第7話 私のこと、好きなの?
「ことここにいたっては、もはやしかたがない」
ポツリと環がカズヒトを見おろしてつぶやく。
「安達ちゃん、これ、なんなの?」
「自白剤、のようなものだ。この薬を注入して意識を混濁させ、特定の音波を流すことで質問に対して正直にしゃべらせることができる、はずだ。ここ最近、この男にちょっとした実験をしていたんだが、想定していた効果が出ていないんじゃないかという疑問が生じてね。ウソ発見器で判明するかと思ったんだが、それだけではラチが明かなそうだったんで、強硬手段に出たというわけだ。気乗りはしなかったがね」
カズヒトは、環が大戸になにかを渡しているすがたを、ぼんやりと認識する。
「なにこれ耳栓?」
「念のためだが、これを耳にはめたまえ。指向性のある音波にしているし、薬も注入してなければ影響は出ないはずだが、その音波をふせぐことができる。遮断するのはその音波だけだから、会話には支障ないはずだ」
環は、ポケットからちいさなまるい機械を取り出した。頂点についているスイッチを、ポチリと押す。
カラコロコロロ
カラコロコロロ……
不快な、サイコロが脳内をころげまわっているような機械音が発せられる。いつもの催眠とはちがう感覚。
カズヒトは頭をバーテンダーに振られたような気もちわるさから、ぐたりと首をかたむける。
「きみは、私の言うことを聞く……」
環が近づき、耳もとでささやく。
いつもとは違い、表情が、くもっていた。
カズヒトは口もとにあまりちからが入らず、よだれを少し垂らしてしまう。
環が、それを袖でそっとぬぐった。
「私の質問に、正直にこたえること。いいね?」
「わかった……」
意識していないが、勝手に口からことばが出ていた。
「安達ちゃん、これ、本当にだいじょうぶなの?」
大戸が不安そうに環に聞く。
「5回ほどだが、自分で実験したから、だいじょうぶなはずだ。最中は気もちわるいんだが、終わったあとはよく寝たあとのようにスッキリする」
「それならいいんだけど……」
大戸はなおも不安が消えていないようなようすを見せる。環は、思案げに腕をくみ、あごに手をあてたあと、ちらりと大戸を見る。
「大戸くんにたのんで、よかったよ。いとぐちが見つかった」
「いとぐちって?」
大戸の疑問に直接はこたえず、環はひざを曲げ、幼児にするようにカズヒトに語りかけた。
「大戸くんに言っていないこと、というのはなんのことだ?」
「言っていない、こと……?」
「私ときみのあいだに、なにかがあると隠しただろう。それはなんのことだ?」
「環……環が、くること……」
「どこに?」
「おれの、家に」
「なにをしに?」
「変な……音がする……機械の……」
「記憶が、あるのか?」
「ある……おぼえ、てる……」
「最初から?」
「最初?……最初……」
カズヒトのこたえは明瞭なことばにならない。が、環が深く、ため息をつくのが見えた。
「そうか……霞に協力してもらったときは、成功していたはずなんだが……」
いらついたように、環が自分の頭をくしゃくしゃとかきみだした。しばらく沈黙がつづいたあと、横から大戸が口をはさむ。
「これって、おれが質問してみてもいい?」
「? かまわないが、なにを聞くんだ」
了承を得た大戸が、カズヒトのほうに向き直る。
「安達ちゃんのこと、いつも見てるの?」
「……見てる。いつも……さがしてる」
「な」ボッと音がしそうなはやさで環は真っ赤になった。「なにを聞いてるんだきみは!」
大戸はかまわずに質問をつづける。
「なかなか話ができなくて、さみしい?」
「さみしい……」
「なにを聞いてるんだ、なにを!」
環が大戸の服をつかんでガルルとうなる。
「いや、ほら、さみしいってさ。こういうかたちじゃなくて、一度、ちゃんと話をしてあげなよ。ふたりの問題って、シンプルに、コミュニケーションが足りてないとかそういうことなんじゃないかな、と思って」
「いや、それは……」環は目をふせたあと、キッとにらみあげる。「事情があるんだ、事情が!」
環は大戸の服をはなして、そのあとのことばにつまった。大戸も、待っていいのか、話していいのか、考えあぐねているようだ。
また沈黙をはさんだあと、環がカズヒトにからだを向けた。ただ、目は足もとに向けている。
「きみの、お母さんのことを、おぼえているか?」
「?……おぼえてる……」
「日ごろ、思い出すことはあるか?」
「あまり、ない……考えたく、ない……」
カズヒトのことばに、環は少し息をのんだように見えた。
「考えたくないというのは、どういう意味で?」
「不倫して、出ていったから……うちを、こわしたから……考えると、はら、たつ」
「……不倫していたこと、知りたくはなかった?」
「知りたく、なかった……」
「いまでも、お母さんに対して、負の感情がある?」
「なんねん、たっても、にくんでるのかなって、思うことは、ある……料理してるとき、あのひと、苦手だったから、おれも、とくいじゃないのかなって……あんまり、みとめたく、ないけど……」
カズヒトがとぎれとぎれに、時間をかけて話すことばを、環は口をはさまず聞いた。
「きみが、泣いたときのこと……いや、なんでもない」
環は言いかけてやめた。天をあおいで、なにかをこらえているようでもあった。
「お父さんは、どうだ? お元気か?」
「しごと、たいへんみたいで、あんまり帰ってこない……」
「家にひとりでいるのは、さみしいか?」
「さみしい……? と、いうか……」
とちゅうまで口をついて出たことばは、しかしその先を結ばなかった。頭のなかでも、肉体のほうも、うまく感情をことばにできない。
環はしばらく待っていたが、やがてため息をつき、自分の腕をぎゅっとにぎると、意を決したようにべつの質問をした。
「カズくんは、私のこと、好きなの……?」
ほおを赤らめ、全身をこわばらせている。「好き」カズヒトはすぐにこたえた。「ずっと……」
「あんなに、つめたい態度とりつづけたのに?」
「なにか、理由があるんじゃって、ずっと、考えてる……ずっと、わからない、ままだけど」
環は、ちからがふっと抜けたように、ほそく、長く、息をはく。
「そうか、わかった。ありがとう」
この場で自分はどうしたらいいのかと
「大戸くんも、すまなかった。いろいろありがとう。約束の発明品は、すこし時間をもらうかもしれないがきっと渡す。そうだな、あと10分もすれば意識がもどってくるはずだ。夢を見ていたときのような感覚になっているはずだから、突然意識をうしなったということにして、実験に失敗してしまってすまなかったと私があやまっていたとでも伝えておいてくれ。前後のことをおぼえていないかもしれないから、そのときはくわしく説明する必要もない。体調には問題ないはずだが、もしなにかあったらすぐに連絡をくれるとたすかる」
大戸はそれを聞き、「わかったけど、でも、それ、安達ちゃんが伝えたほうがいいんじゃない? おれ、帰るからさ」と気をきかせた。
「いや、私は、いいんだ……迷惑かけてすまない」
そうとだけこたえて、環は教室を去った。去り際、環がぼそりと口を動かしているように見えたが、なんとつぶやいたのかはわからない。
からだの感覚がもどってきたあと、何度もあやまる大戸に合わせて、カズヒトはへんな夢を見ていたという話をした。
それから、あの奇妙な機械音がカズヒトの家に鳴りひびくことはなくなった。
学校で声をかければ、環は冷遇するのでもなく、ただ無表情に、ぼんやりとカズヒトのあたりを見てなにも言わない。
カズヒトは、環のことが、理解ができない。
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