最低賃金魔王 ~歴代最強の魔王軍、その足を引っ張るのがお仕事です~

安泰

第一章:就任。

女神の来訪、そして魔王に。その一

 

「アークァスさん、おまたせしましたー!窓口までどうぞー!」


 受付嬢の元気な声に呼ばれ、俺は鼻歌交じりに窓口へと向かう。

 先程冒険者ギルドに納品した薬草の検品が終わり、その報酬が支払われるのだ。俺の頭の中にあるのは、その報酬の使い先のことばかり。そんな事情を知らない受付嬢は朗らかな笑顔で現れた俺に対し、笑顔で応えながら手続きを進める。


「検品結果ですが、全体的に高品質でクライアントも喜んでくださると思います。報酬も依頼リストに記載してあった基本報酬を満額となります」

「満額か。いやぁ、甘めの採点ありがとな」

「そこまで甘くしているつもりはないのですけど……低級依頼をこまめに受注してくださる冒険者さんは少ないですから、多少は色を付けちゃっているかもですね」


 冒険者達は基本的になんでも屋として活動しているが、身を粉にして働く以上彼らも安請け合いはしたくないと思っている。実力を示せれば猛獣や魔物の討伐、要人の護衛といった高額な依頼を受けられるのだから、当然実入りの良い仕事を選ぶ。

 それこそ一般人でもやろうと思えばできる比較的安全な山林での薬草集めなどは、見習い冒険者達が行う冒険者ギルドに対する信用の点数稼ぎでしかないのだ。


「ちなみに他の低級依頼はある?」


 だが俺はそういった低級依頼を好んで受注している。既に冒険者として活動も長く、中級依頼も単身で受けられる程度にはギルドへの貢献もしているのだが、未だに低級依頼だけで昇級できる範囲の限界、七級止まり。

 ようは中級依頼なんて受けたこともない。諸事情により低級依頼だけで生計を立てているわけだ。


「なくはないのですが、あとは他の方々のために残しておくようにと言われていまして……」

「ああ、それならいいや。新人達には早く立派になってもらわなきゃな」


 誰でもなれる見習い冒険者はギルドからの信用がない。その信用の下積みとして一定数の低級依頼を受ける必要がある。

 今月はそれなりに好調に仕事が捗り、もう何個かは依頼を受けられる余裕があったのだが……仕方がない。新人が育ってくれることは治安の改善にも繋がるのだから、その邪魔をするのはよろしくないのだ。


「でも!中級依頼でしたら、いくつかありますよ!」

「パス」

「ですよねー……」


 このやり取りもこの子が受付嬢になってから、ずっと続いている。信用のある冒険者にはギルドの方からも依頼の推薦がきたりするのだが、基本的には中級以上なのでパスなのだ。

 少し寂しそうなジト目で見つめてくる受付嬢をスルーし、報酬を数えていると、背後に複数人の気配。

 振り返るとそこには同年代くらいの冒険者、トルゼルとその仲間がいた。こいつらともそれなりに付き合いは長いが、仲が良いというわけではない。


「よう、アークァス。相変わらず低級縛りか?」

「まぁな。そっちは帰ってきてから直接きたのか。風呂に入ってからこいよ」

「そ、そんなに臭うか?体はちゃんと拭いてたんだが……」


 トルゼルとその仲間は自分の体の臭いを確かめている。トルゼルはさておき、後ろのヒーラーの女が少し顔を赤らめているのはちょっと罪悪感。デリカシー足りなかったな。ごめん。


「装備の汚れが目立ってるって話だ。っと、場所を占拠して悪いな。もう数え終わったからどくよ」

「ふん、低級依頼の報酬は数えるのも早いもんだな。楽な仕事ばかり選びやがって、そんなに命が惜しいのか?とんだ腰抜けだな!」


 背後でトルゼル達が笑っているが、手のひらだけで別れの挨拶をして立ち去る。ああいう依頼達成でハイになっているような奴は、このあとの酒の肴を増やしたくて格下をなじっているだけだ。

 変に反論して気分を損ねさせては、労働後の酒も不味くなってしまうだろう。あれでもこの街近辺の治安改善に貢献する中堅冒険者なのだから、気分転換くらいは気持ちよくしてもらわねば。


