第09話 最弱の魔物?

●最弱の魔物?


 ゴブリンの腕は固く後ろ手に縛られている。


「ネル様。こうして縛られたものを殺すのは卑怯と思いますか?」


 モーリ師匠は聞く。


「うん。そんな気がするよ」

しかと申し上げましょう。それは考え違いです。


 ゴブリンは魔物です。縛り上げても油断はならないのです。その牙は容易くネル様の喉笛を噛み千切る事でしょう。

 思い出してください。つい先ほどの事です。もし予め先程の狼の牙を抜いていなければ、むくろとなって居たのはネル様のほうでした。それほど野獣や魔物は強いのです」

 続けて師匠は解説する。


「ゴブリンは、肌の色が闇や草の色に溶ける為、それを利用して草むらに潜み、不意を突いて人間の首を狩る魔物です。

 普通は武器を持った子供くらいの強さですが、長く生きれば強くも悪賢くもなりますよ。群れを束ねるボス次第で次第に規模を拡大し、遂には手に負えぬ軍団を創り上げる事もあります。

 また、足の裏が猫のように柔らかく足音を立てません。先の特性と合わせれば、人間やエルフ等の魔物使いに率いられたゴブリンは、少数と言えども恐るべき兵となりますので覚えておいてください」


 そう説明した上で、


「ゴブリンの急所は人間と同じです。お一人づつ、実際に斬って突いて人型を斃す経験を積んでください」


 殺しの課題が始まった。


 人型の生き物に対して気後れしている僕に比べ、どうやら初めてじゃなさそうなデレックの笑み。


「いくわねぇ! いくわよぉ!」


 こう言う時、意外とネル様の思いっきりは良い。教えられている通り、的が大きく動きが少なく骨に邪魔されない腹部を狙って刃を突き立てる。


「ぎゃう!」


 後ろ手に縛られたロープの先を兵士が持っているが、ゴブリンの脚は自由なまま。躱され僅かに皮を切った。

 ネル様の剣はたかが指爪の長さ程も手傷を負わせておらず、体勢が崩れたネル様の横面をゴブリンの蹴りが見舞う。

 ストンと小気味よい音と共に前のめりに転がるネル様。あ、頭を抱えて泣いている。

 襲い掛かるゴブリンのローブを強く引き寄せて兵士が護る。


「ネル様。剣をおりなさい。敵も命懸けなのです。必死に抗うのは自明の理」

「わがっでるわよ!」


 涙声で続けるネル様は三度挑戦。蹴り・頭突き・体当たり。と、浅手と引き換えに痛い目を味わされた。

 泥や砂と涙でくしゃくしゃの顔をしたネル様に、


「ネル様。今は魔物など縛り上げていても簡単には殺せぬことを悟るだけで結構です」


 切って捨てるように師匠は諭した。


「次、スジラド!」


 師匠が呼ぶ。僕の番だ。

 柄の長いグラディウスは、柄の半ばに印が打ってあって、そこに重心がある。

 僕は片手で目一杯鍔元を握った。重心が持ち手より後ろにあるから、とても素早く剣が振れるのだ。

 起こりを悟られぬよう細かく切っ先を震わせて、


「やあっ!」「ぎゃん!」


 一番突出していたゴブリンの脚を斬り付けて横を抜ける。血が舞い悲鳴を上げるゴブリン。

 殺しに掛かると見せてその実。脚が手前にあればその脚を、肩が近ければその肩を。兎に角、一番近い部位をかどを削る様に、間合いを計りながら斬り付けて行く。

 殆ど皮しか切って居ないけれど、繰り返すうちにゴブリンの動きが鈍って来た。


『まだまだ。あいつはチャンスを狙って耐えている』


 少しずつ斬り付けから突き主体に攻撃を改めた僕は、肉を突き刺して動きを制し、出血を強いて積極性を奪って行く。


『今だ!』


 声は出さず腹に力を込めて飛び込もうとした時。


「うわっ!」


 慌てて僕は跳び退いた。

 胃がムカつき、脚は震え、背筋に冷たい物が走る。なんとか身を低くして剣を構え直した僕の身体に、どっと汗が流れだした。


「それまで! 今のが殺気です。覚えておきなさい」


 殆ど無抵抗に近い魔物相手なのに……。僕の首尾はネル様よりはマシな程度に過ぎなかった。


 パン! とモーリ師匠が掌を打ち合わせた。


「本日はお仕舞いです。ネル様もスジラドも、初めてにしては上出来です。なかなか筋が宜しい」


 と言われたけれど、物凄く無力感を味わう一日だった。

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