3.嗜好?
今日から涼太の春休みが終わり、学校が始まったらしい。お昼にクードラパンへ行っても桜ちゃんがいなかったのでオーナーに尋ねたら、そうこたえていた。涼太が通いはじめた大学というのがどこだったのか、聞いても教えてもらえなかったままだったので未だに知らない。
クードラパンの店内は今日も閑散としていた。オーナーが退屈そうに新聞を開き、彼のお気に入りのクラシックをスピーカーから垂れ流している。涼太がいるときとは打って変わって、渋い大人の休憩時間みたいな空気が漂っていた。
桜ちゃんとして涼太が現れる前まではオーナーだけなのが当たり前だったのに、今となっては桜ちゃんがいないと異様に寂しく感じる。いつもちょっかいかけてばかりだったせいだ。
「涼太がいないと静かですね」
サンドイッチを持ってきたオーナーに振ってみる。彼はお盆を抱えて首を傾けた。
「涼太がいなければ圭一くんが静かだもんね」
「そのとおりでした」
ははっと苦笑すると、オーナーもニーッと無邪気に笑い、カウンターへと戻っていった。
涼太がいないと面白みはないけれど、店がとても落ち着く空間になる。オーナーも充分変人なのだが、黙って作業していれば普通の穏やかなおじさんなのだ。涼太がいない昼は、なんだか静かな時間を取り戻した感じがして寂しいような心地よいような感じがした。
「圭一くんは、桜ちゃんが男だと分かって本当のところどう思ったの?」
オーナーがカウンターで暇そうにカップを磨く。
「騙されてたってことなんだし、怒って来なくなるとか、面白おかしく言いふらすのが普通の反応だと思ってたんだけど」
「怒るほど心狭くないし、言いふらそうものならオーナーがブチギレるでしょ」
涼太の保護者として俺を威嚇するときのオーナーは、笑顔なのに怖い。こちらに選択権を与えない波動で圧力をかけてくるのだ。
「でも、楽しく女装してる男なんて気持ち悪いとか、思わなかった? 素直にこたえていいよ」
今話しているオーナーは、穏やかな普通のおじさんの顔をしている。店の雰囲気に比例しているみたいに、優しい目をしていた。
俺はサンドイッチを手に、促されたとおり素直にこたえた。
「気持ち悪いというよりは……すっげえショックでしたよ。俺のこと嫌いって言ってるわりに懐っこいから、そのうち落とせるんじゃないかってちょっと思ってた。だというのに実は女の子じゃなかったなんてさ……」
「君のそういう発言は、時々どこまで冗談か分からないね」
オーナーが眼鏡のブリッジを指で押さえ、苦笑いした。俺はひと口サンドイッチを口に入れ、のんびり咀嚼した。飲み込んで、またオーナーの質問に対する返答を続けた。
「衝撃でしたけど、結果としては『面白い奴だな』って感想ですね。かわいいことには変わりないのであんまり気にしてないです。びっくりしたことは否定できない。でも別に気持ち悪いとまでは思わないから、ここに来るのをやめる理由にはなんないです」
「あはは。やっぱ圭一くんは変わってるね」
自分が涼太を桜ちゃんにしたくせに、オーナーは俺を変人扱いした。
「あんなの知っちゃったら、たとえ倦厭しなくても来づらくなったりしそうなのに。君は懐が広いよね」
「まあ、そりゃ知った直後は悩みましたよ。これからも引き続き行ったら、涼太が嫌がるかなって」
多少は、葛藤があった。自分の正体を知っている人が来たら、接客するときに接し方に悩んでしまうかもしれないとか、俺なりに考えたりもした。
「でもそれ以上に、会えないのは嫌でしたから」
考えた結果、俺は自分自身の身勝手には勝てなかった。
店自体を気に入っていることもある。こちらは桜ちゃんが現れるより前から、この店を利用していたのだ。それに加え最近は、桜ちゃんを口説いてはあしらわれる残酷な会話も楽しんでいた。これがなくなってしまうのは、つまらなかったのだ。