「――中級を受けたらブロンズじゃいられなくなるからな」


 冒険者ギルドのライセンスの色にちなんで、七級までがブロンズ、六級から四級がシルバーと呼ばれる。シルバーは中堅冒険者として認められていることの目安でもある。

 六級……シルバー以上の冒険者は義務として、定期的に別の国にある冒険者ギルドの依頼を受けなくてはならない。

 これは責任ある依頼を任せる冒険者を不正に昇級させていないか、各国の冒険者ギルド同士で確認するためだ。この制度があるおかげで、冒険者は他国でも自らの等級に合わせた依頼を受けることができる。

 六級へと昇級するには中級依頼を一度でも達成する必要がある。逆を言えば中級依頼を受けなければ、どれほどの依頼を達成しても七級止まりなのだ。

 要するに、あとひとつでも等級を上げてしまうと、俺ももれなく他国の依頼をこなさなければならず、この地から数週間、数ヶ月と離れなければならなくなってしまうのだ。


「さて、と。家賃はこれで問題なくなったが、まだちょっと足りないな……。やっぱ食費は全部自給自足にすっかな」


 それでも来月の分の金の目処はたった。これなら十分に趣味に専念できるだろう。食事の質が下がることなんて今に始まったことでもないし、大事なのは趣味を満喫できるかどうかだ。

 無意識に出る鼻歌を止められず、高揚したままの気分で我が家(築七十年の借家)の扉を開ける。

 この街で最も安く、日当たりも悪ければ、雨漏りも隙間風も酷い。ついでに事故物件でいわくつきだが、屋根があり誰にも邪魔をされない一人の時間が作れるのならばそれで十分なのだ。


「たっだいまー」

「おかえりなさい」

「誰っ!?」


 狭い居間にあるテーブルの横、俺の定位置とも言える椅子に謎の美女が座っていた。

 清らかなイメージの服装だが、神官等にしちゃちょっと前衛的過ぎるデザイン。武器などは持っておらず、持ち込んだのであろうこの街で売っているお土産煎餅を齧っている。

 強盗や空き巣にしちゃ堂々とし過ぎているし、暗殺者のような刺客にしちゃ隙だらけだ。ていうかその真顔で煎餅を齧るのをやめろ。


「モグ……。食べながら喋るのは失礼でしょう?」

「食べきろうとしてるんじゃねぇよ……。つか人の心を読んで……っ!」

「読めなくはないですが、顔に書いてありますよ。誰もいない家でもただいまを言うあたり、育ちは多少良いようですね。……モグモグ」

「……お茶いるか?」

「モグ……お願いします」


 話が進まない気がしたので、お茶を淹れて煎餅をさっさと食べきってもらうことにした。

 こういう手合いの相手は初めてじゃない。相手のペースに乱されず、ある程度こっちもその流れに合わせることが大事なのだと学んできている。

 謎の美女は煎餅を食べ尽くし、最後にお茶を啜りながらほっと一息をつく。しかし本当に何者だ、こいつ。その気になれば人の心を読めるみたいな発言もしていたし、人の家で勝手にくつろいでお茶を啜る精神も常人とは思えない。そもそも中身も……。


「冷静にお茶を淹れる貴方も大概ですよ」

「あ、本当に読めるんだな」

「ええ、人の心は雑念が多く疲れやすいですが、貴方の心は澄んでいて読みやすいです。それに美女と呼ばれるのは悪い気がしませんね。もっと褒めなさい」

「いいからさっさと自己紹介。あと心を読むな」

「女神です」

「女神かぁ……」

「私が言うのもなんですが、秒で納得するのはおかしくないですか?」


 いや、女神って言われた瞬間凄く納得できちゃったし。妙に神聖な魔力を内包しているし、体内の魔力の流れが人間じゃない。かといって魔界に生息するような生物とは明らかに違う。


