第2話 せまりくる異世界転生機


 ――え、なに?


 カズヒトは2階の自室のベッドにあおむけになり、明かりもつけないまま暗い天井を見つめて問いかけた。


 あれは、なんだったんだ?


 先ほどの、たまきの家でのできごとを思い出す。

 思い出すが、あまりに現実ばなれしすぎていて、夢か現実かが判別できない。


 とにかく、奇妙なくるくるとした音が聞こえてきて、猛烈に眠くなったのはたしかだと思う。たぶん。

 で、そこから寝ていたのか?


 それにしてはと、カズヒトは自身の後頭部をさわる。

 やわらかい、つつまれるような環の太ももの感触がずいぶんとなまなましく残っている。

 そのときにふわりと漂ってきた甘い香りも、下から見た環のささやかな胸からあごまでの曲線も、何年ぶりに見たのかもわからないやさしさを灯したひとみも、夢というにはやけに明瞭に記憶にきざまれている。


 少なくとも、あの瞬間だけは、環に存在をゆるされたように感じた。


 部屋の窓をちらりと見る。

 環の家はとなりではあるが、ちょうど安達家の庭があいだにあるので、環の部屋までは走り幅跳びをしても届かないほどの距離がある。


 ベッドから起きあがり、カーテンをそっと開けた。向かいにある、2階の環の部屋はカーテンが閉まっているが、すきまから明かりが漏れていることは見て取れた。

 起きてはいるのだろう。

 もしあっちから開けてくれたとしても、よっぽど声を張りあげないと会話はできない。


 ため息をついてカーテンを閉める。

 あまり、考えすぎていてもしかたないので、明日聞いてみようかとカズヒトは考える。

 しかし、なんて聞けばいいのだろう。


 ――なんか、人に夢を見せる発明でもした?


 しかしなんでそれを自分にかけたのだろう。


 ――なんか、命令に従わせることができる発明でもした?


 そうすると、環がなぜ自分に膝枕をさせたのかという謎が生まれる。あんなことをさせるぐらいなら、ふつうに話をしてくれればいいじゃないか。


 どんなふうに考えても、疑問が残る。

 ただ、もし環がなんらかの理由で能動的にああいうことをしたのなら、いまのこの関係を改善するきっかけになるのではないかと、期待感で右の頬を音もなくなでる。


 ともかくも明日だ。


 心に決めて寝ようとするが、見あげたときの環のおだやかな表情が消えなくていつまでたっても寝つけない。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 放課後、カズヒトは研究開発部の部室の前に立っていた。


 環とは同じクラスなので、もしかしたらと、放課後にいたるまでのあいだちらちら何度も環のことを見たが、環は自席で退屈そうにそとをながめたまま、一度としてこちらを見ることがなかった。


 いや、まあそれは、いつものことだとカズヒトは気を取り直す。

 とにかく、えー、話のはじめにどんな話題を持っていったらいいか定まってないが、環の反応を見ながらさぐっていけばなんとかなるだろう。

 「なんとかなる」と思えないといつまでも踏み出せそうになかったので、おのれを鼓舞しつつカズヒトは部室のドアをノックした。


 コンコン。


「はい、どうぞ」


 澄ました環の声が届く。

 いつもの声よりもちょっと高い、ねこをかぶっているような声音だ。


「あの、えー、失礼します」


 なんといっていいかわからず、かしこまった応答になる。

 ガラリと引き戸のドアを引くと、純真無垢な、かがやきすらもうっすらと浮かぶ表情でこちらを見ていた環の顔が不機嫌そうに一変した。


「なんだ、きみか」


 とたんにいつもの低い声に戻る。


「2日もつづけて、なんの用だ」


 カズヒトに背を向けて、なにやらいじっていたハンマー(たしか異世界転生機)にふたたび向き合う。


「いや、あの、えー」


 カズヒトは言葉が出ず、しどろもどろになる。


「きのうのことか。きのうのことは謝っただろう、大戸くんには今朝あらためて謝罪もした」

「ああ、いや、なんかあのあと『むしろ足のだるさがとれた』ってピンピンしてたよ、あいつ」

「大戸くん本人から聞いた」


 ピシャリと言われてカズヒトは二の句が継げなくなった。「それで、私の手落ちが消えるわけじゃない。何年前の発明だろうと、副作用ほど忘れてはいけなかった」

 自分に強く告げるように、環がつぶやく。


 その語気の強さに、返すことばが押されてのどの下に封じこめられた。「そんなことないよ」という安易な気休めは、きっと環をなぐさめるどころか、自分の底の浅さをさらす効果しかもたらさないだろう。


