第6話 活きのいいバイブで難をしのぐ
「いやいやいや、まあおれはね、くわしいことわからんよ? きみと
真向かいのイスに座り、大戸がメガネを拭きながら言う。
口もとは笑っているが、目は笑っていない。
しずかな
ある日の放課後、大戸に声をかけられ、学校の最上階にある空き教室に連れてこられた。「どこ行くの?」と途中で聞いても、「まあ来ればわかるからさ」としか言わない。
なんとなく、ふだんとちがう空気を感じた。
教室のすみに追いやられた机やイスのなかから、2脚のイスだけを大戸がとり出し、むかいあったかたちでならべる。
そこにおたがいが座った状況で、大戸がメガネを拭きながらしゃべっているのだった。
「ま、結局はふたりのことで、おれに口を出す権利はないんだから、それはいいや。とにかくさ、そんなたいしたことじゃないから、ちょっと質問にこたえてくれよ」
と言いながら大戸がかけたメガネは、右上のはじにちいさな機械がついていた。
レンズも、心なしか青みがかっているようにも見える。
「その機械なに?」
と大戸に聞こうかとも思うが、さらに機嫌をそこねてしまうかもと考えるといまはどうも聞きにくい。
カズヒトはひとまず様子をうかがおうと決める。
「質問って?」
「えーと、なんだっけな」大戸がメモ用紙のようなものをひらく。「ああ、そうそう。最近さあ、家にいて記憶が飛んでることって、ある?」
「記憶が飛ぶ……?」
特にない、と言いたいところだったが、あごをさわって左上のほうを見やり、単語を意味なくくりかえすことでカズヒトは考える時間をかせぐ。
大戸のイラつきの原因は、おそらく
「最近の関係」といっても、学校で環との接触はあいかわらず皆無だし、自宅によく催眠に来るぐらいの変化しかないのだが、これをどう説明したらいいものか考えがまとまらない。
「最近環が催眠に来てさぁ」などと言ったところで「こいつとうとう頭がおかしくなったか」と思われそうだし、催眠に関して食いついてこられたらそれはそれでこまるので、あえて伝えてはいなかった。
にもかかわらず、大戸が「おれは聞かされていなかった」と
まさか催眠どうこうとは言わないだろうし、たとえば、「あの男からなにかを聞き出してくれ」とたのまれた、といったあたりだろうか。
ふたりはわりと仲がいいし、大戸がメモ用紙を見て質問してきたところからしてもありえそうである。
とすると、メガネについているあやしげな機械も、環のなんらかの発明品の可能性が高い。
質問の意図もよくわからないし、あまりかるがるしく対応するのはよくないな、とカズヒトは考え、なるべく話をそらしながらこたえることにした。
「記憶っていうか、家にいると異常に眠くなることがよくあるんだよな。なんか、最近、疲れてんのかな。このまえもリビングのソファでさ、気づいたら意識飛んでてもう夜になってたことあったよ。あわててメシの準備して大変だったわ」
「夜中までエロ動画あさるのほどほどにしとけよ」
「してねぇよ。いや毎日してねぇとはいえないけど」
「いやじゃあ次の質問いきます。えー、最近家にいて、なんか変な音が聞こえることはある?」
「変な音……?」
催眠のときの機械音のこと以外にはパッと思いつかないが、そのままくるくるという音がする、などとこたえていいものだろうか。
もしかして、環は、催眠が完全には機能していないことをうたがいはじめているのではないか。
それで、大戸にたのんでさぐってきている……とすると、ウソをついて「聞こえていない」というべきか、音が聞こえること、音をおぼえていること自体はおかしくないと判断して「聞こえてる」というべきなのか、判断がつかなかった。
つかないまましゃべる。
「あー、聞こえる、ことあるわ。最近うちの近所の家が建て替え工事してるんだけどさ、ドリルのズドドドドドって音じゃなく、ヴィヴィィィンンンッッみたいな活きのいいバイブみたいな変な機械音が聞こえてきてちょっと笑っちゃうんだよな」
「活きのいいバイブ」
「活きのいいバイブ」
「おまえ、あの、下ネタちょっとやめろよ」
「いやふだんはおまえがまっさきに言うだろ。突然なんだおまえ」
とまで言ったところで、もしかしたら大戸がつけている機械が盗聴器で、環が聞いている可能性もあるのか、ということに思いいたる。
そうだとすると大戸のこの反応もうなずける。
カズヒトはそこに思いいたると突然恥ずかしくなってきた。
女子に下ネタを聞かれるとは。
決してクラスで目立つほうではない自分たちにとってはまず起こり得ない状況であって、そこに興奮できるような特殊な性癖もしていない。
「いい、もういいから最後の質問行きます。えー、最近、家で安達ちゃんを見た記憶はある?」
「環を……?」
「あんの? ねえねえ安達ちゃんを見ることあんの? おまえらやっぱ関係ちょっと進んでるんじゃないの。どうなの」
「いやおちつけよ、学校でのあいつのおれに対する態度、見てるだろ。前と変わってるか? 家で環を見ることはあるけど、うちのリビングのソファからさ、あいつの家の門のところがちょっと見えるんだよ。そこで、帰ってくるあいつのすがたを見ることは、前からちょくちょくあるよ」
「ストーカーじゃん」
「やかましいわ。つねに見てるわけじゃなくて、たまたまタイミングがあったときだけだよ。このまえなんか、ちょうど近所のねこが来てたみたいでさ、かがんで相手してあげてたよ。のどをさわりながら笑ってたな」