「人じゃないのはひと目でわかったしな」

「そうですか。出生が特異なだけはありますね。では改めまして、私は女神ウイラス。この世界を創造した尊き存在であり、絶世の美女です」


 女神ウイラス。この世界に生き、最低限の教育を受けた人間なら知らない者はいない。この世界を創り、人間達を見守ってくださっているというお方だ。

 実在していることは知っていたが、こんなところにポッと現れるような存在じゃないことは確か。


「自分で絶世の美女というのはどうかと思うが……。それで女神様がこんな貧相な家に何の用だよ。端的に説明してくれないか?」

「端的に言えばスカウトです。アークァス=トゥルスター、貴方を魔王にします」

「待って。もうちょっと詳しく丁寧に説明して?」


 ウイラスは少しだけ思考するポーズを取り、更に少しだけ面倒臭いと言わんばかりのため息をつく。


「ええ、もちろん。最初からそのつもりです」

「今ため息ついたよね?」

「ではアークァス。貴方に最低限の知識があることの確認をしましょう。この世界の生い立ちを語りなさい」

「俺に語らせるんだ?」

「あ、口に出さなくて結構です。私こういう話を聞くと眠くなるので」

「君の話だよね?」


 ええと、女神ウイラスの創世の物語のことだよな……。

 女神ウイラスは星を創り、人を創った。星の名はピリスト、光の満ちる神聖な星だった。

 女神ウイラスは人へ告げた『私は貴方達を見守るだけ、貴方達の命の輝きを私に示し続けなさい』と。

 人々は数を増やし、文明を生み出し、命の輝きを示そうとした。だが人は神とは違い、完璧ではなかった。

 ある時、悪しき心が生まれた。悪しき心は光満ちるピリストの中でより濃く集い、原初の闇を創り出した。

 原初の闇は人々の悪しき心を吸い続け、ある時その中から邪なる神が現れた。

 邪神の名はワテクア。ワテクアは闇を広げ、ピリストを侵食し始めた。闇は光を飲み込み、世界の全てを染め尽くそうとした。

 闇に飲まれた人は異形の怪物へと変貌し、人々を襲った。人々は抗おうとしたが、ワテクアの闇を抑え込むことはできなかった。

 世界の半分が飲み込まれ、人々は女神ウイラスに助けを乞うた。

 女神ウイラスは自らの力の大半を費やし、邪神ワテクアを原初の闇のある場所へと封じ込めた。

 女神と邪神、共にその力の多くを失ったが、ワテクアは世界を闇に飲み込むことを諦めず、ウイラスはそれを止めようとした。

 ウイラスは自らに残された力から光に生きる者達を導く英雄を生み出した。

 ワテクアは自らに残された力から闇に生きる者達を扇動する王を生み出した。

 女神と邪神に選ばれし存在は、勇者と魔王と呼ばれ、それぞれの神の意思の元に相反する者と戦い続けることとなった。


「こんな感じだっけか?」

「子供向けの神話物語ではありますが、よく一言一句間違えずに覚えていますね」

「娯楽の少ない環境だったもんで」


 それに『あの村』の出自を考えれば、この物語はそれなりに大事な話でもある。

 邪神ワテクアが闇に染めた世界は魔界と呼ばれ、かつては人だった者達は魔族として今もなお人間界を狙っている。

 そして歴史の中で女神ウイラスと邪神ワテクア、それぞれの加護を受けた存在、勇者と魔王が先頭に立ち戦い続けてきた。

 戦いの周期はまばらだが、確かに人に持ち得ぬ力を持つ勇者と、魔界を統べて侵攻する魔王は存在してきた。

 あれ、でもなんかおかしくない?この女神が本当のウイラスなら、俺を魔王にするってのは変じゃないか?


「はい、そこです。実は少しだけこの創世記には間違いがあります」

「え、どのへん?」

「この世界、ピリストを創ったのは確かに私ですが、原初の闇と魔界を生み出したのも私です」

「――えっ」

「私は女神ウイラスでもありますが、邪神ワテクアでもあるのです。一柱で二度美味しい美女です」


 真顔のままブイとピースサインをするウイラス。突然の情報と、これまでの過去の歴史の照らし合わせで色々と頭が痛くなってきた。


「……どゆことさ」

「人間のためですよ。実はこの世界一度滅びかけていまして。原因は人間同士の争いです」

「人間同士の争い……。今でもあるにはあるよな?」


 人間界は魔界と争い合う関係だが、人間界の皆が肩を組んで仲良しというわけじゃない。

 良いやつもいれば悪いやつもいる。そもそも国が複数あることがそのいい例だ。思想が違うから違う国が生まれる。皆が同じ思想ならば国は一つで足りるはずなのだ。


「はい。ですが想像してみてください。もしも魔界の脅威がなく、この星の全てが人間だけのものだとしたら、この世界はどのようなものになっていると思いますか?」

「……ドロドロしてそうだな」


 魔界からの脅威……魔王の侵攻が始まれば、各国は諍いを鎮めて協力してきた。その裏で様々な策謀が入り乱れてきたことは否定できないが、それでも人々は一丸となって勇者を支援し、魔王軍の前に立ち塞がってきたのだ。