オーナーは穏やかに口角をつり上げた。
「嬉しかったよ。圭一くんが懲りずに来てくれて、涼太への接し方を変えずにいてくれた。涼太も安心したみたいだったね」
「だったら涼太はもっと俺に優しくしてくれたっていいのに」
俺をハエのように見る涼太の目つきは、桜ちゃんの正体を知る前から全く変わらない。むしろ、男だと知っていながら「かわいい」と連呼する俺を、より冷ややかに見るようになった気さえする。
「ふふっ。圭一くんに優しくする涼太なんて、それこそ気持ち悪いと思うけどね?」
オーナーはまろやかな口調で、涼太に引けを取らない毒舌をかました。
*
昼の休憩時間を終えて、俺は一旦会社に戻って社有車に乗り込んだ。営業鞄を引っさげて外回りへ出かける。市街地から少し外れた、小さな商店街をだらだら走る。この辺は近くに大学のキャンパスがあるので、学生の住む安いアパートがそこかしこに点在していた。
運転中に、助手席の鞄の中で携帯が歌い出した。コンビニの駐車場に入り、携帯を取り出す。オフィスの番号からの着信だった。折り返すと、玲香ちゃんが応答した。
「お疲れ様です、佐藤さん。網野です。さっき電話したの私です」
ちょっと早口になっていて、慌てているのが伝わってきた。嫌な予感がする。
「どうした?」
「経理の方で書類の郵送先を間違えたみたいで、取引先のツキトジ商事さんから連絡がありました。すみませんが、これから取りに行ってもらっていいですか?」
俺は思わず、車のハンドルに額が付くほど項垂れた。書類の内容によってはこっぴどく怒られる案件だ。俺のミスではないが、こういう手違いのリカバリーも仕事のうちである。
「分かった、すぐ行くよ」
頭を抱えているのが電話の向こうには伝わらないように、なるべくスマートな口調で返しておいた。それでも玲香ちゃんは申し訳なさそうに言った。
「すみません。お願いします」
玲香ちゃんのミスでもないのに、彼女まで謝った。
電話を切ってから、ため息をついた。クレームを言われるのを承知で出向くのは仕事と割り切っていても気が重い。だが先延ばしにすると対応の遅さをまた叱られるので、さっさと済ませるほかなかった。
駐車場を借りたコンビニで缶コーヒーでも買おうかと、車を降りた。すると、コンビニから出てきた青年がすれ違いざまに、あっと声を上げた。
「圭一さん?」
名前を呼ばれ、そちらを向いた。グレーと白のボーダーのシャツに空色のパーカーを羽織り、薄茶色のパンツを履いた青年がいる。
その隣には、背の高い黒髪の色黒の男が立っていた。百八十センチはあるだろうか、俺でも見上げるほどの身長だ。
「圭一さん」と名前を確かに呼ばれたのだが、面識がない二人だ。俺はしばし、取引先やら友達やらを頭の中でひととおり引っ張り出して検索した。
「知り合い?」
色黒の男が聞くと、パーカーの青年が頷いた。
「俺のバイト先によく来る人」
それを聞いて、ハッとなる。
「桜ちゃ……じゃない、涼太か!」
顔をよく見れば分かる。化粧をしていないが、俺が毎日のように愛でていた桜ちゃん……の中の人だ。
「全然分かんなかった。バイトしてるときと雰囲気違うから」
ソフトな表現に言い換える俺に、涼太の方はバイト中と全く変わらぬ態度で言った。
「圭一さんも雰囲気違いますよ。くたびれたオッサンに見えました」
びっくりした、男の格好をしている涼太は初めて見た。更に驚くことに、こいつはすっぴんでもかわいい顔をしている。大きな瞳も長い睫毛も、自前だったようだ。
「かわいいなお前……! 私服姿初めて見た。ああかわいい」
「気持ち悪いですね」
昼に会えなかった桜ちゃん……いや、涼太にまさかこんなところで会えるとは。クレーム案件を控えてゲッソリしていたのが一瞬で吹き飛んだ。
