第9話:宵の会食
「足元にお気を付けください」
前を行くコイトマの言葉に反応して、「転んだ方が目が覚めていいんじゃない?」と、パドマが笑った。
「それはひどいなぁ」
とっさに口から出てきた返答の平凡さに、我ながらがっかりする。すぐに、まだ頭が覚めていないらしい、と頭の中で言い訳を施した。
久しぶりのベッドで
私は腕を強くつねり、離れの庭から伸びる階段を上がって、ピロティを抜けた。
屋敷の立派な扉を入ると、昼間と違い、柔らかみのあるオレンジ色の光があたりに満ちていた。壁面に設置された照明が、白い壁に向けて光を放っており、その反射光が頭上から注いでいるようだ。
数時間前と同じく、コイトマは私たちの先を行って中庭の左を走る廊下を進み、ブルーナ、アドリア姉妹と別れた付近で立ち止まった。右手の中庭は暗闇に沈みつつあり、窓には廊下側の光景が映し出されている。
「こちらが食堂になっていて、上の階にはホールがあります」
中庭の反対に面した扉に手をかけ、コイトマが言った。彼女が扉を押し開くと、光と一緒にざわめきが漏れてくる。
明るく大きな食堂は、きれいな長方形をしており、長い木のテーブルが長辺と平行に二本配置されていた。テーブルの両側には、背もたれに細かな装飾の入った椅子が並び、そこに人が腰かけている。二つの机を合わせると、四、五十人くらいいるかもしれない。基本的に年齢はばらばらに見えるけれど、分布的に言えば、二十台と五十台に二つ山ができていそうだ。
そして、ざっと見る限り、どうやら部屋の右手が前方にあたるらしい。二十センチほど高くなった床の上に、二本の机と垂直となる形で、もう一つ長机が配置されている。七、八メートルくらいの長さがある長机の奥には、ひと際背もたれの高い椅子が五つ配置されていた。
私たちはコイトマの誘導に従い、たくさんの視線を受けながら机を左へ迂回するように進み、入り口から見て左奥の席に、窓を背にして腰かけた。部屋の長辺いっぱいに広がった窓の向こうを見通すことはできないけれど、位置関係的に言えばおそらく、昼間は庭が一望できるはずだ。
「またお会いましたね」
窓の向こうの光景を想像していたら、近くで声が聞こえた。一瞬自分に話しかけているとは思わなかったものの、すぐに耳覚えのある声だと気が付く。
顔をあげると、正面の席にブルーナが座っていた。隣には、アドリアの姿。胸のあたりまで天板で隠されている彼女は、上目遣いでこちらを見ていた。
「あっ、お久しぶりです」
「まだ数時間しか経っていませんよ」
私の反応にブルーナはかすかに笑って答え、「お二人も参加できてよかったです。ここの食事、美味しいんですよ」と言葉を足した。
「本当ですか? 嬉しい。楽しみです」
彼女の言葉を確かめるように目の前に並んだいくつかの料理を眺めてから、私は気まぐれに、アドリアへ小さく手を振ってみた。恥ずかしそうに
「嫌がってるんだから、やめたら?」
パドマはしかし、それが気に入らないらしい。
「仲良くなる最中は、大体気まずいんだって」
「経験あるの?」
「仮想的には、それなりに」
「映画とか小説のことを言ってるなら、かなり苦しいと思うけど」
「フィックションだって、一定の現実は含まれている」
「まぁ、前向きさはアガサの美点だからね」
感心と呆れの混じった声色で、パドマが言う。
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