 それがなければどうなるか。諍いは鎮まることなく、ヒートアップし続けるだけだ。

 どこかでそれが爆発し、大規模な戦争が起きる。それが終わればまた新たな諍いの種が生まれる。

 それらに水を差す魔王軍の侵攻が存在しないのだから、事態はよりいっそう複雑な問題となるだろう。


「はい。ですから共通の敵を用意したのです。人間とは明らかに違う存在、闇の因子を起点とする人種、魔族を」

「……勇者や魔王を生み出しては争いを煽ってるってことなのか?」

「ちょっと違いますね。勇者と魔王は互いの被害を最小限に抑える仕組みです。彼等がいれば私の加護によって、わかりやすく状況が好転しますからね」

「あー」


 小さい頃に疑問に思っていた謎が一つ解けた。

 過去に現れた勇者は必ず魔王を倒してきた。だが、それで終わり。人間の軍が反転して魔界に攻め込むようなことはなかった。そして魔王を倒された魔界の軍勢も、ピタリと侵攻を止めた。

 なぜどちらもそこで止めてしまうのかと、子供心ながらに疑問に思っていたのだが、そもそも『それで終わる』ような仕組みにされていたということだ。

 表向きは世界同士が対立しあう、超絶規模の戦争として演出しているが、実際は代表同士が殺し合いをし、決着がついたら両陣営の勢いが止まるようになる。

 勇者と魔王の誕生は、憎しみ合う両世界にとってのガス抜きのタイミングというわけか。


「理解が早くて助かりますね。やはり良い師から学んだ結果でしょうか」

「……俺のことは当然知ってるのな」

「出自と簡単な経歴を調べた程度ですよ。この星の人の個人情報の一つ一つを把握するなんて面倒でしかないですし」

「もうちょい耳当たりの良い言い方ない?」

「女神が過度な干渉していては、人は成長できません。私は皆を見守るだけです」

「ヨシ」


 でもそうなると次に浮かぶ疑問はなぜ俺なのか。頭の回転なら師匠の方が上だろうし、出自の方ならそれこそ姉さんもいるだろうし……。


「貴方を選んだ理由ですが、私の一目惚れです」

「恥ずかしがる仕草をするところはポイント高いけど、声や表情を少しくらい寄せよう?感情が微塵も込められてないよね?」

「絶世の美女から求められたらやる気になるかなと。ちなみに真面目に答えると、こちらの『条件検索水晶君』の結果です」

「条件検索水晶君」

「はい。この星の個人個人を馬鹿正直に品定めしていたら、世界はとっくに滅んでしまいます。この水晶に今の世界の環境等を入力することで、私好みの結果を導ける最適な人選を教えてくれるのです」

「そんな便利なものを用意できるなら、女神レベルの占いとかで探せたのでは?」

「別の次元にいる神に創らせましたので。私にはできませんね」

「他にも神様っているのな」


 女神というわりにはできることが結構限られてない?本当にこの女神がこの世界を創り出したのか?


「神についての話はまた今度ということで。それでこの水晶君により、貴方が次の魔王として適任であると出ました。なので貴方の素性を簡単に調べ、こうしてお土産を持参して交渉しにきたのです」

「一人で食べちゃってるじゃん」

「なかなか美味でした。人を創り出した甲斐もあったというもの」

「もうちょっと大きなスケールで感慨深くなって?」

「うっかり店主に加護を与えてしまいました」

「勇者にしちゃったの!?」

「いえ、せいぜい神々しいオーラをまとう程度です」

「煎餅屋のおっちゃん無事だろうか……。でも急に魔王になれと言われてもな。俺は人間だ」


 たとえガス抜きの戦争ごっこだからといって、それなりの犠牲は出るのだ。人付き合いの悪さに自覚はあっても、大勢の人間の命を奪うような真似をしたくはない。


「ああ、説明不足でしたね。貴方には魔王として魔界に君臨してもらいますが、その目的は魔界の足を引っ張ってもらうことです」

「……なんで?」

「私としては人間も魔族も、どちらも創り出した『人』です。互いに身内で殺し合い過ぎないように敵対関係として煽ってはいますが、どちらにも繁栄してほしいのです」

「それはまあ……今までの話を聞いて、フラットな立場だなとは思っていたけど……」

「ですがちょっと問題が起きていまして。なんと今回の魔界は過去一で豊作なのです」

「豊作?」

「はい。わかりやすく言うと、このままだと人間達は勇者魔王関係なしに滅ぼされます。それほどにパワーバランスが崩れています」

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