第31話:黒髪の訪問

 嵐のように去った足音は、すぐにゆったりとしたそれに代わり、返ってきた。

 余裕をただよわせるその足音の主を、私は知らない。わずかな緊張を感じる。

 コツ、コツ、コツという音は着実に近づいてきて、寸前で止まった。

 一瞬の間を開け、外周の通路から顔をのぞかせたのは、


「ユノ」

 思わず声が出た。


「入ってもいいですか?」

 彼女は口角を上げ、尋ねてくる。

「どうぞ」という言葉以外、思いつかなかった。


 青いワンピースを着たユノは、長い黒髪を背もたれの後ろに垂らしてから、席についた。瞳は切れ長で、唇は薄く、背筋は伸びている。なんだか、すべてがシャープだ。


「面白い話をされていたので、つい来てしまいました」

 にこやかな笑みを浮かべながら、彼女は言う。どこから聞かれていただろうか。すべて聞かれていたとすれば、ちょっと面倒なことになる。


「好意の方向性ですか? 聞かれているとは思わず、恥ずかしいです」

 ひとまず様子を探ってみたものの、

「それも興味深かったのですが、個人的には、犯人捜しの方により興味があります」

 すぐに期待は裏切られた。すべて聞かれていたらしい。


「推理ゲームの題材にしようと、あの子がうるさくて」

 コイトマの依頼があった話は、ひとまず伏せておいたほうが良いだろう。

「推理ゲームですか? それはなかなか不謹慎ですね」

 ユノは、くすくすと笑った。


「すみません。まだ小さいので、そのあたりの配慮が足りず」

「いえ、全くとげの無い会話を交わすより、よほど刺激的でワクワクします。ちなみに、そのゲームは私が参加してもよいのでしょうか?」

「えーっと、別にかまいませんが、心理的な負担にはなりませんか?」


「アガサさんも、私の立ち位置はご存知でしょう?」

「と言うと?」

「彼女たちの死でひどく狼狽ろうばいするほど、関係性は良好ではありません」

「あっ、そうだったんですね」

 心情的にはほとんど絶句しそうだったが、何とか言葉を紡ぐ。


「アガサさんは、誰が怪しいとお考えですか?」

「うーん、そうですね――

 適当に言葉を並べながら、私は必死に頭を働かせた。

 

 ただただ困惑していた。ユノが何を目的にしているのか、全く分からない。興味本位? 犯人の特定? 誰かをかばおうとしている? 自分への疑惑をそらしたい? すべての選択肢に、それなりの可能性を感じてしまう。


 きっと、情報が足りていないせいだろう。足りない部分が多すぎて、そこを頭の中で補完しているから、何となく整合性を感じてしまうのだ。もう少し情報を引き出さないと、まともに推察することすらできそうにない。


 ――最初に王女が被害にあっていますし、時期のことも踏まえて、寵妃選出に関係していると考えるのが自然かと」

「つまり、寵妃候補が怪しいと?」

「そこが難しいところですね。王女をめぐる寵妃候補たちの争いであれば、王女を排除する意味があまりないような気がしますし」


「そうでしょうか? 王女様が変われば、それによって利益を受ける人はいるでしょう」

「マルガリータ、ですか?」

「もちろん、彼女もその一人ですね。まぁ、本人は利益と思わないでしょうけれど。それに、寵妃候補であっても、利益を受ける人はいるはずです。王女様には覚えが悪いけれど、マルガリータ様には覚えがよい人とか」


「王女が変われば、自分が寵妃になれるかもしれない、ということですか?」

「えぇ。いかがです?」

「確かに、妥当性はありそうですね」


 ユノの言っていることは、一理あるように感じられた。

 ただ、素直に納得するのは難しい。どうしても、何か裏があるのではないか、と勘ぐってしまう。仮に彼女が私の考えを誘導したいのだとしたら、目的としてあり得るのは――


 ユノの表情を観察しながら考えていると、彼女の顔が笑顔に変わり、くすくすという笑い声が漏れてきた。

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