第13話 鼻水をなすりつけようとする大戸の尽力


 カズヒトが汗だくで学校のそばについたところ、自転車で来ていた大戸はすでに到着していた。自転車をとめた大戸のまえで、はあはあとカズヒトが肩で息をし、状況を説明しようとすると大戸がいきなり土下座をしだした。


「カズ、すまん!!!」


「いや、なにで、あやまられてんのか、わからん……ちょと、まて」


 カズヒトは、肺がいっこうに落ちつかないので、せわしい呼吸のあいまにことばをさしはさむ。そんなカズヒトにはおかまいなしに、大戸が地面すれすれに顔をふせたまましゃべる。


「おれ、おれ、おまえのこと、避けてた。

 避けてたっていうか、なんて、顔して話していいか、わかんなかったんだ。

 おれ、おまえの母ちゃんが、その、不倫、して、離婚したこととかぜんぜん知らなくて、きっと、料理もなんだかんだ言いながら好きでやってるだけなんだろうなあって、思ってて、自分の母親の愚痴とか、オカンが弁当つくってくれることとか、おれ、よく考えたらすげえ恵まれてるのに、そんなの知らずにおまえに無神経な発言ずっとしてたんじゃないかって、あのあと、ふと、思っちゃったんだ。

 おれ、おれ、おまえのこと、もしかして、ずっと、き、傷つけてたんじゃないっかてぇぇぇ」


 大戸はバッといきおいよく顔をあげるが、身も世もなく川のような涙を流し、鼻水もたらして顔をくしゃくしゃにしていた。


「考えはじめたらこわくなっちゃってぇ、おまえとどんな顔して話したらいいのか、わかんなくてなっちゃってぇぇぇ」


「いや、それは、ちがうだろ」すこしずつ整ってきた呼吸で、大戸に言う。「おれが、言わなかったんだから、わかるはずないだろ。親の離婚なんて、いまの世のなかにありふれてるし、おまえが恵まれてるとか、だれかが不幸とか、そんなんじゃなくて、ただ、それぞれの環境があるだけだろ。気まずそうな反応されることも、よくあるし、慣れてるよ」


「世のなかにありふれてれば、傷つかずにすむわけじゃないだろ!」怒るような強さで、大戸がさけぶ。「おれ、おまえが、おれの発言で傷ついたことがあったなら、あやまらなきゃって思ったんだ。それ最近だけど。カズ、ごめん。ごめんなぁぁぁ」


