第35話:良心の選択
「では、差し出がましいですが、お二人を引き留めている要因を教えていただいてもよろしいでしょうか」
女王はにこやかや笑みを浮かべたまま、わずかにこちらへ身を寄せた。
「それは――
そこまで言って、私は言いよどむ。理由を口にするのが、はばかられたのだ。この調査を始める際に、事件の調査をしていることを口外しない、とコイトマと約束したのを思い出していた。口外してしまえば、犯人に伝わってしまうかもしれない、というのが彼女の
また、仮に彼女たちが事件の犯人ではないとしても、事件について触れるのは得策と思えなかった。何せ、女王の娘やブルーナが被害にあっているのだから。今話している限り、女王に落ち込んでいる様子はうかがえないけれど、マルガリータは一言も発することなくうつむいている。女王にしたって、心理的なダメージを負っていることは間違いない。そんな人たちの前で、事件の話をするのは気が引けた。
しかし、
「街が混乱しているのが気がかりで」
横のパドマは、気後れする様子もなく言った。直前までは
「そういうことでしたか」女王は少女に視線を送ってから、元の位置まで身を引いた。「それでしたら、気にされることはありませんよ」
「でも――
「事件が解決しても、幸福な気持ちになるわけではないですし、街から離れ忘れてしまうのが得策と考えますが」
女王が穏やかに言ったところで、
「私たちが街にいて、何か困ることでもあるんですか?」
パドマが反論した。恐ろしい子だ。
「いえ、そういう訳ではありません。権力に不信を抱くのは人間の性かもしれませんが、そのご意見は少し、先入観にとらわれすぎているかと」
「じゃあ、なんで街から離れないといけないんですか?」
「離れなければならない、とは言っておりませんよ。そうお勧めしているだけです」女王は落ち着いてそう言い、一度呼吸をした。「もし、我々の街で暮らすということであれば、不幸も不快も、共有する覚悟は必要だと思います。しかし、お二方は違う。そうですよね?」
「……はい。この街で暮らすつもりはありません」
「であれば、不幸や不快を避け、精神を平穏に保つのがお二方のためではないか、と思います」
「でも、こんな事件が起きている時に、私たちだけいなくなるなんてできません」
「なぜです?」
「なぜと言われても……」
とっさに言葉が出なかった。
「良心がとがめるから」
言いよどんだ私をよそに、パドマが言う。
「良心に従うのが、正しいと?」
「もちろん」
「良心は時に、我々に必要以上の犠牲を強いることがあります。人と人とが協力しないと生きていけなかった時代の名残に振り回されるのは、正しいことでしょうか」
「良心が痛むなら良心に従えばいいでしょ」
「本能に従うだけなら、人間とは言えません。食欲や睡眠欲、性的欲求が湧いたからといって即座に行動へ移していては、他人と生活できないでしょう? 良心に従い、さらなる心理的負担を抱えるのは、お二方のためにはなりませんよ」
女王の返答に、パドマが顔をゆがめ、会話が途切れた。目の前にいるマリアナの顔をうかがってみると、おびえた表情でそこにいる。一方、マルガリータに表情の変化はない。悲しみを通り越して、感情を失ってしまったのだろうか。
「マリア様、そろそろお時間です」
不穏な空気を割るように、アデリンが机の向こうから声を発した。
「あぁ、もうそんな時間でしたか」
女王はそう言って、ため息をつく。
ゆっくりと立ち上がる王家一行に焦りが
「良心に従うのが良いことなのか悪いことなのか、私には分かりません」
精一杯声を絞り出すと、女王の冷めた視線がこちらに向いた。
「ただ少なくとも、私は、今街を去ることで感じる短期的な痛みに耐えられないんです」
「長期的に見れば、より大きな痛みを抱えることになるかもしれなくても、ですか?」
「はい」
「私には、その決定が愚かしく感じます」
「残念ながら、普通の人間はそれほど賢くないんです」
「賢くない、と自分に言い聞かせているだけではありませんか?」
女王の言葉に、私はそれ以上言葉を続けることができなかった。
わずかな沈黙の後、彼女はため息をつき、
「しばらく滞在されるのなら、体調にはお気を付けください。医者はおりますが、なにぶん人間が務めているため、外部の街のように高度な診察には対応しておりません」
扉の前でそう言い残し、部屋を出ていった。
王家の三人とアデリンは、回廊へと至る幅の広い階段の方へ歩みを進めていく。
「では、ご案内します」
少しの間があって、部屋の中に姿を現したコイトマが、出口へ手を差し向けた。
彼女に従う以外の選択肢を、私は持ち合わせていない。
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