第12話 こわい顔なんて、もう見たくないよ
もやもやとした気もちがつづき、暗くなるのが早くなった空を見あげたり、アスファルトの白線のうえをぼんやりとたどったりして学校から帰っていると、カズヒトは家の近くの公園で
ひとつしかないベンチに座って、おでこに手をあて、うつむく。
カズヒトが近づいても、気づかない。
「霞」
声をかけて、ようやく霞はこちらを見た。
「制服、よごれるぞ」
決してきれいとはいえないベンチだったが、言いながら、自分もとなりに腰をおろす。
「カズくん……」
顔をあげた霞は、泣いていたようにも見えたが、わからない。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんがね」
「うん」
「さいきん、ぜんぜん、話してくれなくなって。ごはんだよって言っても、『いまいそがしい』とか、『ぐあいがよくなくてね』とか言って、おりてきてくれなくて、顔をあわせてもくれないの。いままでも、発明にかかりきりだったことはあったけど、行きづまってるときは、どこがどうなって、ここでこまってて、って、楽しそうに、私には話してくれてた。それで、話してたら、そうかあそこを変えてみるかなってひとりで勝手に納得したりして。私はなに言ってるのかぜんぜんわかんなかったし、よく巻きこまれてたいへんな目にもあったけど、それでも、楽しそうなお姉ちゃんを見てるの好きだった」
「うん」
「カズくんが、カズくんがね。このあいだ、おれのせいかもって言ってたから、私言ったの。お姉ちゃんのこと待ちぶせして、夜中にごはん食べようとしてるところつかまえて、『カズくんのせいなの?』って。『ほんとうにカズくんのせいなら、私カズくんのことたたいてくるよ』って。そしたら、お姉ちゃん、『彼は関係ない』とか、赤の他人みたいな言い方するのカズくんのこと。私たち、みんな、家族みたいなもんじゃん。ずっといっしょだったじゃん。なんでそんな言い方するのって、私、思って、おこって、でも、私、まえに見たんだ」
感情がたかぶってきたのか、話がみだれてきた。カズヒトはいったん聞こうと、「うん、うん」とゆっくりあいづちをうつ。
「お姉ちゃんが、カズくん
霞の問いかけに、カズヒトはこたえることばをもたなかった。「ごめんな」あやまるが、いったいなにがわるかったのか、理解できないままそのことばを発する自分を不誠実に感じた。
「なにが原因とかは、言ってなかったか?」
「……お姉ちゃんが、カズママのことを、カズくんの、家族のことをこわしたから、だからしかたないみたいに、言ってた……だから私は笑っていたらダメなんだ、みたいに、言ってた……ねえ、カズママのこと、なにかあったの? 私、ちいさかったから、カズママがいなくなったときのことあんまりおぼえてなくって……」
「いや、そんなわけない」カズヒトは思考をめぐらしてから、こたえる。「まちがいなくうちの母親が原因だったし、自分の意思で、出ていっただけだよ。環は関係ない」
こたえてからも、考える。「環は関係ない……」つぶやきながら、環が、自分に対して、けんどんな態度をとるようになった時期を思いかえす。
中学生になるかならないかのころだったんじゃないか。
最初は、あんまりべたべたしてこなくなったなと思っていて、自分もまわりの目が気になって恥ずかしく感じるようになっていた時期だったし、おとなになったのか、いいことだって、思っていた。
でも、話しかけてもこちらの顔も見ない時期がつづいて、きげんがわるいだけかと思ったら、それは自分に対してだけで、だんだんムカついてきて、一度は「おれなんかしたのかよ」って怒ったことがあった。
そしたら「おぼえがないのか?」みたいに怒りかえされて、おぼえ、ないんだけどって思って、おぼえてないだけでなんかしたのかなって何度も何度も考えて、そのうち逆ギレされただけに思えてやっぱりムカついて、でも、同じ学校で、家もとなりだから、ふとしたときに環が目にはいる。
凛と歩くすがたも、クラスメイトとあんまりうまくやれなくて休み時間にひとりつまらなさそうに席に座っているすがたも、たまにだれかと話してふっと笑うすがたも、授業中によくわからんものを手もとで組み立てだして、それをとがめるために先生からいきなり指名されたのにすらすらこたえるすがたも。
環を見かけると、つい、目で追ってしまう。
だから、もう忘れようと何度自分に言い聞かせても、それがかなわないままここまで来た。
「私は、カズくんを不幸にした」
自宅に催眠に来て、泣いていた環の顔を、声を思い出す。
環の涙にぬれたてのひらの熱を、そのときの自分の気もちを思い出す。
考えてみても、わからない。環がつめたくなったのは、両親の離婚が成立した小学4年生のころともはなれている。
でも、それが環になんらかの影響を与えているのは、たしかなんじゃないか。
――おれは、おまえに、不幸されたことなんてねえよ。
催眠中、楽しそうに、ころころと表情を変えた環を思い出す。
カレーをおいしそうに食べて、むかしみたいにやたらとくっつきたがって、でもむかしとちがってすぐ赤くなるようになった環の顔を、はずんだような声を、鼻をくすぐるふしぎな甘い香りを、思い出す。
――わからないなら、聞いてみるしかない。
いやがられても、強引でも、聞いてみないことには自分の気もちの整理がつかない。自白剤のせいとはいえ、もう自分の気もちは伝えてしまったんだから、これ以上隠すものも、落ちるものもない。
もしふられるのにしたって、ちゃんとふられたい。
「ありがとう、霞。わからんけど、できること、やってみるよ。環の部屋って、カギついてたっけ?」
「え? うん……いつもカギかかってるよ。『途中の発明品もあるから手を出されたくない』って、まえから」
「そうか……最近は、部屋にこもってるんだよな?」
「うん……呼んでも出てこない……」
「わかった。あとで、ちょっとお願いすることが出るかもしれん。また連絡する」
カズヒトは、走って家に帰り、父あてに「ごめん、きょうはごはん無い」という書き置きとともにレトルトカレーを台所に出しておいた。
着替えようと思っていたが、よく考えたら制服のままのほうがいいか、と方針転換して玄関でクツをはく。すると、ちょうどいったん帰宅した父と行きあった。少し、話をする。
また走って家を出ると、学校へむかいながら、大戸へ電話をかけた。10秒、20秒、呼び出し音が鳴りつづけても、大戸は電話に出ない。最近の、やたらと自分を避ける大戸を頭に思い浮かべる。
振りはらうように、無視して、かけつづけた。
1分は呼び出しをつづけたころ、おそるおそるという感じで大戸が電話に出た。
「……おう、どうした」
「大戸、すまん、おれのこと、たすけてくれ!」
説明をはしょってさけぶ。走って、息をきらしながら、もしかしたら自分がなにかをしてしまったから、最近おまえから避けられているのだろうこと、自分には同じような前科があること、また、環との最近の関係をだまっていたこと、それらに対する詫び、を伝え、また言った。
「いろいろ、わるかったかもしれないんだけど、いまから学校来てくれないか。たのむ」
大戸はずびびと鼻をすするような音を出して、こたえた。
「いや、ごめん、おれ、おれなんだわるいの。すぐ行くから、ちょっと、待ってろ!」
大戸もカズヒトも、方角はちがうが、徒歩20分足らずで学校には着く。電話を切って、走った。うずくまって、部屋でひとり、泣いている環のすがたを想像する。
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