第14話 イモムシみたいでも汚れた頬でも
大戸とふたり、
「インターホンとか押さないとまずいんでない?」
大戸が心配そうに門のそとから言う。
「ああ、
そこまで広くはないが、よく手入れをされた庭だった。むかしは、よく、みんなでここに集まってごはんを食べたりしていたなとカズヒトは思い出す。
リビングには大きな出窓があり、そこをすこしすぎた壁のまえでとまる。カズヒトはうえを見あげて、指をさした。
「あそこが環の部屋だ」
「ほう、あそこがねぇ。で、なんで庭にきたの? なか入れば?」
「これをつかって侵入しようかと思って」
カズヒトは、もってきたカエルジャンプくんをかかげる。大戸が声をおさえながらもさわいだ。
「いやいやおれ履かないって言ったじゃん! むりむりマジで痛いんだからほんとカンベンしてよ」
「いや、履くのはおれだよ」言いながら、カズヒトは蛍光グリーンのスニーカーに履きかえる。ピカピカと光っているが、夜でも視認しやすいようにだろうか。むだに凝っている。「使いかた教えてくれ」
「使いかたもなにも、くるぶしのところにボタンない? そうそれそれ。それを押したあと、グッと膝をまげて、垂直跳びの要領でジャンプするだけだけど……あ、そういやあくまでマックスで5メートルで、踏むときのちからが強いほど高く跳ぶらしいから、思いっきりジャンプしたほうがいいかも」
「なるほど、跳んだあとどれぐらいで痛みは来た?」
「たしか、ジャンプした直後はトランポリンのったときみたいな浮遊感でめちゃくちゃテンションあがったんだけど、降りてくる最中にはもう熟練の足ツボ職人にアタタタタタって足のうらを連打されてるような衝撃がきてた気がする。……いや、マジで、大丈夫なの? あの手すりを飛び越えるつもり?」
言われてまた見あげると、環の部屋には小さいながらもベランダがあり、下からは手すりが見えていた。
「5メートル跳べるんだろ? よくわからんけど、ベランダに着地するぐらいならできんじゃないかなーって」
「下から見るだけだと、5メートルの高さがどんくらいなのかぜんぜんわからんな……」
「ほんとは、もし失敗して落ちたらおまえに受けとめてもらえないかと思ってたんだけど、クッションもってきてくれて助かったよ。それ、おれがジャンプしたらふくらませておいてくれないか」
「えー、なんだっけ、絶妙な声の大きさで『おっきいね』ってささやくんだっけか。そんな、わざわざ危険な思いしてベランダから行くことないんじゃないの? 部屋のまえから声かけるとかさぁ」
「声かけても出てこないし、電話しようがなにしようが反応しないらしいし、かといってドアを蹴破るわけにもいかんだろ。実際、ドアって蹴破れるものなのかもわからんけど。さすがに、ベランダから侵入されれば話ぐらいはできるだろ、たぶん」
「えー、いや……そうかもしれんけどさー」
説明しても、大戸は心配そうにぶつぶつとこぼしている。
「まあ、ダメでもともとだ。失敗したらべつの方法を考える。時間おいたらさ、たぶん、おれはまたごちゃごちゃ考えて、弱気になって、あいつに話しかけられなくなる気がしたんだ」
ことばを区切って、催眠のときの、たのしそうな環の表情を思い出す。
「5年近く待ったんだ。ちょっと、待ちすぎた。ほんとは、もっと早く、ちゃんと話をしなきゃいけなかったんだ。たぶん、不意をついてバランスをくずすぐらいのことしないと、あいつから本音を聞き出せないんじゃないかって、思うんだ」
ニンジンぬきのカレーをうまいうまいと言っておかわりする顔。ひざのうえで、頭をなでたときの、満ち足りた顔。
あの顔を、もし、また見ることができたら。
「その結果、きらわれても、傷つくことがあっても、なにもわからないままでいるよりはずっとマシなんじゃないかって、いまはそう思ってる」
大戸はカズヒトのことばを聞いて、納得したようにうなずいた。
「そっか、うん、わかった! カズがそのつもりならおれはサポートするぜ! とりあえず、マジで大ケガするかもしれないから、クッション超重要だな……おっきいね、おっきいねだったな……おっきいって器のこと? 態度のこと? あれ、もしかして、おれの息子がおっきくなってるってコト……!?」
