第33話:女王

 屋敷に入って廊下を進み、書斎に足を踏み入れた。


 コイトマは、女王が会いたいと言っている、という言葉を私たちに聞かせた後は、ほとんど話すこともなく前を進んでいる。緊張しているのかもしれない。


 しんと静まり返った共同の書斎を抜けると、左右に走る階段の踊り場に出た。ここを左手に下っていけば、例の噴水に出るのだろう。踊り場の正面には大きな扉があり、コイトマはその扉を開け、私たちを中へ誘導した。


 王家のプライベートスペースは、横に長い長方形で、それぞれの辺に二つか三つの扉がついている。私たちはちょうど、長辺の中央当たりから入ってきたらしい。スペースの外周部分は天井が低いものの、真ん中のスペースは吹き抜けになっており、舞踏会映えしそうな印象を受けた。


 相変わらず無言のままのコイトマは、右手前方へ足を向けた。吹き抜け部分の天井には巨大なシャンデリアがあり、彼女は平然とその下を歩いて行くけれど、私は多少の恐怖を感じて進路を変えた。吹き抜けの二階部分には回廊がぐるっと巡らされており、左手にある幅の広い階段で、そこへ登れるようになっている。階段のわきにある監視カメラが、場の雰囲気と調和しておらず、妙に目立つ。


 コイトマはそのまま、右手の短辺部分にある扉まで進み、軽くノックをした。すぐに中から扉があき、アデリンが顔を見せる。


「どうぞこちらへ」

 彼女が言った。私はパドマと目を合わせてから、中へ入る。


 部屋の中は、横に長い長方形をしており、中央付近に部屋とほぼ相似形の机が配置されていた。机の向こうには、いくつかの窓。今はそこにレースのカーテンがひかれている。天井にある小さめのシャンデリアには灯りがついていないものの、カーテン越しにそそぐ日の光だけで、室内は十分に明るい。


「お席へどうぞ」


 アデリンが、机の手前に並んだ椅子のうちから、一番左にあるものを引いた。彼女が勧めてくれた席の向こう側には、マルガリータの母親、つまり女王の妹が腰かけていて、その右隣にマルガリータが座っている。赤く腫れたその目に、ブルーナの死の影響を感じてしまう。そして、机の左辺には、口をきゅっと結んだ女王の姿。切れ長の瞳の間から細い鼻梁びりょうの伸びた彼女には、やはり多少の近寄りがたさを感じる。


 私は王家の三人に会釈をして、白地に金の彩色がされた豪華な椅子に腰かけた。目の前のティーカップから立ち昇る紅茶の香気こうきで、わずかに心が和らぐ。この部屋で唯一、心を落ち着けてくれる存在かもしれない。


 パドマが私の右隣に腰を下ろすと、最後に、アデリンがマルガリータの隣の席に着いた。コイトマは参加しないらしい。


「なかなかご挨拶ができずにいましたね。マリアと申します。そちらは妹のマリアナです。マルガリータのことは、ご存知でしたね」


 一瞬の沈黙の後で、女王がゆっくりと言った。彼女の手の動きに合わせて視線を移し、マルガリータの母、マリアナと改めて会釈を交わし合う。彼女は、相変わらず不安そうな表情をしていた。


「アガサとパドマと申します。滞在させていただき、光栄です」

「屋敷の部屋が用意できず、申し訳ございません。ご不便はありませんか?」

「全くありません。快適すぎるほど快適に過ごしております」


 彼女は私にとっての王ではないけれど、それでも、丁寧な言葉を探りながら話している自分がいた。王という概念はとっくの昔に形骸化しているのに、何かしらの圧力を感じているらしい。我ながら、なかなか感受性が豊かだ。


「それは良かった」

 女王は、軽く口角を引き上げ、「そちらにご用意したのは、この地方に伝わる焼き菓子です。お口に合うと良いのですが」と続けた。ティーカップの横にある小さなお皿の上には、可愛らしいタルトが乗っている。


 こういったお菓子を食べる際の、正式な作法はあるのだろうか。と、瞬間的に疑問がわく。もしかしたら、この場はこちらのマナーを試すための試験なのかもしれない。間違えれば街から追放されるとか、そういう感じの。


 ユノのアドバイスを基に、誇大妄想的な疑念を抱いていると、隣のパドマが何の迷いもなくタルトを口にした。


「美味しい」


 彼女の素直な感情表現に女王は微笑み、ティーカップを優雅に口へ運んだ。私はそのしぐさを横目でうかがい、ひとまず全く同じ仕草でカップのふちに口をつける。緊張のせいでゆっくり味わう余裕もないけれど、舌の上を転がっていく液体の味は、どことなく上品に思えた。これも、雰囲気に飲まれているからそう感じるのだろうか。

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