 いったい、なにを浮かれていたんだ。


 目のまえで、いつものように嫌悪感を隠そうともせずに話す環を見ていると、すべてが自分の夢だったのではという気がしてくる。


 ――あるいはそうだったのかもしれない。


「それで、なんの用なんだ。大戸くんのことならもう十分だ。きみに迷惑をかけたのはすまなかった。ほかにないなら帰ってくれ」


 ハンマーに背を向け、部屋の反対側にある棚に移動しなにやら工具をとり出しつつ、いらついた口調で環は話す。

 カズヒトは、いまからでも話を転換できないかといくつかのことばを探すが、


 きのう、環の家でさあ。


 なんか、くるくるって音がする機械、最近つくった?


 出てくることばはうわついていて、環のことばにぐにはちぐはぐなものばかりだった。ことばに添えようとあげた手を、むなしくあきらめながらおろして、「いや、うん、それだけだ。悪かった」と床を見ながらこたえた。

 部屋を出ようと、向きを変えてドアに手をかける。


 と、そのとき、視界に一瞬妙な残像がうつった。


 少し顔をあげると、壁の端に置いてあった異世界転生機が、その大きなハンマーをぶんぶんと上下させながら前進しはじめていた。

 どんどんと加速し、一直線に環のもとへ向かう。環は棚からものをあさるのに夢中で、気づいていない。


「環っ!」


 カズヒトは叫び、気づくと環に向かって走っていた。

 環はカズヒトの声に驚いてこっちを見て、ハンマーにはまるで気づいていない。

 声のかけかた、失敗したか。

 いかにも重そうな鈍器があらゆるものを粉砕せんばかりの勢いで素振りをくりかえし、環に迫る。


 きのう、後頭部をぶん殴られたら死ぬようなことを言っていたな。


 ぶん殴られたら本当に異世界に転生しちゃうのか? 冒険はじまっちゃうのか?


 頭にとっさに疑問が浮かぶが、とにかく環に向かってジャンプし、環のちいさな頭を胸に抱えると、自分のからだをひねって環と異世界転生機のあいだに置いた。


 こんなどでかハンマーに殺されるって、ちょっと格好つかないな……


 空中で思いながら、カズヒトの後頭部がジャンプした勢いで異世界転生機に吸い込まれるように近づいていく。

 ハンマーがちょうど上にあがり、神がおろかな人類に鉄槌をくだすように、満身のちからをこめて鈍器を振りおろす――


 ポコンッ。


 ピコピコハンマーにはたかれたような音を出して、カズヒトは首を押され地面に転がされた。


 あいたっ。


 痛い、痛いが、少なくとも頭蓋骨がこなごなになったような感じはしない。

 思いながらおそるおそる自分の後頭部をさわる。特に湿ったような感触もなく、血も出てなさそうだ。


「な、な、な……」


 変な声がするので下を見ると、環が自分の腕のなかで真っ赤になってうめいていた。「ああ、ごめん」カズヒトは身を起こし、声をかける。「痛くなかったか。なんか、ハンマーが来てたから、つい……」環の左の頬に、すり傷ができているのを見つける。


「ごめん、ちょっと痛かったな……」


 カズヒトが環の頬に手をのばすと、環がうろたえてカズヒトを突き飛ばした。


「ち、ち、近い! わ、私が実際に使うわけもないのに、ハンマーをそのままにしておくわけがないだろう! ちゃんと、安全を考慮して、普段はこどものおもちゃのようなビニール素材にしてあるんだ」


 顔を真っ赤にして、左手で右の肘をつかみ、右手で髪をいじりながら答える。ななめ下の、床のタイルを見つめて早口でしゃべりつづけた。


「い、いきなり名まえを叫ばれて、抱き、飛びついてくるからなにかと思ったら、まったく……きのうトラック案が出てきたから、動いてみたらどんなもんだろうといたずらごころでタイヤをつけてみただけだ、まったく……」


 ぶつぶつと言う環に、カズヒトは思わずくすりと笑った。「いや、早とちりした。わるかった」立ちあがり、尻についた埃をはらう。「ごめんな、左のほっぺに少しすり傷ができちゃってるから、あとで確認して絆創膏でも貼ってくれ」


 ――万が一、異世界に転生するんなら一緒がいいなと思って。


 そう冗談のように言ってなごまそうかと思うが、そぐわないなと少し笑ってそっとしまう。

 きょうはやめておこう。そう決めて、もう一度あやまりながら部室から出る。

 「あ」という声が聞こえた気がしたが、出るときにちらりと環を見ると、ぎゅっと袖をつかんでうつむいていた。


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