 大戸のことばで、ふと、母親の不倫が発覚した日のことを思い出した。


 鬼のような面相めんそうになって、狂ったように暴れ、ダイニングに置いてあった木のティッシュボックスを投げた母。

 それが環のひたいに直撃し、うっすらと血を流しながらも呆然とうごけずにいる環。


 環をまもらなきゃと思った。


 思ったのに、からだがうごかなかった。


 母は、父とおじさんにおさえられ、霞と環はおばさんに抱きかかえられたが、自分はただ泣いていることしかできなかった。


 そんな自分を、あとで、なさけなく思った。恥ずかしく思った。


 母の口癖は、「あたし、料理きらいだから」だった。

 「こんなはずじゃなかった」ともよく言った。


「お父さんは、社長だって言うし、むかしはもっと羽ぶりがよかったから結婚したのに。料理なんてしなくていいって言ってたのに」


 そう文句を言い、つくった料理を出しながら「きらいなのにつくってるんだから、文句言わないでよね」と、だれかに言いわけするようにくりかえした。


 それでも、自分は、母の料理が好きだった。


 おいしいと思った、うれしいと思った、だから、母親の呪詛じゅそのようなことばに、なんてかえしたらいいのかわからなかった。

 お母さんがよろこぶことばをかけたいと思った。


 やさしいときもあった。

 母がつくったカレーを食べて、「おいしいよ!」とおおきく声をあげたときは、「そう?」と言って照れくさそうに笑った。


 家族3人で出かけたとき、ソフトクリームをねだったら買ってくれて、うまく食べられずによごした自分の口もとをハンカチでぬぐってくれた。

 小学校で、100点のテストをとれたときは、「やるじゃん」と言って頭をなでてくれた。


 でも、母親は3年にもわたって不倫をした結果、親権を強くあらそうこともせず、家を去っていった。

 離婚後も、月に一度は会うことのできる約束になっていたが、かぞえるほどしか会わなかった。そのうち連絡はとだえて、それ以来、会うことはなくなった。


 そんな、母親がいなくなった喪失感に、自分は傷ついていたのかもしれないと思った。


 大戸が、母親からつくってもらった弁当に文句を言うとき、かくさずに言えば「うらやましい」と思った、「ぜいたくだな」と、いらついた。

 三者面談のとき、多くの家庭で母親が来ているなか、くたびれた作業着で父が来てくれることを、恥ずかしく思うことも、あった。


 自分が、料理というものを必要にかられてしているだけで、「もっとうまくつくろう」「もっといろんなメニューをつくれるようになろう」といったこころからの興味がもてないことをさとるたび、母から継いだのろいのように感じることもあった。


 でも、自分が憎んでいること、傷つくこともあること、その一方で、なつかしむ気もちもあること、そういう「いろいろな感情がある」ということを、ただそのまま認めてみてもいいのかもしれないと、ふと感じた。


「そうだな」カズヒトは大戸の肩に手をあてて言う。「そう、傷つくことも、あったかもしれないな。でも、もう、大丈夫だよ。ありがとな」


「お、おおぉぉぉん、カズ、カズぅぅぅぅ」


 大戸が泣きながら抱きつこうとしてくるが、鼻水がびろんびろんにたれておりくっつきそうで「マジでやめろ」と必死に頭をおさえる。


 校門から、遅くまでやっている部活を終えた生徒が、パラパラと帰っていき、一部は脇をとおってうろんな視線を投げていく。カズヒトは、「研究開発部の部室に行きたいんだ、行きながら話すわ」と大戸に告げて先を歩く。


 部室にカギがかかっていたらと心配したが、ほぼ唯一の部員兼部長である環がきちんとカギをかけるようなこまかい作業が苦手なので、おそらくとあたりをつけたら案の定あいていた。

 環の発明品である、「カエルジャンプくん」とかいうスニーカーをさがしたいんだ、と大戸に言いながら部室を見まわす。


「ああ、たしか、あれは、安達ちゃんがこのへんに置いてた……ような……あった! って、あの、念のためだけど、まさかおれにこれ履かせようとしてないよね? マジで地獄の痛みだったからマジで二度と履きたくないんだけど」


「マサカ、ソンナコトナイヨー。これだけもってけばいいんだよね?」


「おまえ前フリみたいな棒読みマジでやめろよ。ぜったい履かないからな。それだけでもジャンプはできるけど、あれだ、なんかおっきくなるクッションも持ってったほうがいいよ。たしか、いっしょにしまってたような……そうそうこれこれ。足のうらで着地すれば衝撃を吸収してくれるらしいんだけど、同じ体勢のまま着地するのめちゃくちゃむずかしかったから」


 蛍光グリーンのスニーカーと、いまは小さく収納されているクッションをかかえ、部室を出る。


 自転車の大戸と併走し、環の家へむかいながら、これまでのことをかんたんに説明する。ある日から、自白剤のときのような実験をするために環が自宅に来るようになったこと、来る理由や目的がわからず、学校での反応もつめたいままなので、だれにも言わなかったこと、このあいだのこと、それから環がまた距離を置くようになってしまったこと。


