第4話 下乳見たい?
「よしジジイ。最初の願いを使うぞ。現地をいっかい下見に行かせてくれ」
オレはジジイにそう告げた。
「なぬっ? いっかい下乳見させてくれじゃと?」
「誰がジジイの下乳見るかボケ! 下見に行きたいだ!」
怒りのあまりちゃぶ台を持ち上げてジジイに叩きつけた。
バリンッと真っ二つに割れる天板。
しかしその只中で、
「ふい~。危なかったわい。弥勒菩薩ちゃんにコレ教えてもらっといて助かったのぉ」
弥勒菩薩なに教えてんの?
「まあいい。ほんで、下見に行けるんか?」
「神様ブッ叩いといて『まあいい、ほんで』とか有り得んじゃろ」
ブツクサ文句を垂れるジジイに、オレはちゃぶ台の残骸を持ち上げ構える。なるべくギザギザした破断面を向けて。
「わかったわい。やるやる。やれるからソレを下ろすんじゃ。ワシ先端恐怖症でトキトキしたモノがダメなんじゃ」
ジジイはそう言うと、オレの手から三つの袋の内一つを取り上げた。
目の前に掲げてなにやらモニュモニュと呟くと、袋がじんわり発光し始める。
「これでよかろうて。して、下見の期間はどれぐらいにするんじゃ? 300年くらいかの?」
「こっちがジジイになるわ。神様の尺度で設定すんな。一週間くらいでいいんじゃないの?」
ジジイが袋を一撫ですると、袋が幾度か明滅を繰り返した。
「出来たぞい。これで一週間ほど、400字詰め原稿用紙なら20枚程度をワシの世界へ下見に行けるわい」
「神様の尺度ヤベエな」
「映像化したら正身20分くらいの尺じゃな。ちょうどアニメ1話分くらいじゃ」
「分かった、もういいから黙れ。これ以上は危ない」
なんちゅう危ない会話をするんだ。慌ててジジイの手から袋をひったくる。
じんわりと光るその袋は妙に温かい。人肌だ。
さて、神様の奇跡とはナンボのモンなんだろうか。オレは袋に手を突っ込んで中身を探ってみた。
途端に全身が総毛立ち、毛穴という毛穴から脂汗が噴き出した。
激しい虚脱感に遂には膝を付く。
「あっ、コラッ。そんな雑に扱ってはいかんぞ。オヌシの魂が耐え切れずに四散してしまう」
「ウググッ! そんな危ないもんなら先に言え! この突っ込んだ手はどうすりゃいいんだ!?」
「ゆっくり優しく丁寧に、神様ありがとうございます、と言いながら感謝の気持ちを込めて手を抜くのじゃ。ホレホレ、言ってみ? 神様尊敬してます、ありがとうございます、と」
くそジジイめッ、絶対に言わんからな!
「ぬうええええいっ!」
勢いをつけて思いっきり手を引っこ抜く!
全身に氷水を浴びせられたような寒気を感じ、オレは耐え切れずにぶっ倒れた。
息も絶え絶え、引っこ抜いた手を確認する。その手には何やら紙片が握られていた。
「……電車の乗車券?」
「おお。そんなんが出よったのか。よかったのう自転車とかじゃなくて」
自転車じゃあ異世界行けないしな。
でもそれは電車でも同じことだろう。ギリで、JR高崎線を使えばグンマーという異世界に行ける可能性はあるが。
さっき無茶をした後遺症か、全身に力が入らない。
ヨロヨロとよろめきながらなんとか立ち上がる。手には乗車券。
こんな乗車券を貰ってどうすればいいのか。オレがそんな疑問を持ったと同時に、目の前に忽然と駅の改札口が現れた。
「ほれ、その乗車券でここを通ればあっちの世界に行けるぞい。あっちゅう間じゃ」
「お、おう。わかった」
どうやら虚脱感で頭が回らなくなっている。
そんな自覚はあるのだが、だからといってどうすればいいのかも思い浮かばない。
ジジイに促されるように改札へ歩み寄る。
「あとこれも持っていけ。オマケじゃて」
ジジイが紙箱を手渡してきた。
「『浜松銘菓・うなぎパイ』?」
「おお、そうじゃ。弁財天が遊びに来た時の土産じゃが、精がつくと言うとった。向こうについて早々に死んでも困る。それを使うがいいじゃろ」
なんかよく分からんが、食料があるに越したことはない。オレは受け取った紙箱を、奇跡が入っていた空袋に入れた。
この袋、荷物入れにちょうどいいサイズなのだ。
さて、そろそろ行くか。
袋を担ぎ、オレは改札を通り抜けた。
「ところでジジイ。土産で思い出したんだが、異世界で手に入れたもんは持って帰って来てもいいのか?」
「別に構わんが、どうするつもりじゃ?」
「実家の土産にでもしようかと思ってよ。盆休みに帰省する予定なんだが、オレの親父が珍品蒐集癖があってな。異世界の物を気に入るかもしれん」
オレの言葉に、ジジイは以外にも真面目な顔を作った。
「あー、それはちょっと無理かもしれんのぉ」
「無理って、持って帰ってこれないのか?」
「いや、そうじゃなくての。オヌシ、もう死んどるし、親にはもう会えんでなぁ」
「はぁ?」
不意に、足を踏み外したような、落とし穴に嵌ったような浮遊感に襲われた。
そのまま落下し、ドンッと地面に落ちた。
ほんの1メートルほどの高さだったかもしれない。
「痛ててっ。なんだぁ?」
起き上がり辺りを見ると、そこは白い空間では無かった。
駅のホームだ。見覚えのある、最寄りの駅のホーム。
オレはその駅のホームの、レールの上に落下していた。
「キャーーーーーー!」
誰だか知らない女の悲鳴が上がる。
悲鳴の先を振り返ると、すぐ目の前に電車が迫っていた。
直後、爆発するような衝撃を受け、オレの意識は暗転した。
こうしてオレの肉体は爆散し、魂は異世界に旅立つことになったのであった。
電車でも異世界行けるのな。
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【浜松銘菓・うなぎパイ】
『源氏パイ』・『ホームパイ』と並ぶパイ三銃士の一角。
パイをパイするが故か、夜のお菓子としても名高い。
同じ浜松銘菓『うなぎボーン』とともに食せば夜のパイ合戦は勝ったも同然である。
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