第34話:不穏な平穏

「旅は大変なものなのですね、想像がつきません」

 不自然なほど取り留めもない会話が続く中、女王が言った。


「この街の方々は、あまり外に出ないのですか?」

「ほとんど出ませんね。数十年前にこちらへ移り住んで以降、外界との接触もありませんので、この街においては、旅という言葉に実感はほとんど備わっておりません」


 女王の言葉で、昔のニュースデータの中に、政府組織から一切の介入を拒否して都市から逃避した集団がいる、というような記事があったのを思い出す。当時は政情も不安定で、そうした例も少なからず存在したと聞くけれど、もしかしたら、この街もその一例なのかもしれない。


 確か、記事の中ではカルト的な性質をもった集団と書かれていたけれど、彼女たちからそういう雰囲気を感じることはない。もちろん、移り住んできたのは現役世代の親から上の世代だろうから、性質が丸くなった可能性はあるけれど、記事の信ぴょう性も疑われる。過去のニュースデータというのは、意外と信用ならないものだ。


「差し出がましいかもしれませんが、今の旅と大戦前の旅は、別の概念と捉えられた方が良いかもしれません」

「目的が全く違う、ということですか?」


「それもありますが、より大きな違いは、道程にかかる手間ですね。かつては交通網が整備されていましたし、物資の補給も簡単でしたが、今は違います。大戦があって以降は、広い地域を統括する母体がありませんから、交通網も分断されていますし、食料や物資の調達も難しいです」


「確かに、昔はもっと街の密度が高かったと聞いています」

「加えて、大きな範囲を扱った地図がないのも、困る理由の一つです」

「なるほど、街の探しようがないと」

「まさに」


「感覚で探すのですか?」

「えぇ。遠くからランドマークを確認できることもありますが、そうだとしても、ある程度の距離までは近づかないと気づきもしませんから」

「想像するだけで気が遠くなります」

 女王は、ゆっくりと首を振って見せた。


「それに街を見つけたとしても、物資が補給できると限らないのがつらいところです。復興の速度がバラバラなので、AIによる自動生産や配給が機能している街も、数世紀前の生活をしているような街もあります。自動生産が機能していれば何らかの物資は手に入れられますが、そうではないと――


「すべてが朽ち果ててしまっている」

「そういうことになります」


 何かを考え込むようにした女王は、ティーカップを口へ運んだ。私は数分ぶりにその存在を思い出し、彼女にならってカップのふちに口をつける。のどを流れていく液体は、やはりどことなく上品な味がした。


「ちなみに、こちらの街では、生産活動はどうされているのですか?」

「基本的には機械任せですね。庭で家庭菜園を行っている者もいるようですが、趣味の域を出ません。最低限の食料は、自動的に生産されています」


「そうだったんですね」

 街の雰囲気から、ある程度原始的な生産活動が残っていることを想像していたけれど、違ったらしい。


「この街に来られたのも、物資や食料の調達を視野に入れてのことですか?」

契機けいきはいつもと多少異なるのですが……。そうですね、食料や物資をいただけるのであればうれしいです」


「では、用意させましょう。アデリン、彼女たちが必要なものを」

 女王が少し硬い声色で言うと、

「後で必要なものをお伝えいただけますか?」

 アデリンがこちらを向いた。


「お気遣いありがとうございます」

 人の好意に対処する方法が分からず、くすぐったさを伴った感情を覚える。これなら、無人の店舗から勝手に拝借はいしゃくする方が数倍楽だ。


「しかし、今すぐ街を出るわけではありませんので、それほど急ぐ必要はないかと」

「そうなのですか?」

 私が言うと、女王が驚いたようにこちらを向いた。


「はい、期間は分かりませんが、しばらく滞在させていただこうかと……」

「何か理由がおありですか? まさか怪我をされているとか」

「いえ、そんなことは」

「医者もおりますので、診察の手はずを整えることも可能です」

「本当に体調の面は問題ありませんので」


「そうであればよいのですが」女王は少し大げさに、胸をなでおろした。「お二人の意思で滞在される分には喜ばしいのですが、何かこちらの不手際でお二人を引き留めてしまっているなら、問題ですので」

「不手際なんてそんな。全くありません」

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