第4話 シュレディンガーの白ブリーフ
「ヒィヤァァァァァァ」
大戸は甲高い奇声をあげると、ダダダと走って回転ジャングルジムをまわす。
鉄の棒が組み重なってできたカラフルな球体は、近所の見知らぬ小学生2人をみちづれに高速回転する。
「ギャーーーー」
小学生の悲鳴とも歓声ともつかない声がくるくるとまわり、大戸もジャンプしてしがみつくと、「ピャアアアアア」と
妖怪フル回転じじいとして怪談になりそうなすがたである。
小学生とまったくおなじか、あるいは下のレベルで遊べるのすげえなと思いながらカズヒトは弁当箱をとり出す。
つい習慣で弁当を持ってきてしまったが、調理実習でパスタをつくる日だったのを忘れていて、食べそこねてしまったのだった。
しかたないから、帰りみちに公園ででも食うわと言うと、大戸が「しょうがねえなあおれもつきあってやるよ!」と頼んでもないのについてきてくださることとなり、手もちぶさたの大戸はなぜかそこらにいた小学生と一緒にあそびはじめる。
「このにいちゃんキモいぃぃぃぃぃ」
「うえっへへへへブルブルブルブルゥゥゥ」
こどもたちがキャッキャッとはしゃぎながら大戸を罵倒するも、大戸は奇声を発して舌をベロベロとふるわせ白目をむいて応戦する。こどもたちは笑いながら逃げていった。
大戸はこどもたちの相手が済むと、ふうふうとジャージの袖で汗をぬぐいながらこちらへ近づいてきた。ドサリとカズヒトの向かいのベンチに尻をおろして言う。
「ふう、ちびっこたちの相手も楽じゃないぜ」
「それにしては楽しそうだったけどな」
「まあうちの弟10歳下だし、親戚であれぐらいの年の子が何人かいるから慣れてんだよ。正月とかたいへんだぜ」
想像してみると、何人ものこどもたちの相手をしてあげている大戸がかんたんに浮かんだ。
「おまえ、そういうとこえらいな」
「よせやいよせやい。っていうか、えらいっていったらカズのほうがえらいだろ。自分で弁当つくるなんて、ママンにまかせっぱなしのおれには考えられんよ」
「いや、弁当つくるっていうか、ただ晩めしの残りもの詰めてるだけだよ。朝はなんもしてない」
「いやそれにしたってさあ、買って済ませたっていいわけじゃん。そこでちゃんとつくるのがえらいと思うなぼかぁ」
大戸には、両親が離婚したこと、父子家庭であることは言っているが、父が会社を経営していてここ何年も厳しいらしいこと、ひいてはわが家の家計がそうとうに厳しいらしいことは言っていない。
数人のアルバイトしかいない超零細の印刷工場なんて、プリンターやインターネットがここまで発達した現在、実際のところやっていくだけでせいいっぱいなのだろうことは高校生のカズヒトにもなんとなく想像できた。
といっても、そうした現状は税理士とかいう仕事をしている
学生時代からの友人であるおじさんは、父の会社も見てくれているらしい。
カズくんのおじいちゃんから継いだ会社だから、せめて自分の代ぐらいは、できるかぎりまもりたいと思っているんだろうね。
おじさんはカズヒトの背なかにやさしく手をそえた。
いまは苦しいかもしれないけど、どうにかならないかお父さんもがんばってる。だから、カズくんもできる範囲でお父さんのこと助けてあげてくれないかな。
カズヒトはそのときまだ小学6年生だったが、真剣な顔をしてうなずいた。
すでに両親は離婚しており、カズヒトがつたないながら料理をつくるようになったのもこのときからだ。
おじさんはなにかと世話を焼いてくれ、なにかのときのためにお互いの家のカギをひとつずつ持っておこう、とも提案してくれた。おとなりさん同士でもあるからね。
おじさんの言う「なにかのとき」がなにを意味しているのか、そのときも、いまも、カズヒトにははっきりとはわからなかった。