涼太が隣にいる色黒の背の高い男を手で示した。
「こいつは油井。今日知り合った」
「どうも」
油井くんと紹介された男が頭を下げる。無表情で物静かな、岩のような男だ。愛くるしい顔をした小動物みたいな涼太とはぜんぜん違うタイプに見える。無骨な感じではあるが、真面目そうで誠実そうな青年だ。
「へえ、今日入学式だったんだろ? もう友達できたのか」
感嘆する俺に、涼太は小さく頷いた。
「ひとりぼっち同士でね。油井はこの辺の出身だから友達がいることはいるんだけど、学科が違うんだってさ」
「そんで、学校はもう終わったのか?」
「うちの学校はオリエンテーションは後日で今日は式だけなんだ。だからもう開放された」
不思議な感じがした。あの強かな女装ウェイトレスが、ただの男の格好をして普通の友達を連れている。演劇の舞台裏を覗いて役者のプライベートを見たような感覚に似ているのだろうか。現実を変に納得させられる感じがした。
「圭一さんっていいましたっけ。涼太のバイト先のお客さん、なんですか?」
油井くんが静かな声で俺に尋ねてくる。
「そう。涼太は俺の弟みたいなもんだよ。仲良くしてやってね」
調子よく涼太の肩をぽんぽん叩いたら、涼太がその手を引っ掴んで引きずり下ろした。
「誰がお前の弟だ! 俺は絡まれて迷惑してますよ」
油井くんが涼太に目線を向けた。
「ふうん。バイト先ってどこ?」
涼太は小柄で油井くんが長身なので、互いに見下ろし見上げる形になっている。
「住まわせてもらってる叔父さんがやってる店」
「どこにある? なんて店?」
「ク……」
こたえかけてから、涼太はピタリと固まった。俺も見ていながら、教えるのかよと驚いていた次第だった。
その店を紹介してしまったら、涼太が女装で働いていることも知られてしまうはずだ。今日知り合ったばかりだという油井くんに、そこまでの秘密を既に自ら話しているとは思えない。やはり涼太はバカなのだろうか。隙だらけではないか。
涼太が言葉を詰まらせているので、俺はニヤリとして横から口を挟んだ。
「やばいぞ涼太、大ピンチだ。バレたら恥ずかしいぞ」
「ちょっと、圭一さん黙っててください」
涼太がびくっと目を丸くする。俺は怒られてもやめなかった。
「あんな流行らないだっせえ店でバイトしてるなんて、バレたくないよな!」
「おい! 叔父さんに言うぞ」
涼太はカッと俺に牙を剥いてから、三秒くらい真顔になった。どうやら、俺が助け舟を出してやったことに気がついたようだ。彼はため息をついて、油井くんを振り向いた。
「そうなんだよ。こういう変なオッサンが来るようなショボイ店だから、あんまり言いたくないんだよ」
「そうなのか……じゃあ遊びに行かない方がいいか」
「うん。ごめんな」
油井くんは素直に納得し、涼太も俺の差し出した救いの手にすっかりすがり付いていた。感謝しろよという目を向けると、涼太は少し悔しそうに目線を送り返してきた。
ふいに、油井くんが鞄から携帯を取り出した。
「あ、友達から連絡来てたわ。涼太、すまん。また明日な」
「うん、じゃあな」
手をひらひらさせて、涼太が油井くんを見送る。油井くんは俺の方にもちらと目を向け、一礼してから去っていった。
「……圭一さん、今のは助かりました。腹立つけど、ありがとうございます」
涼太が振っていた手を胸元に上げたままぽつんと言った。俺は横でにんまりした。
「でっかい秘密抱えてるんなら、それなりに慎重にならなきゃだめだぞ」
「分かってますよ。うっかりですよ、うっかり……」
涼太はバツが悪そうにもぞもぞ言い訳をした。俺はそのかわいらしい横顔を見てついつい頬が緩んだ。
「昼にクードラパン行ったのにウェイトレスがいないから、ちょっと寂しかったんだよ」
「はあ、また来てたんすか……」
