第10話 おわりでいいかな――環3


 冷静になれ――


 ひと晩たってみると、くりかえし自分に言い聞かせた「冷静」ということばがずいぶんと滑稽こっけいに感じた。


 いや、どう考えても理性をなくしすぎだろう。

 「まて」の指示を聞けるおいぬさまのほうがよほどかしこい。


 環はおのれをかえりみて、ひどく恥じ入った。

 たしかに奇跡的に舞いおりたチャンスであったことはまちがいないのだが、それにしたって、もう少し慎重にことを進めることはできたはずだ。


 これは、あれだ。カズくんちをして5年近い月日がたっているものだから、その反動でちょっと行きすぎてしまっただけだ。こんなことは今回だけだ、うん。


 自分をなぐさめながら、どうにかうわついた気もちを落ちつける。

 うまくいくにはいったが、まだ、検証すべき要素は多々ある。いったん課題を洗い出そう、と放課後部室で異世界転生機のハンマーにタイヤをつけながら考えを整理していたところで、いきなりカズヒトがやってきて心臓が口から飛び出るほどおどろいた。


「2日もつづけて、なんの用だ」


 とっさながら、ひえびえとした声を発するよう、努める。

 気を抜くと、きのうの膝のうえにいるカズヒトの幻像がよみがえってしまうため、すこしでも顔を見なくて済むよう背をむけた。


 いまはむり、とにかくむり、はやくかえっておねがい。


 と脳内でのべつまくなしことばが流れていくので、不必要に語気が強くなってしまう。

 とくに必要な工具もないのだが、工具を入れた棚からドライバーを出し、しまい、トンカチを出し、しまい、「きみに時間をとられているひまはない」と言外げんがいに伝わるよういそがしさを演出した。


 そのかいあって、カズヒトは肩をおとして帰ろうと反転する。


 ほっとひと息をつきながら、かすかに、そのしょんぼりとした背なかへの罪悪感がわいてくる。私は、なにを、しているんだろう。去ってゆくカズヒトの背に手をのばしかけて、やめ、目をふせる。


 ――なにをいまさら。


 なにより重要なのは、カズくんの人生にこれ以上いかなる悪影響も与えないことだ。

 そして、そのすきまで、かなうなら私のこころの容器をすこしのあいだ満たしたい。

 これから、生きていけるように。カズくんなしで生きていくときの支えにできるように。

 自分勝手で、わがままなのは、わかっている。


 ごちゃごちゃと考えていると、


「環!」


 と切迫感をともなった大声が耳をつらぬき、びくりとからだが硬直する。

 ゆっくり声のほうを向くと、カズヒトが必死の形相ぎょうそうで自分のもとへ走ってきていた。


 ――え、なに、なに?


 とまどいの声を出すいとまもなく、飛んできたカズヒトに抱きしめられ、胸に顔をうずめる。


 ふわっとからだが浮き、一緒になにかにはじき飛ばされるが、カズヒトのからだが緩衝材になり、にぶい衝撃と痛みと混乱とでなにが起きたのかまったく理解できない。


 状況を把握しなくてはとあせるが、その抱きしめるちからの強さと、記憶よりずいぶん男性的に発達した胸板や腕と、心配そうに自分をのぞきこむカズヒトの表情に視線が強制的に固定され、めぐらすべき思考が猛烈ないきおいで蒸発し、ことばになるまえの感情に脳内がみたされてしまう。


 カズくんカズくんカズくんカズくんカズくんカズくんカズくんカズくんカズくん


「ごめん、ちょっと痛かったな……」


 カズヒトがなにごとかを語りかけながら腕をのばしてくるのが視界にはいり、これ以上、このままでいると夢の国の永住権を獲得してしまう、とギリギリのところで正気をひっつかんでわれにかえったいきおいでカズヒトを突き飛ばしてしまった。


 その一瞬で、異世界転生機のハンマーを目にとらえ、事態を汲みとる。


「ち、ち、近い! わ、私が実際に使うわけもないのに、ハンマーをそのままにしておくわけがないだろう――」


 ぶつぶつと、経緯を説明する一方で、どうにか思考を正常化しなければと自分に言い聞かせる。胸がきゅんきゅんと圧縮するのでくるしい。そのまましゃべりつづけていると、カズヒトが立ちあがって、あやまりながら出口へむかい部室の扉へ手をかけた。


「あ」


 ありがとうと、言わなければと思うが、距離をとらなければいけないはずだろうと理性が自分を制する。でも、たすけようとしてくれたんだから、お礼ぐらい。どうすべきかまごついていると、そのままカズヒトは去っていった。環は袖をつかんで、くちびるをかみ、床を見つめる。


 しばらくすると、顔をあげ、異世界転生機のハンマーをぼうと見やった。もし、あれが、つくったときそのままの鉄のかたまりだったら。頭をつぶされ、血にまみれ、地に伏せるカズヒトがふと頭に浮かぶと、目のまえが真っ暗になった。


