出会い

 大学2年の秋、学祭の実行委員を引き受けてしまった楓は、毎日準備に追われて忙しくしていた。数えきれないほどの部活やサークルが開く模擬店の場所決めや使用する教室の割り振り、調理器具や食品を扱う場合に提出される申請書の処理など、下っ端ながらも一生懸命働いた。学祭当日、映画研究部が使用するはずのスクリーンが運搬されていないというクレームが入り対処に追われていると、楓の申請ミスだと分かった。泣きたくなる気持ちを抑えて、他の先輩委員と一緒に急いで申請し直して、なんとか上映時間ギリギリにスクリーンの設置までこぎ着けた。


 3日間の学祭を終えて、各部会の撤収作業も終わりが見えてきた頃、

「一応、映研に挨拶、行っとくか」

 実行委員長に付き添われて、楓は映画研究部に初日の不手際を詫びに行った。

「わざわざ悪いね。結果オーライだから、気にしないで」

 その時の映画研究部の部長が、乾伸一いぬいしんいちだった。伸一が楓と同じ文学部だったことも分かり、それを機に、構内で見かけると話をするようになった。面白い映画を教えてもらったりしているうちに、一緒に観に行くようになり、自然と2人の付き合いが始まった。もちろん、楓は栞里にすぐに伸一を紹介し、3人で食事に行くこともしばしばだった。

 

 4年生の伸一は、すでに食品加工メーカーに就職が決まっていて、入社後の配属も仙台支店に決定していた。

「いきなり遠距離恋愛かぁ。でも東北新幹線通ったし、近距離、近距離」

 都内の女子大に通っていた栞里とは、大学が違ってもしょっちゅう連絡を取り合っていたので、お互いの近況も知り尽くしていた。


 春になって、伸一は社員寮に入った。携帯電話もスマホも普及する前の時代だ。連絡を取り合うのは簡単ではなかった。部屋に個別の電話もなく、毎回、不機嫌そうな管理人のおじさんに取次いでもらわなければならなかったし、長電話も厳禁だったので、結局、手紙が一番の連絡手段だった。かわいい便せんや変わった切手を選ぶのに時間をかけるなんてことは、今の若者には考えられないことだろう。


 秋になり、『紅葉が始まりました』と書かれた伸一からの絵葉書が届いのをきっかけに、楓と栞里は、仙台に旅行に行くことにした。

「お邪魔じゃない?」ニヤつく栞里をいなしながら、半年ぶりの伸一との再会に楓も心躍らせていた。

 大宮から新幹線で約2時間。仙台駅に降り立つと、10月下旬とは思えない寒さに2人してコートの襟を掻き合わせた。レンタカーを借りて迎えに来てくれた伸一の案内で、仙台城跡で伊達政宗像を拝み、再建されてまだ十年も経っていなかった瑞鳳殿を巡った。


 夜は、伸一が会社の先輩に教えてもらったという郷土料理屋に行った。店内の入り口には、正面の棚いっぱいに地酒が並んでいた。伸一もまだ日本酒の味などまだよく分からないので、お店の人にお薦めを聞いた。

乾坤一けんこんいち、飲んでみる?辛口だけど、飲みやすいよ」

「けんこんいち?聞いたことないお酒だね」

 初めてのお店で少し緊張しながら待っていると、お店の人が一升瓶を抱えて戻ってきた。

「大沼酒造の乾坤一けんこんいちです」

と、一升瓶のラベルを見せてくれた瞬間、3人揃って、

「いぬいしんいち⁈」

と叫んで爆笑した。

 ポカンとする店員さんを前にしばらく笑いが止まらなかったのだが、よくよくラベルを見ると微妙に『伸』の字が違うことが分かった。笑った訳を知った店員さんも面白がって、伸一に『乾坤一』の一升瓶を持たせて写真を撮ってくれた。明治初期に初代の宮城県知事がこのお酒を飲んで感動し、この世で一番美味しいお酒になりますようにと名付けたという話も教えてくれた。

 丁寧に注がれたそのお酒はきれいで、とてもおいしかった。他にもお薦めの地酒や郷土料理をいくつか堪能して、久しぶりに遅くまで盛り上がった。

 

 翌日は、仙台駅から仙石線で松島へ行った。

「松島だー。ほら、松島だ、松島だー」

 はしゃぐ栞里に「小学生の芭蕉かよ」という伸一のツッコミは、旅行中の3人のブームとなった。

 楓が絶対に行きたいと言っていた円通院には、縁結び観音があった。100円のお賽銭でたっぷりと時間をかけて願い事をしている楓に、何をお願いしたのなんて聞く必要はなかった。栞里も「早く結婚する人と出会いますように」とはっきりと声に出して願い事をした。

 一泊二日の短い旅だったが、初めての仙台はとても楽しい忘れられない思い出になった。


 ◇  ◇  ◇


「それで、天国に付き合うって、どこに?」栞里が話を戻した。

 楓は、透き通ったお酒が入ったお猪口を見つめたまま、話し出した。

「本当はね、スカイダイビングとか気球に乗るとか、インドやアフリカに行くとか、私の苦手な危険を伴うことをやってみるっていうのに付き合ってくれないかなって思ってたの」

「私も危険にさらされるのね」

「あとは、一人暮らしをするとか、知らない土地に移住するとか・・・」

「現実的には難しそうだね」

「・・・新しい恋をするとか」

「こい?」急な展開に、栞里は大きな声で聞き返してしまった。

「ははは、恋は嘘。少し前向きな気持ちの話だから、天国って言ったんだけど」

「保険かけてるのか、大胆なのか微妙だけど」

「でも今、これ見て本当にしたいことが分かった」

 楓は、懐かしそうな表情で『乾坤一』と書かれたラベルに視線を向けた。

「伸一さんに会いたいってこと?・・・それ、一番危険じゃない」

「危険って・・・。ただ、伸一さんに最後に会いたいなって」

「まだ死ぬ気でいるのね」

「会ってみたい気もするけど、こんな疲れ切ったおばさんにガッカリされるのも嫌だし、そもそも、震災でちょっと大変だったって風の噂で聞いたくらいで、今どこにいるかも知らないし」

「伸一さんも、頭薄くなって太ってて、がっかりな見た目になってるかもしれないしね」

「嫌なこと言わないでよ」

「余命20年を乗り切るために必要なら、いいんじゃない?」

 楓はお猪口に口を運ぶと、何かを決意したようにゆっくりと飲み干した。

「仙台に行ってみようかな」

「よし、行こ!付き合う!天国も地獄も、楓に付き合っちゃう!」

 気持ちは本気だとしても、楓の性格上、行動に移すかどうかは疑わしかったが、お酒も進んで、どうやって伸一を探そうか、実際に会ったらどうするか、などと現実的なのか非現実的なのかわからないような話を延々と繰り返し、学生時代に戻って笑い合った。



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