「なるほど、それで、なんで安達ちゃんはまた話してくれなくなったの」


「いや、ぜんぜん、わからん。好きって言ったから引かれたんかな」


「いやそれはないだろ。それはない。なんかもうザ・乙女みたいな表情かおしてたもん。おれ部外者なのにもう恥ずかしさが絶頂に達して死ぬかと思った」


「おれも、おまえにだけは聞かれたくなかったよ。まあでも、事前にいろいろ言わなかったのはすまん。なんか、とにかく、よくわかんなくて」


「まあ、そういうことならいいよ。っていうか、あの、おれもおまえに言ってないこと、あるし」


 自転車のペダルをゆっくりと回しながら、大戸の語尾がもにょもにょとすぼんでいく。「なに、言ってないことって」カズヒトはジョギングのようなペースを維持し、聞く。


「いや、あの」大戸は口ごもったあと、冗談めかした口調に変える。「おで、彼女できたんだよね~」


「はあっ!?」


 カズヒトは思わず立ちどまり、大声を発した。


「はっ、えっ、彼女? なにそれ聞いてないんだけど?」


 大戸はてへっという擬音が出そうな表情でウインクする。


「その顔やめろ。いったいだれなの、どこの女なのよ!」


「その彼女ヅラもおかしくない? いや、あの、ほんと最近よ。最近っていうか、カズに自白剤打った前の日とかよ。バイト先の同い年の子でさ、ノリがいい子だったから、ノリで『ちょっといっしょに出かけちゃう?』みたいな感じで声かけてみたら来てくれて、なんかあれよあれよと『ちょっとつきあってみる?』みたいになっちゃって、なんか、気づいたら、彼女ができてた」


「自然発生してたみたいな感じで言うなよ。それこそ言ってくれよ!」


「いや、あまりにもノリで話が進んだから、なんか次の日『よく考えたらないわ』とか言われてふられんじゃないかなあって思って言いにくかったんだよね。まあ、さいわい無事まだつきあってるけど」


「なんだよ、おまえ、なんだよ……」カズヒトはへなへなとちからが抜け、座りこむ。「まあ、でも、おめでとう」


「ありがとう! ただ、手をにぎるのとか、思った以上にむずかしいっていうか『これどのタイミングでにぎっていいの? なんかどっかから合図あいずとか出ないの?』ってわかんなくてさ、安達ちゃんに発明品もたのんじゃった。てへへへ」


「びっくりするほど訊いてないんだけど。おまえのテレ顔とかマジで無価値なんだけど」


 カズヒトがため息をついていると、ふたりは安達家あだちけのまえについた。「おまえ、今度ぜったいいろいろ聞かせろよ」カズヒトがクギを刺すと、大戸が親指を立て、バチコーンと音がしそうないきおいでウインクをする。


 まあ、でも、よかったなとカズヒトはどこかほっとしたような気もちになる。その気もちのまま、2階にある環の部屋を見あげた。






――――――――――――――――――

<長めのあとがき>


 一回ちょっと詰まってしまったため、投稿ずみの過去話を読み直して3/14~3/18ごろにいろいろ修正しました。

 読み直していただく必要はたぶんまったくないのですが、発明品のスニーカーの名前を「あまかけるりゅうのひととび」から「カエルジャンプくん」に変えたのが唯一の大きめの修正です。


 「どっちにしろクソダサやないか!」と言われたらぐうの音も出ないのですが、当初からあとあとまで出てくる発明の予定だったのにパロディ感が強いとどうも名前を出しにくいな、とあとで気づいたためです(👺判断が遅い!)


 と、そうこうしてたらなんとか完結まで一旦書きあげられたので、今日(3/23)から毎日20時ごろ更新して、今週の土曜日(3/26)に最終話をアップする予定です。

 推敲がうまくいかない場合は来週ぐらいまで延びる可能性もありますが、とにもかくにも完結はできそうな気配です。


 一度でも読んでくださった方、本当にありがとうございます。

 ここまで読んでくださった方はもっともっとありがとうございます。

 もしよろしければ、もう少しだけおつきあいいただけるととてもうれしいです。

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