もしも稲葉杏果に双子の妹が居たら?

田中たなか明照あきてるは今、嬉しさと困惑を同時に抱えていた。何故なら、目の前には全く同じ顔・髪型・服装・体格の女児が二人居るからだ。

「さぁ明照君、どっちがどっちか分かるかなぁ?」

「おじいちゃんとおばあちゃんでさえもよく間違えるよ」

歌声喫茶“ひかり”の主宰者、小野田おのだ寛司かんじ英子えいこ夫妻は、両親と兄を交通事故で亡くした孫娘を世話していた。姉の稲葉いなば杏果きょうかと妹の稲葉いなば麗香れいか。二人は一卵性双生児なので、見た目が酷似していた。当然、血液型も同じである。しかも、それだけには止まらない。利き手・利き足・飲食物や動植物等の好み・歩き方・性格・運動能力・知能等も同じだった。以上の通り、悪条件が余りにも重なり過ぎており、明照にとっては下手な意地悪クイズの6000倍は難しかった。

「どうしよう……本当に区別がつかない」

尚も頭を抱えていると、姉妹は交互にカウントダウンを始めた。

「10」

「9」

「8」

「7」

「6」

「5」

何か良い手掛かりは無いか。切羽詰まった明照は、その時、足元を完全に見落としていた事に気付いた。結果、決定的な証拠を掴んだ。

「漸く分かった。杏果ちゃんは右。麗香ちゃんは左」

絶対外れるだろうと信じ込んでいた姉妹は、目玉と心臓が飛び出そうになった。

「あ、当たった……!」

「如何して!? 何もヒントはあげてないのに」

唖然とする二人に、明照は、可笑しいのを必死で堪えつつ種明かしをした。

「杏果ちゃん、最近深爪して血が出たと言ってたよね。意外な落とし穴が有ったから助かったよ」

その瞬間、杏果は慌てて目線を落とした。左足の親指の爪には、赤黒い痕跡が確かに残っていた。一方、麗香にはそれが全く無かった。

「麗香ちゃん、そろそろ足の爪、切り時じゃないかな。良ければ僕が切ろうか」

「良いの? じゃあ、是非御願いしようかな」

大好きな明照に足の爪を切って貰えると決まり、麗香は欣喜雀躍していた。一方で、杏果は、今後二度と鋏で爪を切らないと固く誓うのであった。


<別に、血液そのものを見たり、臭いを嗅いだりするのは苦手ではないよ。だけど、自分が酷い激痛で大泣きするとなれば話は別。あれ程までに酷い目に遭うのはもう懲り懲り。それにしても、傷が完全に治るまでは入れ替わり遊びは中止しなきゃいけないかな……>


数秒後、自分も次の機会には爪を切って貰おうと考えて、杏果は顔を上げた。



この様に、明照は杏果と麗香に慕われている一方、よく入れ替わり遊びの対象となってもいた。直接実害は無いので、嫌という程でもなかった。しかし、偶に違う色のワンピースを着ていたとしても、或は、違うアクセサリーを身につけていたとしても、何処かで交換されてしまえば見抜くのは絶望的だった。しかし、この程度の事は明照にとっては茶番ですらなかった。



「明照君、結局どっちと結婚するの? 長い付き合いで、歌の指導もしたことが有るあたしだよね? 君の好みをよく知っている方が安心出来るよ」

「明照君、悪い事は言わないから、こんなおっかないのは止めた方が良いよ。お淑やかなあたしなら嫌な思いをさせないと保証するから」

明照は、何時もの様に家に招かれ、サーターアンダギーを頂いたのは良かったものの、左右に座った姉妹から難しい選択を迫られていた。二人の、明照への好意は留まる事を知らず、一歩間違えれば、どの様な形で暴走しても可笑しくなかった。最近、明照はこの様に詰め寄られる事が何度となく有り、その度に何かしら口実をでっち上げて逃げ回り続けていた。しかし、そんな事が何度も通じる訳もなく、今日は両側から同時にしがみ付かれていた。

