第15話:不意の喪失
扉のすぐ外には、少し芝生のスペースが広がっており、腰のあたりまで高さのある黒い柵が周りを囲っていた。向こうから流れてくる小川は、黒い柵の数メートル手前で左手に折れ、運動場と庭の間に横たわる崖と平行に、遠く向こうまで流れている。その途中には、離れの窓から見えたのと似たような噴水がひとつ。
「どこから水を運んでるのかな」
パドマに声をかけてみたものの、返事はなかった。あたりを見渡すと、彼女はいつの間にか正面の遊歩道を先に進んでいる。
遊歩道は川の両側を挟むように広がっており、その道をさらに、細く背の高い針葉樹が縁取っていた。幹の細さと高さが見合っていないように見え、どことなく不安を覚える造形だ。道の右手にある崖の上には、少し下がった位置に屋敷の建物が
視線を正面に戻すと、遊歩道の先、噴水近くに集った人の塊が一回り大きくなっていた。十人くらいいるだろうか、と推測したそばから、また一人
集まった女性たちの様子を観察しながら歩みを進めているうちに、グループの中にブルーナの姿を認めた。口を押えた彼女は、微動だにせず立ちすくんでいる。
私は少し歩みを速めて彼女のそばまで近づき、「ブルーナ」と、声をかけた。
びくっと肩を震わせ、素早くこちらに振り向いた彼女は、目を見開いている。
しばしの
ブルーナは時が止まったかのように、表情を全く変化させなかった。
ほとんど動きのない風景にあって、彼女の像だけが大きくなっていくので、静止画をズームしているような錯覚があった。私はわずかな恐れを感じ、口内の唾液を飲み込む。思わず彼女から視線をそらしたものの、動かした視線を止める先がなく、視界はゆれ動いた。
密かに会話を交わす女性の口元、自由落下を繰り返す噴水の水、風でしなる針葉樹の枝、わずかに光沢のある少女の唇。
さまよう視線が落ち着いたのはパドマの顔の上で、私は焦点を引き、彼女の姿をしっかりと
はじかれたようにパドマへ目を向けた彼女は、顔をゆがめた。続けて口を開き、息を吸って――
一瞬の静止の後、口を閉じた。
そして、こちらに視線を送ってから、屋敷の方へ走り出す。崖を掘り出して作ったような階段を駆け上がった彼女は、そのまま開け放たれた木製の扉の向こうに消えていった。
あっという間の出来事に、声をかけることができなかった。ブルーナの余韻を追って、扉の先にわだかまった暗がりを見ているうちに、わずかな後悔が心の中に
と、視界の左に女性の姿を認めた。
惰性で足が進んでおり、いつの間にか近づいていたようだ。行動に急ブレーキをかけるも、ピタリと止まるのは難しく、女性の左側に体を逃がす。
「すみません」
そう言いながら足元を確認し、誰かにぶつからないよう気を付けて、集団の中で立ち止まった。
……何だろう。
頭のどこかが、一瞬前の光景に違和感を訴えていた。何を見たのかは分からないものの、見慣れないものを捉えた、という直感がある。心に印象を刻むような、何かを。
頭の動きを再生して、状況の再現を試みた。
水柱から視線を落とすと女性の後頭部があり、彼女の左隣には小柄な女性が身を寄せている。二人の間には、水を吹き出す構造物がわずかに見えた。落下してきた水は構造物の下に広がった水面で跳ね、あたりに飛び散って――
水の中にある白い塊に、視線が止まった。
一瞬大理石の彫刻のように見えたけれど、質感はより滑らかだ。目の前にいる女性たちのおかげで全体が見えず、もどかしい。
少し顔を動かして、二人の頭の間から――
あっ、と小さな声が漏れた。
直後、反射的な恐怖に遅れて、目に捉えたものが知覚される。
噴水の水たまりの中には、白いワンピースを着た女性がいた。
水を吹き出す構造物に頭を預け、透き通るような白い肌をさらしている。髪の毛がまとわりついた両手は力なく下にたれ、唇は青白い。生気のないその体には、
昨日までマルガリータの姉だった、その体に。
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