涼太が俺を冷たく睨む。その目線はカフェで見る桜ちゃんの目そのものだ。
「桜ちゃんは男装も似合うんだな」
爽やかな色合いの私服をまじまじ凝視していたら、涼太の手のひらが俺の頬に押し付けられ、ぐいっと顔の向きを変えられた。
「じゃなくて、今は涼太です。てか、これがデフォルトです」
「俺にとっては桜ちゃんのイメージの方が強いから」
むしろ、涼太という男として男物のファッションの涼太は初めて見た。別人のようにも見えるし、俺が追いかけていた桜ちゃんにも見える。
「すみませんね、桜ちゃんじゃなくて」
涼太は不快そうに俺の頬をもう一度弾いて、それからはあ、と息をついた。しばらく何かを考えて目を伏せ、ちらと俺を一瞥して、また目線を下げる。
「なんだよ。何か言いたげだな」
俺の方から聞くと、涼太は意を決したようにぽつりと切り出した。
「さっきの、油井って奴なんですけどね」
言い出しにくそうに、涼太は足元のアスファルトに目線を落としている。
「ゲイなんだって」
「ふーん……えっ」
俺は一度相槌を打ってから、途中でバッと首ごと涼太を振り向いた。
「マジで?」
「本人から聞いたわけじゃないですけど、学部が違う油井の友達と顔合わせたときに、そいつからこそっと教えてもらったんですよ」
涼太は抑揚のない声で淡々と語った。俺は急激に心配になった。
「涼太も恋愛対象だってこと?」
「それっす。油井の友達って奴も『お前も対象になるからな』って注意喚起として言ったんだそうです。親切心のつもりなんでしょうけど」
涼太はじろりと目つきを鋭くさせた。
「でも、初対面の人に友達のそういうこと喋るのってどうかと思う。男が好きとか女が好きとか、なんで関係ない奴が勝手に言うんだよ」
どうやら涼太は、油井くんの友達という人のことを怒っているようだった。俺はしばし宙を仰ぎ、友達の友達という知らない人をフォローした。
「例えば涼太がそれを知らなくて、部屋に上げたとして……襲われたりしたら『なんで教えてくれなかったんだよ』って思うでしょ。だから念のため早めに教えてくれたんじゃない?」
「恋愛対象が同性だってだけで、誰でもいいわけじゃないんだろ」
涼太が反論してきたが、俺もまあまあと彼を制した。
「逆に、女の子が何も警戒しないで男を部屋に上げたりしたら危ないと思うだろ。そういう感じで言ったんでしょ」
「そうかもしんないけどさあ……」
涼太はまだ納得ができないようで、むすむすとむくれていた。俺は更にひと押しした。
「俺だって自分の部屋に涼太が来たら、変な気起こすかもしれない」
「うわっ、キモ。バカじゃねえですか」
害虫でも見つけたみたいな顔をして、涼太は仰け反った。それから彼は、観念したように大きな息をついた。
「まあ……文句言ったってもう聞いちゃった発言は取り消せないですしね。油井にとっても友達なんだし、許してやるか」
「そうそう。俺もちょっと、涼太に手出しされないか心配になっちゃったしな」
「男が好きな人には、男っぽい男の方がモテるらしいですよ。筋肉質でガッシリしてる方がかっこいいんです。だから俺みたいな女顔でちっせえ奴は、多分魅力的じゃないと思う」
涼太が謎の知識を披露してきた。どこでなぜ知ったのか全く分からないが、妙に納得した。となると、大男の油井くんは人気が高そうだ。
俺は目の前のコンビニの自動ドアの前に立った。
「コーヒーでも買おうかと思ってるんだけど、涼太にもなんか奢ってやるぞ」
「ラッキー」
涼太がひょこひょことついてくる。コンビニの中は、まだそんなに暑くないのに少しだけ冷房がかかっていた。缶コーヒーが並ぶショーケースの前で、俺は隣に立つ涼太に問いかけた。
「涼太は、油井くんがゲイだって聞いて、正直どう思った?」
先程オーナーからされた質問に似た問いである。涼太はショーケースの商品を目でなぞっていた。
