第7話:束の間の宿

 マルガリータが扉の向こうに消えてから、数分。コイトマが戻ってきて、「離れにご案内します」と、部屋の入り口の方へ手を差し向けた。


 彼女の案内に従い再び建物の外へ出ると、ちょうど、噴水が大きな水柱をあげ始めた。街へ至る坂道が、その向こうに伸びている。

 街の半分が視界に入る光景はなかなか壮観で、しばらく眺めていたい気もしたけれど、コイトマが先に行くので、立ち止まるわけにもいかなかった。


 彼女は右手に折れて小さな黒い扉へ向かい、開けた。その先には、大地を掘り進めたような細く長い階段が、一段低い台地まで続いている。

 下の台地には、崖の際まで庭園が広がっているらしく、縦横に走る小道と、それを縁取るように植えられた細長い木々、所々に設けられた噴水などが目に入った。目的の離れはその一番手前、階段を下ったすぐ先にあり、母屋が立つ上の台地を背負うような形で建っていた。


 コイトマの後に続いて階段を下り、離れの小ぢんまりとした庭にたどり着く。離れの建物は、庭の正面と右手を囲うように、カギ括弧の形になっている。離れの左手には、さらに一段低いところに、車の中から見た運動場が広がっていた。運動場と庭の間は、ちょっとした崖と、崖の上に設けられた黒い金属製の柵で区切られている。まっすぐ伸びたその柵は、二百メートルほど先にある台地の際まで続いているようだ。


 コイトマは庭に配置された飛び石を渡って入り口まで向かい、扉を開けた。私たちは彼女の後に続き、中へ入る。

 建物の中は埃っぽいにおいがすることもなく、清潔に保たれていた。白く塗られた壁にも、ほとんど汚れはない。


「普段は庭園の管理人が使っている建物です。今は自宅で療養しているので、しばらくは使えるかと」コイトマはそう言いながら部屋の中を進んで、右手の扉を開けた。「こちらが寝室です。寝室の隣にシャワールームがあります」


 カギ括弧型の建物が、三つの正方形でできているとすると、それぞれの領域が庭から時計回りに、ダイニングキッチン、寝室、シャワールームとなっているようだ。


「お二人の荷物は寝室に運んでありますので、ご確認ください」

「いろいろとお気遣いいただき、ありがとうございます」

「いえいえ。お呼び立てしたのはこちらですから、当然です」

 ゆっくりと首を振ってから、コイトマは言った。


「部屋にあるものは自由に使っていただいてかまいません。冷蔵庫の中の物も――彼女はそう言いながら、入り口から見て左手の奥、キッチンカウンターの向こうに配置された冷蔵庫の扉を開けた――使っていただいてかまいません。牛乳などは注意されたほうがいいかもしれませんが」


「そのあたりはご心配なく。旅生活が長いので、鼻が利きます」

「どちらからというと、体が丈夫なだけの気がするけど」

 パドマのつぶやきに、コイトマが笑みを浮かべた。


「いろいろと手が回っておらず、申し訳ございません。ベッドの用意も一つしかないんです。寝室のソファは、いわゆるソファベッドになっておりますが、不足があるようならおっしゃってください」

「全く問題ありません、普段は寝袋ですから」

「そう言っていただけると助かります」

 彼女は軽く頭を下げて、「他に何かご質問がありますか?」と、続けた。


「いえ、特には」

 パドマの様子を横目で見ながら答える。

「では、夕食の準備ができ次第またお呼びします。おそらく十八時くらいになるかと」

「分かりました。それまでは自由行動という形でよいですか?」


「はい」

 即答したコイトマだったが、直後、どこか居心地が悪そうに手と手を絡ませた。

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