第9話 はじめてのさいみん――環2


 それから、たまきはカズヒトに声をかけるのをやめた。


 カズヒトから声をかけてくると、無視をし、あるいは冷遇するようにした。

 家族同士のあつまりには、参加するのをやめた。


 家族は思春期の不安定な時期だからと考えたらしく、ときどき母から苦言はくるものの、なにがなんでも参加するよういられることはなかった。


 中学生にもなれば、カズくんにも好きな人ができて、やがて忘れられていくだろう。


 そのことを、ひどく、さびしく感じた。


 あたりまえに一緒にいたから、気づかなかったカズヒトへの恋情れんじょうを、話さなくなることで理解した。


 夜、自室でクッションをかかえてひとすじの涙を流したこともある。


 が、涙を流していいのは傷ついた人間であって、傷つけた人間ではないと目もとを強くこすってなかったことにしようとした。



 環は、ものごころついたときからはじめていた「ものをつくる」という習慣に、ますます没頭することになった。


 この時期の環の発明に「尻つねり機」というものがある。


 尻つねり機のイスに座り、感情のゆらぎを検知されると、機械がギュッと尻をつねることで痛みに気が向くようにする発明だった。


 ときおり泣きたくなる自分をゆるしたくなくてつくったものだったが、痛みの調整を失敗した結果つねりがふた晩ひきずるほど痛くなり、また誤検知も多くて勉強していただけなのに尻がひりひりする事態が頻発ひんぱつしたため、現在はつかわれていない。



 カズヒトは、おりにふれて、おずおずと話しかけてきた。

 何度か、怒ってきたこともあった。


 なあ、おれ、なんかしたのかよ。

 言ってくんなきゃ、わかんねえよ。


 環はとっさにこうかえした。


 おぼえがないというのか?

 きみが言わないとわからないほど愚鈍であるなら、話すことはなにもない。


 おぼえなんてカズヒトにあるわけがない。それがあるのは、自分なのだから。

 いやな人間だなと思った。カズくんも、そう思ってくれないかなと、願った。




 ただ、カズヒトから距離をとろうと苦心するほど、きらわれようとつめたい態度をとるほど、カズヒトのことを考える時間が長くなっていくのは想定外だった。


 気づけば、カズヒトに関連する発明をしていることもしばしばだった。


 たとえば、もういっそあやまってすべてを精算できないかと弱気になり、頭をさげたときの気もちを検知して、一定量の謝罪の気もちが認められたときに機械音声がピロピロと軽快な音をあげながら「ごめんなさい」と発声する機械をつくったことがある。


 あるいは、自分の夢をコントロールして、自在にカズヒトの夢が見られるようにならないかとこころみたこともある。


 催眠というアイデアが湧いてきたのもかなり早い時期で、

「カズくんを催眠状態にし、その記憶を自由にコントロールできたなら、カズくんには影響をあたえずカズくんと一緒にいたいという自分の欲望をみたせるじゃないか」

 と、自分の天才的な思いつきに欣喜雀躍きんきじゃくやくした。


 当初は自白剤のときのようにカズヒトに注射して意識をもうろうとさせ、催眠にかける予定だったが、毎回接触するのは不審きわまりないなと、なるべくはなれた状態から入眠状態にもっていく方法をさぐることにした。


 が、これがなかなかうまくいかず、3年もの月日を犠牲にしてしまった。


 そのあいだ、いかなる場面でも催眠できる環境をととのえようと、2階のカズヒトの部屋に侵入できるように5メートルジャンプするスニーカー(カエルジャンプくん)を開発したり、自分のすがたを隠せる透明人間になる薬を発明したり、勇み足から「いやこれ順番がちがうな」と後日ふとわれに返るようなものも発明してしまった。


 だから、催眠機が完成したときは、うれしくて舞いあがってしまった。


 いや、まだだ。まだ理論上完成したにすぎない。

 そう天に浮かびあがろうとする自分の意識を必死に地面につなぎとめ、すぐに妹のかすみをなかばだまして実験に協力してもらい、そのうえで成功を確信したときはあっはっはと深夜の自室で高笑いをしてしまった。


 母からは「環、うるさいよ!」と階下からどなられた。


 これで、カズくんとの過去を、とりもどせる。


 一時いっときのことでもよかった。

 ほんの刹那せつなのあいだであろうと、カズくんとどこに行くにも一緒にいたあの時間、手を、あるいは身をよせあって、ふたりでいつも笑っていた、あの幸福な時間をもういちどこの手にしたかった。


