第13話:月光の心情

 ざわめきを背にして廊下を進み、たった一つの電灯に照らされた暗い階段を下りて、屋敷の離れに戻った。二人分の荷物を整理した後は、特にやることもなくなってしまったので、早々に部屋の電気を落とす。


 骨董品のコインの采配によって、ベッドで寝る権利を得たのは、パドマである。私はソファの背もたれを倒してから、体を預けた。悪魔的に心地よいマットレスを使えないのは残念だけれど、普段寝袋で寝ていることを考えれば、それでもまだかなり豪華と言える。


 とはいえ、昼間にたっぷり睡眠をとったせいで、まるで眠気がない。暇を持て余して寝返りを打つと、ガラスの壁面が視界に入った。少し明るい方が寝やすいというパドマの要望で、薄いレースのカーテンだけを引いたガラスの向こうには、月明かりに照らされた庭が広がっている。崖の方へ流れていく小川の水面に、白い光が反射して美しい。


「起きてる?」

 パドマに声をかけると、すぐに「まだね」と不機嫌な声が返ってきて、ほっとした。


「普通に生きてたね、人類」

「滅亡したと思ってたの?」

「どうだろう。そこまでしっかりと考えてはいなかったけど、この辺りには私たち以外誰もいないかもしれない、とは思ってた」

「それは悲観的っていうの? それとも楽観的?」


「うーん、どちらにもとらえられる気がするなぁ」人類の滅亡に関して、期待したことも絶望したこともなかったから、自分の中で方向性が定まっていなかった。「でも、好きな時に人類を滅亡させられる、と感じられる点では、ロマンチックだと思う」


「それは猟奇的」

 パドマは短く言って、かすかに笑った。少しかすれたその声が、静けさが満ちた部屋に反響する。


「でも、少しがっかりしたなぁ」

 ほとんど無意識に、そうつぶやいていた。


「何に? ロマンチックな状況が崩れたことに?」

「まぁ、それもあるんだけど」

「他にもあるの?」

「うん。なんかさ、人類を救おうというモチベーションで旅してたから、興ざめというか、そういう感じがして」


傲慢ごうまん」声色を聞いただけで、彼女のあきれ顔が想像できる。「救うまでも無かったんだから、喜ぶべきでしょ」

「もちろん、そうなんだけど」


 久しぶりに人間に会えたという意味では当然嬉しかったものの、どこかで寂しさも感じていた。巨大な喜びを打ち消すくらい、人類の救済という目的に依存していたということだろうか。だとしたら、なかなかすさまじいものがある。


「で、旅はどうするの? 続ける?」

「どうしようかなぁ」


 ため息代わりに言葉を吐き出して、天井を見上げた。会話の残響が部屋の中をざわめかせ、少しずつ壁の中に吸い込まれていく。

 雑音が消えると、甲高い虫の声が小さく聞こえ始めた。


「たぶん続けると思う」

 特別な理由はなかったけれど、そう返事をしていた。


「分かった」

「あっ、いいの?」

 皮肉や小言を言われると思っていたから、驚いてしまう。

「うん」

 帰ってきた返事には、けだるさのようなものがからんでいる。

 

 言葉が途切れ、わずかな空白。

 

「起きてる?」

 もう一度尋ねてみたら、「もう寝た」と言葉が返ってきた。私は静かに笑いをかみ殺し、口をつぐむ。すぐにささやくような寝息が聞こえてきたので、再びガラスの向こうへ視線を移した。


 川に注ぐ月の光は、先ほどと何の変りもなく美しい。

 けれどもう、そこに寂しさはなかった。

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