 もし、カズくんがいなくなってしまったら。


 ――このうえ、おじさんからカズくんまでうばうようなことをしでかしたら。


 ガクガクと、腕が、全身がふるえる。


 もともと、この異世界転生機は、あまりに催眠機ができないので、挫折して来世に賭けようとしたときの手なぐさみでつくったものだった。

 実際のところ、これで転生などというものがうまくいくとは思えない。トマトのようにハンマーで頭をたたきつぶされておしまいだろう。

 ただ、自分にはお似合いの結末なのかもなと思うことはあった。


 ――もし、自殺なんてすれば、家族はきっとかなしむ。


 でも、もし異世界転生機で死ぬことができれば、実験中の事故ともとれる状況はつくれるんじゃないか。

 かなしむことには変わらなくても、事故なら、すこしはかなしみの量が違うんじゃないかと、考えた。


 そんなものが、もし、カズヒトの命をうばったら。想像によって、全身の血が冷えた。気づくと、カズヒトの家に侵入して、庭からリビングにいたカズヒトに催眠をかけていた。


 そのあとは、自分でもなにをどうしたものか、おぼえていない。

 ただ、カズヒトにゆるされたような気がした。

 自分が自分をゆるしたかったから。もういいよと言ってあげたかったから。


 こんな、自分に都合のいい妄想を具現化しようとする愚行は、もう終わりにすべきだ。

 そう思いながらも、ずっとずっとくりかえしてきた妄想が現実になる快感から、放課後になると、あと一回だけ、もう一回だけとカズヒトの家へ向かってしまった。


 しかし、どうも催眠が完全には効いていないんじゃないかといううたがいが出てきて、ある日の昼休みに大戸へお願いをしに行ったのだった。


「大戸くん、すまないが、ちょっとたのまれごとを聞いてもらえないか」


「なになに、どしたの」


「ちょっと、この機械をメガネにつけてね、あの男にこの質問をしてほしいんだ」


「あの男って、カズのこと? なになに」


 メモに書かれた質問を無言で読みあげる大戸。


「よくわからんけど、ふたりになにかあったの?」


「いや、その、なにもない、なにもないんだが、なにも聞かずにたのまれてくれないか」


「……うーん、これ、なにかないとこんなことしないよねぇ……カズからもなにも聞いてないなぁ、おじさんさみしいなぁ……」


「いや! もちろん、ただでとは言わない。なにか、してほしい発明などあったら、言ってくれたまえ。どんなものでも可能とはえないが、善処しよう」


「うーん……あっ、そしたら、『セックスしないと出られない部屋』って知ってる?」


「えっ、セッ、なにを言ってるんだきみは!」


「いや、ネットで一時期はやっててさ、まあ知らないか」


「知ってはいる」


「知ってんのかい。いや、あれよ? ほんとにセックスしないとじゃなくて、たとえばつきあいたてのふたりがはいって、なんかひとつでも仲が進展しないと出られない部屋、みたいなのだったらどうかなーとか。手をにぎったとか、キスしたとかそういうの」


「進展……というのもなかなかあいまいだな。セッ、セッ、ともかくそういう行為のほうが、条件分岐としてはかんたんな気がするが。うーん進展か……たとえば心拍数をはかって、対象ふたりの動きと距離を検知するとかそんな簡易的なものでよければできなくもないか……?」


 ぶつぶつと脳内シミュレーションをおこなう環に、大戸は「それがオッケーなら、協力するよ! じゃあ機械借りてくから!」と言って出ていった。


 そうして、大戸にカズヒトを詰問してもらったことで、催眠が不完全だったことを知った。


 あれから1週間とすこしが経過したが、いまでも、催眠中の理性がぶっとんだ自分を夜に思い出し、恥ずかしさからベッドにのたうちまわってしまうことがある。


 とにかく、毎度どこか遠くへ旅立ってしまう理性がわるいのであって、私がわるいわけではない。


 そう責任転嫁するが、まったく効果はなく、うおおとさけんで「うるさいよ」と母に階下からたしなめられる。


 同時に、あきらめもついた。


 もう、自分の満足は、じゅうぶんすぎるほど得られた。

 2週間ほどだったが、夢のような時間だった。


 カズくんの「好き」ということばも、聞くことができた。ずっと夢を見ていた。ぜったいにかなうことがなくなったんだと、あの日泣いて、目もとをこすってなげすてた希望を、まさか満たせる日がくるとは思わなかった。


 ――自分の人生は、ここが頂点だ。


 どうせ自分が生きてもくりかえすだけだろうから、もう、終わりにしていいのかもしれないなと思った。

 得られなくてくやしくて終わりをむかえるのではなく、自分がのぞんだものを、自分勝手にでも得られて、満足して終わりにできるのであれば、まあ、いい人生だったといっていいだろう。


 あとは、大戸くんののぞんだ発明をして、それで終わりにしよう。


 環は部屋でひとり、電気もつけず、持って帰ってきた異世界転生機のハンマーを見つめる。つめたい金属を、なでる。

 しずかで、そとの街灯の明かりがうっすらとハンマーを浮かびあがらせる。


 その下に頭を置き、おだやかな気もちで目をつむった。


 転生か、できたらいいな。

 カズくんもいつか、寿命をまっとうして、同じ世界へ生まれかわるのを待って、今度はきっと、添いとげられるように―― 


 今度は、失敗しないように。


 ――そんな空想をしていると、ドンドンと、だれかが窓を強くたたく音で目をひらく。

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