「油井がどうかってこと以上に、油井の友達が気に入らねえってことの方が強かったからな……むしろその友達の発言のせいで、ゲイの何が悪いんだよって思った」
なるほど、咄嗟に少数派である油井くんを擁護する側についたと。だから、涼太は油井くんを好奇の目で見るどころか、彼の味方になったのだ。涼太はバカだが、正義感は強いのかもしれない。
「俺も隠したいことはあるしね。気持ちは分かるんだ」
涼太はちらっとだけ俺に目配せし、また缶コーヒーの方に目を向けた。俺はその横顔を眺めていた。
「涼太の方も、油井くんに秘密を教えてやっても大丈夫なんじゃないの?」
「それとこれとは話が別だろ」
「アンフェアじゃない?」
「何も自分から変な趣味を喋る必要はないですよ」
涼太は正義感は強いが、小心者なところがある。自分は油井くんがゲイなのを受け入れられても、油井くんは自分の女装を許さないかもしれないと思うのだろう。だがたしかに、わざわざ弱みを自ら暴露することはないか。
「俺みたいのも油井みたいのも、まだあんまり社会から認められてないでしょ。黙ってりゃいいものを敢えてひけらかす方が嫌われます」
涼太はしれっとした態度で言い、冷たいココアの缶を選んだ。
「世の中は広いからいろんな人がいるんですよ。でも俺はそれでもいいと思ってる。他人の迷惑になんなきゃ、何を好きでも勝手じゃないですか。犯罪クラスになると最低な変態だと思うけど、趣味の範囲ならほっといてやればいいと思う」
女装癖の涼太が言うとやたらと重みがある。俺は涼太の横で缶コーヒーを手に取った。
「たしかに、そうかもしれないな」
「でもその『好き』って気持ちが、俺の好きな人にとって不愉快なものになってしまったらと思うと、さすがに怖い。だから隠し通すんですよ」
俺に男だとバレたときの、涼太の顔を思い出した。人生の終わりを見たかのような、まさに絶望の表情だった。その涼太が、今はポーカーフェイスで喋っている。
「なんて、圭一さんはストライクゾーンが異常に広くて無闇に積極的なことを除けばよくいるヘテロだから、少数派のことは全部まとめて『変わった奴』と括ってるのかもしんないですけど」
「そこまで排他的でじゃないぞ。ただ、よく分からない世界だから下手に踏み込めないというのは認めるけどな」
当人たちがどんな悩みを抱えて、どんなポリシーを持っているのか、俺にはまだ分からない。
涼太の手からココアを取って、俺の選んだコーヒーと一緒にレジを通した。涼太は後ろで手を組んで、黙って床を見ていた。いろいろ喋っていたし、彼には彼なりの考えがあるのだろう。そして今も、何か考えているのだろう。
涼太と一緒にコンビニを出て、俺は一緒の袋に入れられたココアを取り出した。差し出すと、涼太は両手で受け取った。
「ありがと」
素直にお礼を言う涼太を見て、俺はふと思った。
「そういや涼太さ、さっき他人の嗜好を勝手に喋った油井くんの友達のこと、怒ってただろ。それなのに、お前は俺に油井くんのこと喋ったよな」
それだって、俺の方からは聞いていないのに涼太が勝手に喋ったのである。涼太はむっと眉を寄せた。
「圭一さんだからですよ。あんたは桜ちゃんの正体を知っても怯まなかったから、絶対偏見なんか持たないって認識してたんです」
「あっ、そういうこと?」
「どういう反応するか、一応確認したかったというのもあるけど……大丈夫だろうなって、分かってた」
涼太が缶のココアに両手を添えて俺を見上げる。俺は缶コーヒーのプルタブを開けて、ニヤリとした。
「つまり涼太は俺を信頼してくれてたわけね」
「信……えっ、何……気持ち悪い」
途端に、ウェイトレスの桜ちゃんが向けてくるあの目つきに変わった。溜まったカビでも見つけたみたいな顔だ。これだ、この反応こそが弄りがいがある。
