺が冒険者ギルドで低級依頼をこなしている時間に比べれば遥かに短い。

 あとは時給だが……うん?見間違いじゃないよな……。これ、各国で定められている最低賃金くらいしかないぞ。


「なんというか……少なくないか?」

「半端に高給にして責任感を持たれても困りますからね。貴方の仕事はこの金額程度の働きをして、魔王軍の足を引っ張ってもらうことですから。最低賃金魔王というやつです」

「最低賃金魔王……肩書が嫌すぎる……」

「でも受けるのでしょう?」


 はい、受けます。低級依頼を受けるだけでは、冒険者はまともな生活ができないのです。

 そもそも冒険者になるようなやつは、ある程度自分の腕に自信があるものなのだ。

 冒険者ギルドもそれを知っているからこそ、危険性の少ない低級依頼には小遣い程度の報酬しか設定しない。それでも見習い冒険者は一人前と認められるために受けるし、昇級間近の冒険者も依頼達成数の数合わせに暇を見つけては受けたりしている。

 俺のように片っ端から低級依頼をこなしていても、家賃と闘技場観戦だけで稼ぎはすべて消える。食費は基本低級依頼のついでに山で山菜や肉を確保しての自給自足だ。

 それでもこの道を選ぶしかなかったのだ。平日にも開催されている闘技場を観戦するためには普通の仕事には就けられない。

 夜に開く店も夕方からの仕込みがあるし、衛兵も昼夜のシフトが交代制なので時間の確保ができないのだ。


「無理に全部の試合を観戦する必要はないでしょうに」

「馬鹿野郎!見逃した試合が、歴史に残るようなベストバウトだったらどうするんだ!」

「これがこじらせた者の末路ってやつですかね」


 不人気だろうが、低級依頼の数にも限りはある。とくに新人冒険者がまとまって参入してきた時はその数がかなり絞られる。

 緊急時の金策もあるにはあるが、諸刃の剣なのでできれば避けたいと日々思っていた。なので現在の生活スタイルを維持しながら、金が稼げるのであれば最低賃金であろうとも破格の条件なのだ。


「では交渉成立ということで。それでは早速向かいましょうか」

「向かうって、どこにだよ」

「魔王城ですよ。貴方の新しい職場です」

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