――だから、うちには外食をする余裕なんてないんだよな。
親父は余裕がないなんて一度も言ったことはないけれど、ここの公立の高校を選んだときも、食材の買い物をするときも、いつも頭のすみにはそのことがある気がする。
カズヒトはそんなことを考えながら「買うより、自分でつくったほうが好きな味にできていいじゃん。おれ野菜あんま好きじゃないから濃い味でごまかすんだよな」弁当の
「いやーうちのママンにも聞かせてあげたいよ。素材の味がおいしいとか言いながらドレッシングもなしでサラダ出してくるんだよなあ」
「ドレッシングなしはおれもきついわ」カズヒトは笑いながら、「そういやおまえ、あのクツ履いてから足は大丈夫なの。あとから後遺症みたいなの出てない?」
「あー足? いやぜんぜんよむしろピンピンだって、めちゃくちゃ痛いけどめちゃくちゃ効く足ツボ押してもらったみたいな気分」
「じゃあもう一回履いてみる?」
「いやそれはいい。それはマジでいい。痛みとしては地獄そのものだったから。痛すぎて足の裏がもげるかと思ったから。でも安達ちゃんすごいぜ、なんか『なにぶんマックスで5メートルも跳ぶから、はじめてだと加減がわからず着地に失敗するおそれがある。念のため、クッションを敷いておこう』って言って、セットで発明したものを出してくれたんだけどさ」
大戸が言うには、それは一辺が10センチ程度の正方形のクッションで、絶妙な音量で「おっきいね」とささやくと10倍以上に膨張して人も受けとめることができるサイズのクッションになるということだった。
「絶妙な音量」というところがみそで、声が大きすぎても小さすぎても反応しないのだという。
「なんかすんごい下ネタに聞こえてしまうわ……」
カズヒトは頭をかかえて「あいつ何やってんだ」と言うと、大戸がニヤリと笑う。
「いや、それおれも言ったんだけど、『ふん、下劣なことに、男子はそういうのが好きなんだろ。ほら、きみと、よく一緒にいるあの男とかも』だってさ」
大戸は環の口調をまねて腕を組み、髪の毛をいじるしぐさをする。
さらに「あの男」ともう一度言いながらカズヒトの顔をのぞきこむ。
「やっぱ意識してんじゃん! っておれは確信したね。理由はよくわからんけど、てれ隠しみたいなもんで、そのうちちゃんと話せるようになるって!」
大戸はバンバンとカズヒトの背なかをたたいた。
以前なら「うそだろ」と信じなかったが、いまはもしかしたら気にしてくれているのかもしれないと思える。
カズヒトはあいまいに笑って「あー、そうならいいんだけどな」とつぶやく。
話しながら弁当を食べおえ、カバンにしまっていると、公園の入口から大きな声で呼びかけられた。
「おーい、カズくん!」
声の主を見ると、
「おお、霞じゃん」
「カズくんひさしぶり! なにしてるの?」
中学2年生になる霞は、姉と性格的にも身体的にも反対といってよく、10歳にして成長期が来て環の身長を追い抜いてしまった。
それに環は衝撃を受け、よろよろとよろめきながらカズヒトに近づくと、
「ヨヨヨ、ことここにいたっては私がマウントをとれるのはカズくんだけだ。カズくんはこのままでいてね。必要なら身長がのびない機械でも発明するからね」
とうしろから両腕をまわして捕獲してきた。
わざわざつま先立ちをしてまで頭のうえにあごをのせる環に「いまに見てろよ」と吠えつつ、カズヒトは成長期がいっこくもはやく来るよう夜ごと願うようになった。
「いや、あまってた弁当食ってただけ」
「なになに、このかわいい子だれ?」
「環の妹さんだよ。安達霞」
「こんにちは! おにいさんはどなたですか!」
元気よく問われた大戸は前傾姿勢で手を上にかかげ、ポーズを決めつつメガネをくいっとあげた。レンズがキラリと光る。