「おいおい涼太、俺様にそんな態度取っていいのか? 秘密を握ってる俺にそんな態度で……」
缶コーヒーの底で涼太の頬をちょんちょんつつく。涼太はギリギリと歯を食いしばった。
「この……弱みに漬け込みやがって。ゲスリーマン」
「お? バイト先が友達にバレそうになったのを救ってやった恩をお忘れか?」
「それは……それは本当に助かったけど……!」
涼太がぷるぷる震えだしたので、俺はこの辺でいじめるのをやめた。
「はいはい。お礼は桜ちゃんとのデートでいいよ」
缶コーヒーをひと口啜り、俺は営業車に向かった。涼太を見つけてしまったせいでちょっと話し込んでしまったが、クレームの処理に行かなくてはならなかったことを思い出す。車に乗り込もうとして、ドアを開けたときだった。
「分かった」
涼太が下を向いたまま、言った。俺は顔を上げる。何が、と聞く前に、涼太はそろりと目だけ俺を見上げた。
「デート、してあげる」
「……えっ」
聞き間違えだろうか。涼太がこんなことを言うとは思えないので、多分俺の都合のいい聞き間違えだ。そういうことにしようとした矢先、涼太はキッと目尻をつり上げ、俯いていた顔をこちらに向かって上げた。
「今日のお礼! 俺は義理堅い人間なんですよ。どこへでも行ってやるよ、桜ちゃんで!」
冗談のつもりだった至高の願望だ。まさか叶うと思っていなかったので、やはり聞き間違えかと疑った。
「へ……本当に、本気で言ってるのか」
「何度も言わせるんじゃねえですよ」
デートの約束を取り付けているとは思えない、般若のような形相だ。でも、険しい顔をしていても涼太は耳まで真っ赤だった。
「わー、超絶美少女桜ちゃんとお出かけか。楽しみだ」
中身が男であることは充分分かっているのに、なぜか心が踊った。やはり桜ちゃんのかわいさに性別の壁などないということだろうか。
「俺の気が変わる前に、行ける日と行く場所決めてくださいよ。あくまで俺は桜ちゃんですから、ちゃんとエスコートしてください」
涼太は涼太で開き直り、俺を試すようにニヤリと笑った。つまらないところに連れていこうものなら酷評される予感がした。
「じゃ、桜ちゃんもお洒落して来いよ」
「もちろんだ! 骨抜きにしてやるからな」
なぜか喧嘩腰の涼太に俺も張り合う。
「俺の彼氏力の高さで吠え面かかせてやる。見てな」
「かかってこいよ」
互いに宣戦布告みたいになって、俺たちはメンチを切ってから別れた。車に乗りこんでエンジンをかけ、我ながら「なんだこれ」と口の中で呟いた。
*
その後の俺のテンションはやけに高かった。かわいいかわいい桜ちゃんとデート、というよりは、顔見知りのクソガキとお出かけというのが単純にわくわくする。
「お宅ねえ、この文書が二枚もこの封筒に入ってたんですよ。そしたら他社さんの分じゃないですか。管理が杜撰なんじゃないの? そのうち個人情報も流れ出しちゃうんじゃないの」
取引先にくどくど怒られている間も、ちょっと気持ちが浮ついた。
「申し訳ありませんでした」
口ではそう謝っているし真面目な顔で頭を下げているが、下げた頭の中では桜ちゃんとどこへ行こうかなんて考えている。
涼太は歳の離れたかわいい友達である。どういうところが楽しいのだろう。女の子が喜びそうな場所をチョイスするのは上手い自信があるが、今回の相手は涼太だしな。普通にデートプランを組むのとは訳が違う。
クレーム案件も文書を書いて上に提出しなくてはならないのに、桜ちゃんのことが頭の中を占めてしまってお叱りが頭に入ってこない。モチベーションは上がっても、桜ちゃんの存在はやっぱり俺の邪魔ばかりするようだ。
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