第6話:マルガリータ

 パドマが身を乗り出したのと同時に、奥の扉が勢いよく開いた。

 コイトマが消えたその扉から現れたのは一人の女性で、彼女は驚きに言葉を失った私たちをよそに、つかつかとこちらに歩み寄り、向かいのソファに腰かけた。


「あなたたちが旅人? 見た目は変わらないんだね」

 目をらんらんと輝かせた彼女は、緩やかにうねった黒い髪をショートカットにしており、活発な印象を受ける。陽に焼けた肌も、そういう雰囲気を漂わす助けになっているかもしれない。


「そっちは? 屋敷の人?」

 パドマは、対照的に冷ややかな様子。


「私? 私かぁ」

 質問されたのが意外というように、彼女は視線を挙げた。つられて天井を見上げると、木材で構成されたモザイク画が目に入る。


「そうだなぁ……お姫様もどきってところかな」

「それ、自分で言うの? つつしみって言葉知ってる?」

「もちろん。知ってはいるけど、体現しないだけ。あなたと一緒」

 

 予想外の反撃だったのか、パドマが激しく動揺するので、思わず笑ってしまった。当然、すぐに鋭い視線が飛んでくる。


 私が口をつぐむことで生じた静寂せいじゃくの中に、「勝手に行かないでください」と、声が響いた。続けて、開け放たれたままの扉から、コイトマが入ってくる。彼女は植物の装飾が美しいお盆に、ティーカップをのせていた。


「どうして?」

「どうしてって、危ないからです」

「子供扱いしないでほしいなぁ」


「しかし、彼女たちが危険な人物だったらどうするんです?」

 コイトマは平然と失礼なことを言ってから、「お二人が危険だと断定しているわけではないですよ。確率の話ですから」と、乾いた注釈をいれた。


「大丈夫です。理解しています」

 ひとまず、穏当おんとうな対応を取っておく。


「紅茶です。ミルクか砂糖が必要でしたら、こちらからお取りください」

 コイトマはひざを折って、全員の前にティーカップを置いた。ふんわりと湯気の上がるカップから、いい香りが漂う。


「私に危害を加えたところで何の利益もないんだから、問題ないって」

「世の中には、利益がなくとも害を与える人がいる、と聞いたことがあります」


「えぇ、これいつまで続くのぉ」

 彼女は大げさに嘆き、背もたれに体をうずめて足をくんだ。ショートパンツからのぞいた足は、均整がとれていてとても美しい。しかし、Tシャツといいショートパンツといい、お姫様もどきにしてはカジュアルな格好だ。


「反省の言葉が出てくるまでです」コイトマは厳しい表情を作った。「その格好でお客様に会ったのが知れたら、またお母様に怒られますよ」


「別にいい。怒らせるためにやってるんだから」

 彼女は天井を眺めながら答え、一瞬の間を開けて体を起こし、「それで、あなたたちはどれくらいここにいるの?」と、尋ねてきた。私はとりあえず、パドマに視線を送る。彼女は勝手にすれば、といわんばかりに目をそらした。


「少なくとも数日は」

「本当? 良かった、外の世界の話を聞かせて欲しかったんだ。いい?」

「もちろんです」


「じゃあ、決まり。今はちょっと時間がないから、また夜に話をさせて。二人も一緒に食べていいよね」

 彼女は、一人掛けの椅子に腰かけるコイトマに顔を向けた。


「おそらくは。聞いてみます」

「ありがとう、助かる」にっと笑った彼女は、再びこちらに顔を向ける。「そうそう、あなたたちはどこに泊まるの?」


「特に考えてはいないですね。この街にどこか空いている部屋がありますか?」

「あるある。過疎だから」彼女は嬉しそうに言ってから、「そうか、ここに泊まればいいんじゃない?」と、コイトマの方を向いた。


「それはどうでしょう……時期が時期ですし」

 ティーカップを手にした彼女は、苦しそうに言葉をつむぐ。

「みんなと同じところに泊まれとは言ってないよ。離れが空いてなかった?」

「あぁ、なるほど。確かに、あそこなら空いていますね。確認してみます」


「別に私たちは、同じところでもいいですよ」

 わざわざ手をわずらわせるのも申し訳ないと思い、そう言ってみたけれど、「いや、それはたぶん無理。時期が時期だから」と、すぐに断られてしまった。

 どんな時期なのだろう。侍女を隔離しておく時期か?


「あとは何だろう、シャワーとかは大丈夫かな」

 コイトマが優雅な所作しょさで紅茶を口にする一方で、お姫様はなおも、こちらの生活に気をまわしてくれている。


 彼女のような人格を、世話好きと表現するのかもしれない。と、そんな感想が思い浮かび、世話好きという言葉を初めて使ったような気がして、思わず笑みが漏れた。今までほとんど試されることのなかった、私の表現力を試される時が来たらしい。


 コイトマにならって紅茶を口にし、胸に抱いた不思議な高揚感を温めたところで、「一ついい?」と、パドマが言葉を挟んだ。


「何?」

 テーブルの向こうのお姫様が、首をひねる。

「あなたが質問するなら、私たちからも質問していいよね?」

「もちろん。この街のことなら何でも聞いて。だいたい知ってるから」


「良かった」嬉しそうなお姫様と対照的に、パドマは静かに言って、椅子に浅く座りなおした。「この街に男性がいないのはなぜ?」


 部屋の中にゆっくりと行き渡った言葉が、静けさを際立たせたように感じる。

 コイトマとお姫様は、何も言わずに視線を交わした。私の心の中には、なぜかこの話題がタブーであるという意識が存在しており、その意思疎通にネガティブな感情を見出してしまう。


「やっぱり気になるのかぁ」お姫様はしかし、動揺を見せることもなく平坦な口調で言った。「別に特別な理由はないよ。男性がいないのは、私たちが二つの性を持っているからで――


「お嬢様」


 再び、開け放たれた扉の方から声が聞こえた。瞬間的に、コイトマとお姫様が息を飲んだのが分かる。

 音源に視線を送ると、四十歳から五十歳くらいに見える丸眼鏡の女性が、すっと立っていた。黒を基調とした長いスカートに、白いシャツという姿だ。


「アデリン」

 お姫様が短く言った。


「そろそろお時間です」

 その言葉を受け、彼女は口を開いたものの、言葉が出てくるまでは少し間があった。


「分かった。すぐ行く」


「コイトマ、ちょっと」

 アデリンと呼ばれたわし鼻の彼女は、そう言って小さく手を招く。コイトマはティーカップを静かに置き、彼女のもとに歩いていった。


「ごめんなさい。話の続きはあとで」

 お姫様も、後を追うように席を立つ。


「名前を聞いてもいいですか?」

 去りゆく彼女に向けて、ほとんど無意識に尋ねていた。


「マルガリータ」

 彼女は短く答えて口の端を上げ、背中を向ける。


 私の視線は、その後ろ姿を追っていた。

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