「カズくんの一番のおともだち、大戸ヨシトです!」
「まえも言ったけど、その決めポーズくそださだぞ」
「くそださおにいさんこんにちは!」
笑顔で辛辣なあいさつをかわされた大戸はまったく動じず、「くそださおにいさんですどうもこんにちは!」と気もちわるいぐらいの満面の笑みプラスくそでかボイスで対抗する。
と、霞がなにかに気づいたのか、けげんな顔で大戸が着ているジャージを見やる。
「あれ、これ……?」
「どうした霞」
「これ、学校のジャージじゃないよね? なんか似たようなのお姉ちゃんに着せられたことがあったような……」
「あーそうそう。ついさっき帰るときに安達ちゃんに借りたんだよ。なんかこれも発明品らしくてさ」
話を聞いてみると、一切のよごれが付着せず、洗濯がいらなくなるジャージをつくってみたとのことだった。
「いやー、うち、オカンがちょっとでもよごれたら洗濯しろしろってうるさくてさ、よごれないとか最高じゃんってお願いしてちょっと貸してもらったんだよ」
「へー汚れつかないのはすごいな。おれもちょっとほしいかも。でも、なんか注意事項とかなかったの?」
「あーそういや言ってたな。ちょっとニヤニヤしながら『きょうは絶対に寄り道せず、まっすぐ家に帰るんだぞ』って」
「いま絶賛寄り道中じゃん。いいのか?」
「ちょっとぐらいなら大丈夫だろ」
カズヒトと大戸がやりとりをしていると、霞がなにも言わずに勢いよく座りこみ、目を両手でおおう。
「おにいさん! 急いでおうちへ帰ってください!」
と叫んだ。
大戸が、「え、なになに爆発でもすんのなんでそんな」と
「あと」「10秒」
と機械音声のカウントダウンが聞こえてきた。
「え、なになになにマジで爆発?」
ますますうろたえる大戸。カズヒトも音の出どころをさがすが、十中八九大戸が着ているジャージだろう。あたりをつけて見てみると、
「大戸、これだ!」
と、ジャージの襟元に設置された薄くちいさいスピーカーを発見した。「脱げ! 脱げ!」どうなるかわからないがあわててジャージをひっぱる。大戸は、
「いや、おれこの下パンツしかはいてないんだって! 公園でやばくない?」
「言ってる場合か!」
と問答しているあいだに、機械音声は「5」「4」「3」と無情に数を減らしていく。カズヒトがジャージのファスナーをむりやりおろし、大戸の貧相なからだがあらわになり、大戸が「ヒャーン!」と悲鳴をあげて露出する右乳首を隠したタイミングでカウントダウンは終局をむかえた。
ビリビリビリという大音量の布が裂かれる音とともに、大戸のジャージが全身ちりぢりに破れ去る。
うすぎたない紙吹雪のごとくジャージの切れはしが舞うなか、パンツ一丁で公園にたたずむ大戸がのこされた。
「……どういうことこれ」
「なんか、よごれはつかないんだけど、汗を一定量吸う? と服が破れちゃってうまくいかないとかなんとか言ってました。私も家で試しに着させられてひどい目にあったんですよ」
「なーるほど、ね」
大戸は放心したように立っているが、なにがなるほどだったのかは定かではない。大戸はくるりとカズヒトのことを見た。
「着替えとか、持ってる?」
「持ってるよ。貸してやるから洗って返せよ」
自分のカバンから学校指定のジャージを出して渡す。
大戸は受けとりながらまぶしそうに空をながめた。キラリと光っているのは涙かメガネか。
「ふふ、おれ、なんだか新しい扉がひらきそうだよ」
「おまえが言うと冗談に聞こえないからやめろ」
アルバイトの時間が近づいてきたため、傷心あるいは興奮した大戸と別れ、カズヒトは霞と家路についた。
霞はむかしと変わらず、屈託なく話をしてくれる。
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