第9話 痛っ……!?

 管楽器の音色が所々で鳴り響いて、人を乗せた鋼の箱が列をなして走っていく。

 空に登っていた光はもう見えないけど、そこは明るかった。

 そして、あたしは実感した。ここは異世界だと。あたしが知らない世界だと。

 次々に揺らめく光は、幻想まで感じさせるけど、それよりも孤独と、そして汚れた空気が、あたしを追いやる。

 これからどうすべきだとか、何をするのが正しいとかも分からない。ただぼぉっと、どこかを眺めていた。



 「ねえ母さん、アリナは?」

母さんは、さっきまで握っていたマグカップをテーブルに置くと、俺の方を見た。

 「帰ったよ。アリーナちゃんの家に」

 「本当に……?」

母さんの言葉に間を置かずに言った。

 「本当だって。ていうか、なんでそんなに焦ってるのさ」

 「ありがとうっ」

俺はすぐに玄関へと走った。アリナに行き場はない。そして夜の町に、女児に見える子供が出歩くのは危険だ。何よりこの世界に来たばかりなら尚更だ。

 「ちょっと!蒼汰っ!」

扉を開けると、俺は真先に階段を下った。母さんがなにか言っているが、今はどうでもいい。

 マンションの下まで来ると、俺は首を左右を確認した。

 「これは……」

右手側に落ちていたのはアリナの帽子。この方向に、アリナが……

 俺はすぐさま向きを変えると、その方向に走りながら、アリナの帽子を掴んでいった。

 もしかしたら、余計なお世話かもしれない。本当は帰れないだけで、どこかアテがあるのかもしれない。それこそ、回復装置ヒーラーのように、魔法でなんとかできるかもしれない。

 尤も、さっき出会ったばかりで、さっきまで何の活力も無かった俺か、アリナを気にすることは可笑しいのかもしれない。そんな思いが脳裏を過ぎったが、全力で無視した。

 ……!!

 「もしかして君一人?こんな夜に可愛らしい娘が一人で出歩いたら危ないよぉ?さぁ、おじさんがお家へ連れて行って上げるから、こっちへおいでぇ」

 典型的だ……。目に映ったのは、絵に描いたような変質者。

 「嫌です!付いて行ったら、いかがわしいことされます!」

……??

 「そんなことしないよぉ。おじさん、こう見えて紳士なんだから」

「紳士はいかがわしいことをしてきます。この本に描いてありました」

そう言いアリナは、ショルダーバッグから厚みのない一冊の本を取り出して、変質者に見せ付けた。

 「わかったぞぉ!その服装は、同人誌そ……」

 「あっ!!」

見覚えのある表紙と、その本の厚さに俺は驚いて声が出た。

 変質者は、俺の声に気が付いたのか、冷や汗を垂らして振り返った。

 「き、きみは……えぇっと?もも、もしかして……この娘の、お……お友達なのかなぁ……」

引きつった笑顔で、俺を睨む変質者。

 特に何もしていないどころか、相手が怯えているのに、本物の変質者を間近にして目が合うと、鳥肌が立った。

 あいつは、変質者だ。もしかしたら犯罪者なのかもしれない。

 そう思うと、俺は少し足がすくんだ。

 「は、はいぃ。友達です……」

ビビっているのか、声が裏返った。なぜアリナが平気でいられるのかが分からない。

 「あの、その子、自分が連れていくので、その……」

なんとか変質者からアリナを離そうと、速まる鼓動を押し殺して、説得を試みると、変質者は何やらブツブツと喋りだした。

 「……お、おれが……やっと……やっと最高の、最高の娘を見つけたのにぃぃぃいいい!!」

 変質者は、履いていたジーパンのポケットからカッターを取り出すと、大きく腕を振りながら俺に走って来た。

 俺は、刃物を持った大人の男性に敵うほど、運動神経は良くない。というか基本的に皆そうだと思う。

 だから俺は、背中を変質者に向けて走った。本能的に逃げたのだ。

 「痛っ……!?」

刺さった。腕から血が垂れてる。なんで……なんで俺が……


…………


 「死ぬ気の人間なめんじゃねぇ!!キモジジィ!!」

色んな感情が混じって、自分でもよく分からない怒りになった。たぶん色々吹っ切れたんだと思う。

 「おれの邪魔をするなぁぁああ!!」

痛い、痛い、痛い。錆びたカッターがもう何回も刺さっている。トコトコと、血が出ている。それでもお構いなしに変質者を殴った。

 「うう……うっうう、おれは、こんなはずじゃぁ……」

 変質者は、急に動きを止めて、泣き始めた。そうして立ち上がって、フラフラと去っていった。

 あの変質者が何をしたかったのか、正直分からないし、分かりたくもない。

 変質者が去って安堵したのか、すっと力が抜けた。それと同時に、感じたことのない異常な感覚が俺を貫いた。痛いとか、苦しいとかを、通り越した感覚。

 なぜか、熱くて寒い感覚がして、懐かしいものを見ている気分になった。そして、尋常じゃない睡魔が、俺に微笑んだ。



 どうしよう……そうたくん死んじゃったのかな……?さっきから全然動かないし……。

 きっと、そうたくんは、あの紳士さんから、あたしを守ろうとしてくれただけなのに……。こんなに傷だらけになって……今はびくともと動かないし。

 あたしのせいなのかな……すぐに紳士さんって気が付けたら、そうたくんがこんな目に遭わなくてよかったのかな。

 また、悲しい気持ちにならないといけないのかな。どうして。

 あたしは、そうたくんの手を握ると、顔を見た。そうたくんの表情は、何も変化しなかった。

 「ごめんね……そうたくん……」


……もし、魔法で人を蘇らせれたら……。そんな奇跡できるわけがない。それでも、それでも、もしその奇跡が起きるなら……?


 あたしは、ショルダーバッグから筆ペンを取り出すと、そうたくんの周りに文字を書き始めた。

 自分の知っている事を総て絞り出して、垂れている涙で、書いた文字が流されないように力強く。

 絶対に成功しないことは分かっていた。そもそも魔道具なしでが魔法を発揮させるには術式が必要だけと、それも単純な仕組みのものだけ。それも、人の命を……


お願い……

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のんまじっくな生活 にんじん @Miwamimi_MyFired

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