 自分のあやまちが、すべてなかったことになった世界。

 それだけがほしいと願った。



 大戸が部室に来て、カズヒトにプリントを要求された日は、催眠機の初実験に成功した日の翌日であり、徹夜明けでハイになっていた日でもあった。


 大戸が発明品に興味をしめしてくれたよろこびもあって、ついスニーカーの副作用を忘れて迷惑をかけてしまい落ちこんだが、テキパキと大戸を連れていくカズヒトの、男の子をかるがると背負ってみせた力強さに胸がときめくのをおさえることもできなかった。


 ぜったい、いつか成功させてみせる。


 そうして決意をあらたにし、今後の展開を夢想しながらひとりくるくると回転して帰宅しているとき、家の近くであるものを見かけておどろいた。


 ――母が、カズくんを家にまねき入れている。


 これは、千載一遇のチャンスなのでは。


 がぜん色めきたつが、しかし、母がいたら実験できないじゃないかと気をもちなおす。


 冷静になれ。

 カズくんに実行するときは、もっと周到に、状況を変えてなんども実験して、準備をカンペキにととのえたうえでするべきだ。


 そう自分に言い聞かせながらも、ひとまずは家のなかをうかがうべく、庭へまわりこむ。


 すると、


「すぐ戻るから、ちょっと待っててくれる?」


 と大声を出しながら玄関をあける母の声が聞こえてきた。


 ドクン、と脈打つ自分の心臓の音が耳にさわる。


 ――この家のなかに、いま、カズくんはひとりでいる。


 慎重に庭からリビングをのぞくと、カズヒトがソファに座っていることが確認できた。

 あの位置なら、玄関の自分のすがたは見られないはずだ。


 そっと門にもどり、母の位置を確認する。

 ちょうど、ご近所さんに声をかけられて話しこんでいるところが見えた。


 また忍び足で玄関前へもどると、なるべく音を立てないよう扉をあける。

 妹のかすみがまだ帰ってきていないことを、クツがないことで把握する。


 これ以上ないぐらい、状況がととのっている。


 そう判断すると、耳栓をはめ、とっさに催眠機のボタンを押していた。


 くくるくるくる……


 金属を遠くで打ち鳴らしたような音に混じって、特殊な機械音がカズヒトのほうへ飛んでいく。


 リビングの扉はガラスがはめこまれており、そこから中がうかがえる。

 環は、カズヒトがソファにぐったりともたれて目をとじていることを確認する。霞のときと、まったく同じ反応だ。

 たしかな手ごたえを感じ、リビングに侵入しながら、つぶやく。


「ふふ、どうやら、効いたようだね」


 自分の口がニヤニヤとゆるんでしまうのが、おさえられない。


 ――カズくんだ、カズくんだ、カズくんだ。


 ひさしぶりに真正面から向きあうカズヒトのすがたに、理性が消し飛んでしまう。


「私の名前を呼んで」


 恍惚としたまま、名前を呼ばせる。とろんとした、半分眠っているような目つきで、まっすぐにカズヒトが環のことを射抜く。


「環」


 ぞくぞくとした快感が背骨を抜けていった。「ふふ、ふふふ……」自分がうめいていることに、声を出したあとに気がつく。


 カズくん、カズくん、カズくん。


 ――好き。


 もし実現したらしようと思っていたこと、話そうと思っていたことがたくさんあったのに、いまはなにも思い浮かばない。


 ただ、好きな人がここにいる。


 それだけでいいと思った。


 ――思ったはずなのに、われに返ったらカズヒトを自分の太ももに寝ころがらせていた。


 いつ母が帰ってくるかわからないから、いつでもとりつくろえる状態にしておくべきだと、ひとかけらだけ帰ってきた理性の警告にしたがった結果だった。


 だいじょうぶ、私は冷静。


 おのれの平静ぶりを心中しんちゅうでつぶやいて理解しながら、カズヒトの髪をなでる。


 あ、髪、ゴワゴワしてる……


 と、そのとき、玄関の扉がひらき「カズくんごめーん!」と叫ぶ母の声が聞こえて心臓が破裂した。


 したように思えたが、異常なほどのいきおいで心臓が胸の内側を容赦なく連打しているだけだった。


 一瞬で催眠機のスイッチをオフにし、とにかく可能なかぎりカズヒトからはなれる。


 心臓をおさえるために、腕を組んで胸をぎゅっとしめつける。


 ――うまく効いただろうか。


 不安もあったが、その日の夜ベッドに寝ころがっていると浮かんでくる、カズヒトのひとみが、あのころとくらべ大きくなったからだが、ずいぶんと低くなった声が、くりかえし環の脳を支配した。


 クッションをかかえ、身もだえをして、噛んでふくめるようにこころの高ぶりを反芻はんすうする。


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