そこまで言うと、とつぜん大戸のメガネがはげしく振動した。
ぶぶぶと大戸の顔面が道路工事のドリルのように残像をのこしつつゆれる。
「えええなにこれ」
大戸自身がとまどっているところからすると、メガネについた機械が振動しているようだ。
ひとしきりゆれたあと、しずまって、大戸はメガネをはずしてうさんくさげにながめる。
「さっきから言おうと思ってたけど、それなんなの?」
「えっ、なに?」大戸はあせってメガネをかける。「それってどれのこと?」
「いや、メガネについてるなんかあやしげな機械」
「いやいやあやしげもなにもメガネだよ。すべてがメガネ。すべてはメガネであり、メガネはすべてでもあるんだ」
「あやしげなメガネ宗教みたいになってるけど」
「まあとにかくこれで質問はおしまいです! おしまいなんだけど、カズ、たのむからひとつだけ教えてくれ。おまえと安達ちゃん、本当に、神に誓ってまったくなにもないの?」
大戸の真剣なまなざしに、
「いや、あの、それは」目をそらしながらこたえる。「まったく、なにもないよ」
その瞬間、大戸のメガネのレンズが虹色にひかりかがやき、大音量でカズヒトを糾弾しはじめた。
「ウソです! ウソです!」
「この男は、ウソをついています」
「メガネはすべてをお見とおし」
――そうか、ウソ発見器だったか……
カズヒトが理解して脱力すると、大戸が目から虹色のライトを放ったままくいっとメガネをあげた。
「悲しいなぁ、カズぅ……。おれたち、いっしょにやってきたじゃねぇか。おれに相談してくれたあのときのおまえの気もち、あのときの熱を、おまえは忘れちまったっていうのかよ……ッ!」
「いやすまん、その虹色のライトに気が散ってなに言ってるかぜんぜん頭にはいってこない。あとキャラつくるのやめろ」
カズヒトはそう言ったあと、つづけた。
「いや、たしかに、おまえに言ってないことはある。でもごめん、それは、なんて言ったらいいのか整理がつかないだけなんだ。なんでこうなってるのか、おれもまだよくわかってないし。でも、そのときが来たらおまえにはちゃんと言うよ。それは信じてくれ」
虹色の光はだんだんおさまっていった。メガネが反応しないことで、大戸はカズヒトが
「約束だぜ」
と、メガネをあげる人さし指ごとまた振動しはじめた。ぶぶぶと顔面だけでなく今度は大戸の全身がゆれる。やがてゆれがおさまると、
「え、なに? やっぱりやんの? あんま気がのらないんだけど……」
と、大戸がひとりでぶつぶつとしゃべりはじめた。
ちいさくてよく見えないが、どうもメガネに文字が浮かびあがっているようだ。
大戸はひとりごとを終えると、「やれやれしかたない」みたいな顔をしてこちらを向いた。
右手に、あやしげなミニ注射器を持っている。
「ちょっとまて、それ、刺そうとしてるとか、まさかそんなことないよね?」
「いやいやいや、まあ、ね?」
大戸があからさまなつくり笑いを浮かべたままにじり寄ってくる。
「ぜんぜん、痛みとかないみたいよ。手の甲にちょっとお薬をプシュッとするだけ。だからだいじょうぶ」
「だいじょうぶなわけねぇだろそんなもん。ぜったいイヤだよ。そんなもん断じて刺させねえからな」
イスを盾にし、大戸を
これを見越して、教室の奥のほうに自分を座らせたのか。大戸にしてはなんと
後悔しても、出口と自分のあいだに立ちはだかる大戸は消えてくれない。
「おれにも事情があるんだって。な、たのむよ」
注射器片手にむりやり笑顔をつくるので、口角だけにょほほとあがった異常者の顔面にしあがっており非常に気味がわるい。
「おまえの事情なんか知るかくそ」
教室の出口は2つあり、カズヒトたちが入ってきたのと逆側の出口には、バリケードというほどではないが机がいくつかならべられていて
ここまでくると環の入れ知恵だな。
思考をめぐらしていると、大戸はシュッシュッと手の甲に突き刺す
「あ、環! たすけてくれ!」
カズヒトはとっさに、入ってきた出口に顔をむけてさけんだ。
大戸もつられてふりかえる。
言うまでもなくウソで、大戸がうしろを向いた瞬間出口にむかって走り出す。
「あっ!」
大戸が悲鳴をあげたときには、バリケードがわりの机に片手をついていきおいよく飛び越えていた。
いける。
机さえ越せれば、あとは出口の引き戸をあけるだけだ。
思いきって向かうと、突然、出口のすぐそばにあった鉄製のロッカーがバタンとひらいて視界をふさいだ。
ブレーキがきかずロッカーの扉にからだごとぶつかる。ロッカーのなかには無表情な環が入っていた。
一瞬目が合うと、そのまま、ぷすりとカズヒトの手に注射器を刺す。
なんで、こんなところに……
刺されながら思い浮かんだことばは口に出すことがかなわず、薬が急激にまわったのかガクンと全身のちからが抜けた。
環がカズヒトの背なかを支える。
「重い。大戸くん、すまないが手伝ってくれないか」
環が大戸に声をかける。
大戸は「えっ、もしかしてずっとロッカー入ってたの……?」とドン引きしている様子だったが、あわてて近づいてきて、カズヒトをかかえた。
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