「突然小声で下ネタぶっこんでくんのやめて気が散るから」
言いながら、カズヒトはスニーカーのボタンを押した。カチリと音が鳴ったあと、
<準備、完了>
<さー腕をおおきく振ってジャンプしましょー>
<カエルちゃんの雄姿を頭に思い浮かべて!>
と、ラジオ体操を思わせる元気いっぱいの機械音声が流れる。なんで、あいつの考えるアナウンスはこう絶妙にダサいというか、センスがずれているんだと脱力した。
カズヒトは、ふっと笑って、気をとり直す。
「よし、じゃあ、行ってくるわ」
うなずく大戸を横目に見て、足のうらから、ひざ、ももまでを連動させてなめらかに曲げ、グッと足の筋肉にちからをこめる。ひざと胸とがくっつきそうなほど、からだを縮こませる。爆発しろと願うような思いの強さで、全力で、地面を蹴りとばした。
――空を、飛んでる。
一瞬、そう錯覚してしまうほどかろやかにからだが浮かびあがった。空中で、重力を自在に
いま行く。
また、暗い部屋でひとり泣いている環を想像する。あいつは、人によわいところを見せたがらないから、泣くときはひとりでいるんじゃないかと思う。
おれのよわいところはだれよりも見てきたくせに。
そうして、2階のベランダにかれいに着地して窓をノックするイメージをしていたが、からだの上昇が終わりかけた段階で重要なことにはたと気がつく。
これ、手すり超えられなくない?
どう考えても、からだ全体がベランダの手すりを超える高度には到達しておらず、それに気づくとあわてて両腕で手すりにしがみついた。
なんとか、二の腕と頭を手すりのうえにのせることができたが、からだが振られてガリガリガリと、胴体や足がやすりにかけられたように家の壁にこすりつけられる。
からだの表面に広くできたすり傷が、ズキズキと痛みはじめる。
――そして、カエルジャンプくんの反動がきたのはそのときだった。
カズヒトの足のうらを、鉄の棒でやみくもに連打されたような激痛がおそう。
大戸は「熟練の足ツボ職人」と言っていたが、もはやオラオラオラとジャンプの主人公にタコ殴りにあっているようないきおいと
「ぬぁぁぁぁぁぁ」
思わず、うめき声を小さくもらしてしまう。痛い、痛い、足が、もげる。あまりの痛みと衝撃に、しがみついた両腕をはずして足をかばってしまいたくなる。
「おい、カズ、大丈夫かよ!」
下から、心配そうに小声で大戸がさけぶ。カズヒトがちらりと見やると、大戸は真下にクッションを置いて、尻を天高く突きあげ右へ左へ移動しながら、角度や音量を変え何度も「おっきいね」と必死にささやいていた。
しかしクッションは「男のあなたから言われましても」みたいなスンとした反応を見せ、まったく大きくなるけはいを見せない。
大戸はあせりからか、「おっきいね」から「たくましいからだしてますねぇ~」「うそ、いまでもおっきいのに、もっとおっきくなったらどんなんなっちゃうの?」「いよっ、日本一!」など声かけのバリエーションを変えることに挑戦しているがなんの意味があるのか。
カズヒトはちょっと笑ってしまいそうになるが、
「おおおおおお大戸、だ、だいじょうぶだ」
と大戸へ声をかけ、腕もちぎれよとばかりに渾身のちからをこめてからだをもちあげて、なんとか動かすことのできるももを引きあげると、息もたえだえに手すりのうえへのることができた。
そこから大戸にかるく手を振って無事を伝える。大戸は親指をあげてこたえた。
できるならかっこよく着地したかったが、想像を超える足のうらの痛みと、先ほどすったからだ前面のズキズキとした痛みとで、巨大なイモムシになったかのように丸まり、どうにか環の部屋のベランダにドサリと落下する。
衝撃でうめく。
全身が、痛い。
それでもと顔を、身をよごして窓へ這いずると、環の部屋の窓をたたく。
ちからのコントロールができず、ドンドンと、割るような強さで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます