余命
それからひと月ほど経った頃、また楓からメールが届いた。
『地獄と天国、どっちなら付き合ってくれる?』
またややこしいことになっている。天国と地獄じゃなくて、地獄と天国なところが怖い。
『最短距離の説明をお願いします』
『地獄→余命20年なんて、強欲だった。余命1年かも。
天国→おかげで最後にしたいことが見つかった。
せめて天国の方、付き合ってくれない?』
余命1年かも?かもって何だろう。
二人は結婚してから地元の大宮を離れて楓は宇都宮に、栞里は都内に住んでいるのだが、楓の表情を見ながら話をした方がよさそうだと思い、栞里はすぐに返信した。
『週末、会おう。どこがいい?』
『ありがと。地元に帰りたい』
『大宮に6時でどう?』
『了解』
土曜日の夜、栞里は、楓と大宮駅の改札で待ち合わせをした。先週、ハロウィンが終わったと思ったらもうクリスマスの飾りつけが始まり、街全体が浮足立っている。いつの時代も若者は元気で楽しそうだと、若い頃の自分を重ね見ていると、
「久しぶり~!」すぐに栞里を見つけて、楓が手を振りながら改札を抜けてきた。
「思ったより元気そう。変なメール送ってくるから心配したじゃない」
そう言いつつも、楓が前より瘦せているのが少し気になった。
若者で賑わう駅前から少し離れて、同窓会の三次会で入って以来気に入り、地元飲みをする時は決まって利用するようになった静かな和風居酒屋『天の川』に行くことにした。
年季の入った木枠の引き戸をがたつかせながら開けると、らっしゃいっ!と威勢のいい大将の声が響いた。
「ご無沙汰しておりました~」
「おお、久しぶりだね。栞里ちゃん、今日もいい日本酒、入ってるよ。あれ、楓ちゃん、ちょっと痩せたんじゃない?今日はいっぱい美味いもの食っていきな」
大将に挨拶しながら、カウンターの前を通って、個室に近い天井までの仕切りのある奥のテーブル席に着いた。
「とりあえずビール1本、お願いします!あと、おつまみは大将のお薦めで」
2人は店内の壁にぐるりと貼られた手書きのメニューを見回しながら、ビールが運ばれてくるのを待った。
「お待たせしました~!」バイトの女の子も元気がいい。
冷やされたグラスにビールを注ぎながら、栞里はさりげなく楓の様子を窺った。思っていたよりは思いつめた様子は感じられなかったが、心配ないと言い切れるほどでもなかった。
「はい、お疲れ~」軽くグラスを合わせ、大将お薦めのカレイと海藻の煮凝りをつまんだ。
「美味しい!『天の川』に来たの、去年の夏以来かも」
世間話をしながら話のきっかけを探すような仲ではないので、栞里は単刀直入に切り出した。
「この間のメールのことだけど、天国と地獄って何?」
「あー、地獄と天国ね・・・先月、職場の健康診断があって。潜血がありますって。でも今までも何回かあったけど、再検査って言われたことはなくて。あと、私、仕事でほぼ一日中パソコンに向かってるから、万年肩こりだし背中が痛かったりするのは当たり前で。だから気にしたこともなかったんだけど、今年初めて、再検査って言われてさ」
「待って待って。そっから急に、余命1年とかやめてよ」
栞里はグラスに残っていたビールを一気に飲み干すと、手酌でビールを注ぎ、あふれかけた泡にあわてて口を運んだ。
「腎臓と膵臓、精密検査することになった」
「・・・まだしてないの?」
「来月、予約してる」
「え?まだ検査してないのに、なんで余命宣告されるてるのよ?」
「膵臓とかってさ、物言わぬ臓器って言うじゃない。不調が発覚した時にはすでに手遅れって。・・・完全に不調なの、私。だから、多分アウトで余命1年」
「多分?…予想⁈もう、いい加減にしてよ~。いろんなこと考えちゃったじゃない。楓はいつも一番悪い状況想像するんだから。あー、もうバカバカ。心配して損した」
栞里は両腕を伸ばして大きくのけぞってから腕を組み直すと、楓を睨みつけた。
「日本酒、貰おうっと」
お刺身の盛り合わせと山芋の一本漬けを一緒に注文すると、本題に戻した。
「それで、天国に付き合えって、どういうこと?」
楓は、職場の愚痴や家族の近況や昔話などを行ったり来たりしながら、今度はなかなか核心にたどり着こうとしなかった。
「子育てしてる時期は、時間ができたらやりたいと思っていることもあったけど、家族の予定とか体調とか自分以外のことをずっと優先して生活してきたから、それが当たり前になって、やりたいことも考えなくなっちゃって。時間に余裕ができた時にこんなに体力と気力がなくなってるなんて思ってなかったから」
「そうね。主人や子どもたちのことはストレスだらけだけど、私はたまたま好きなことが仕事になったから、やりたいことできているのは幸せなのかも」
栞里はお猪口を空にした。
「はい、お薦めのお酒。三角油揚げも大サービス」
タイミングよく大将が運んできてくれた日本酒のラベルを見た瞬間、栞里と楓は顔を見合わせると、
「いぬいしんいち‼」と同時に叫んで、爆笑した。
「けんこんいち、だよ」大将は呆れたように額に手を当てて厨房に戻って行った。置かれた日本酒は、宮城県の銘酒『乾坤一』だった。
「・・・懐かしい」
ラベルを指でなぞりながら、ふと力が抜けたような楓の声が漏れた。
「思い出のお酒、だよね」
栞里も少し神妙な顔つきで、2つのお猪口にゆっくりとお酒を注いだ。
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