第02話 この世界はおかしい

●この世界はおかしい


 連れて行かれた先は水田・畑の混じった田園風景の中にある城。

 河に近い丘の上に塔、丘の隣に館を築き。二つを合わせた敷地を囲む濠とその内側に掻き上げの土塁を備えた、簡素ながらも実戦的な城だ。土塁の上には、多分火攻めを想定しているのだろう、糊を混ぜた泥を塗り重ねた丸太の柵を巡らしている。

 ネル様は弓の貴族と呼ばれる在地貴族のお嬢様だった。御年五歳、僕も奴隷商人の話だと同じく五歳だったらしい。


 あれから随分経ったような気がする。

 どうも今の身体に心が引っ張られて、ちょっとしたことで心がはしゃいで仕舞う。馬を見ててもカエルを見付けても、鼻がむずむずしてくしゃみをするように、自分ではどうしようもない。

 僕の毎日は、ネル様の乳兄弟で兄貴分のデレックと三人で一緒に同じご飯を食べ、一緒に遊び、一緒に教育を受ける。

 嬉しい事に朝の主食は炊いたご飯だ。人も建物も服装も西洋風なのに、なぜか味噌も醤油も納豆も板海苔もありマヨネーズまである。


 午前中は読み書きと計算。文字はまんま日本語だ。

 筆記用具は小筆で筆遣いは隷書のように引き戻して端を丸めるものだけれど、文字は横書きでひらがな中心の楷書体。数字はアラビア数字で演算記号も見慣れたものばかり。

 但し、学ぶの『学』が「めぇめぇ、よぉよぉ、かんむり、子」と書く『學』の文字。だから漢字は多分旧字体。

 これらを墨と紙の代わりに水でフェルトのような布で練習する。


 パンの昼食を挟んで、午後からは身体の訓練。藤細工のような胸当て鎧と剣帯、肘から中指の先までの長さの刃渡りの木剣を持たされた。

 おもちゃとしか言えない物でそれほど重くは無い。片手で簡単に振れる重さだ。

 それを剣帯に付け、小太鼓のリズムに合わせて歩くように言われた。

 皆幼く女の子も交えたものなので、今の所訓練はそんなに厳しくない。特に重たい物を運んだりするような事は無かった。


 リズムに合わせた行進や前倣え・回れ右など、日本人なら幼稚園で経験している初歩の集団行動。三人だけだけれども、歴とした分列行進だ。

 それを頭に載せた籠を落とさないようにして行う。見本を見せたモーリ師匠の正中線が全くぶれてない。あれは相当体幹を鍛えないと無理だ。


 今では飽きて来たネル様が、


「モーリ。行進ばっかり?」


 と口を尖らせるけれど、


「何事も先ずは基本です。武器は重いし危ない物です。そして武器を構える以上、相手も躊躇なく殺しに来ます。役に立たない腕前は何も出来ないよりも危険です。お嬢様もスジラドも武器の扱いはまだまだ先になりますよ」


 諭すようにモーリ師匠は言う。


「弓も駄目なの?」

「今の身体では引くことも叶いますまい。それよりお嬢様、スジラド一人であっても郎党を従えた以上、主としての器量を養わねばなりません。モノビトと謂えどもご身分と立場だけで心から従う者は居ないのです。馬のような畜生ですら、主に相応しいと認めぬ者に背を許しません」

「わかってるわよ!」


 お説教じみて来た師匠に、ネル様は唇の端を吊り上げた。


 話の端々に判る事は、ネル様の家は日本で言う武士、ヨーロッパで言う騎士に当たるようで、さしずめ僕の立場は郎党かローマ貴族の子弟に付けられた奴隷と言った処だろうか?


 そして日が暮れるちょっと前に、


「姫様。坊ちゃま。夕食の時間です」


 メイドのリサさんが呼びに来る。それが終わると焼き石に水を掛ける蒸し風呂に入って水浴びをする。

 お湯に浸かれないのは残念だけど小奇麗で清潔な暮しだ。


 そんな日常が半年ばかり続いた有る日。


「スジラド。奈々島に遊びに連れて行ってあげる」


 月火水木金土日。七日に一度の安息日。ネル様が僕を誘った。


 城から街道を馬車で四時間。一番近い自由都市・奈々島ななしまがある。

 海に面した河口近く、コマス・アツアヤ・オサヨシと三つの河が入り乱れた中州の大小七つの島からなる商業都市で、舟運の集積地・商人の街なのだとネル様は言う。


「美味しい食べ物のお店があるし、教会に売り上げの十分の一を納めれば、誰でも勝手にお店を出せる市もあって、いろんな物が売られてるのよ」


 なぜかデレックは呼ばれず僕と護衛兼御者のモーリ師匠と三人だ。


 お城から奈々島に至る地形は上下にうねり小川や小さな岩山もある。けれど街道はどこまでも真っすぐに起伏無く続いている。ちょっと回り道をすれば済む話なのに、橋を架け岩山におむすびの様な形の穴を穿ち道を通している。

 その道は砕きレンガを厚く敷いた紅い道。馬車がすれ違える幅の大路だ。

 馬車と言えばお尻が痛くなるのが相場だと思って居たけれど、殆ど揺れずお尻も痛くならない。


 この世界は、妙にあちこち進んでいた。

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