「いや、あの、僕、確かに二人には心を開いているよ。でも、結婚となると、その場の勢いや思いつきで決める訳にはいかないから……」

何方も傷付けない選択を必死で考えた末、明照は玉虫色の答えを出した。しかし、当然それでは誰も納得などしなかった。

「明照君、大抵の事は受け容れるよ。泣き虫とかお化け恐怖症も含めて、ね。だけど、これに関しては煮え切らない態度は絶対に許さないから」

「明照君、あたしが暫く入院していて出会うのが遅かったからと言って、杏果に劣るなんて事は言わないよね? そんな酷い事言うなら今この場で縁を切るよ」

未だ小学三年なのに、一体何処で如何やって難しい言葉や考え方を覚えてきたのか。明照が頭を抱えていると、二人の祖母、英子が姿を見せた。

「あらあら、また取り合い? 未だ決着がついていなかったのね。それ程までに難しい問題なのかしら」

香片茶を注ぎながら、英子は考えを巡らせた。藁にも縋る思いで明照は助言を求めた。

「二人から最近よく迫られているんです。どっちと結婚するのかって。勿論、二人のことは大好きですが、結局どっちを選んでも必ず誰かが傷付くのは目に見えているんです。かと言って、何方とも結婚しないなんて言おうものなら、僕は殺されるかも知れません。こんな時、如何するのが一番良いんでしょう」

「一番重要なのは、明照君自身が何を強く望むか、でしょう? 人に聞いたところで100%満足出来る答えが得られる保証なんて何処にも無いわ」

最後の頼みの綱さえもあっさり切られた。明照の視界が歪んだ瞬間、杏果と麗香は同時に動いた。

「危ない!」

「大丈夫?」

咄嗟に両側から支えた瞬間、二人は不意に我に返った。何が面白くて、自分達は今までこんな馬鹿馬鹿しい事の為に必死になって争っていたのだろうか。

「明照君、御免なさい。ずっと困らせていたんだね」

「明照君、御免なさい。もっと早く気付くべきだったね」

幼い双子の姉妹に支えられながら、明照は香片茶を喉に流し込み、漸く回復した。

「気にしなくて良いんだ。僕は、誰も傷つけたくない。誰も泣かせたくない。それを第一に考えていたんだよ。まさかこんな結果になるとは思わなかったけどね」

その言葉を聞き、ずっと傍観していた英子は漸く沈黙を破った。

「それが明照君の一番大切にしている事? 成る程ね。ただの優柔不断なら、ばっさり斬り捨てていたところだったんだけどねぇ。まぁ、こうして事情がはっきり分かったからには見捨てる訳にはいかないわ。杏果、麗香、何も結婚と云う形式に拘る必要は無いんじゃないかしら? つまるところ、3人が平等に幸せになれば全て解決の筈よ」

自分が何十日も掛けて考えても全く思いつかなかった結論を、英子は一瞬にして導き出すことに成功した。愕然としたが、同時に納得もした。

「何でこんなにも簡単な事に気が付かずにいたんだろう。そうだよ。結婚がゴールと思い込んでたら真実は見えてくる訳がないよ、何時迄経ってもね。僕が一番嬉しいのは、三人の仲がこれからも変わらない事。皆が平等に大好きを注ぎ合うことで幸せは維持出来るんじゃないかな」

予想とは大きく違っていたが、それでもこの結論は杏果と麗香にとっても十二分に満足出来るものだった。

「そうだよね、麗香。三人が全く同じだけ幸せにならないと何の意味も無いよね」

「本当だよ、杏果。これからは、本当の幸せを一緒に掴み取りに行こうね」

両側から同時に頰にキスされ、明照は脱力感を覚えた。しかし、ネガティブな要素は何一つ見出せなかった。



この日の夜、明照はまたも固まっていた。


<何この展開。僕こんな事して貰って本当に良いの? 一人でも十二分に緊張するのに、二人だよ。一生分の運を使い果たしたと云うのなら、何処かのパワースポットでもう一度チャージしてくれば良いのかな。それとも、チャイナタウンで金魚または蝙蝠のグッズを買ってくれば良い? それか、福の字を逆さまにして貼るのが正解?……あぁもう訳が分からない>


表面では至って冷静だったが、明照は何時脳が爆発しても可笑しくなかった。何せ、杏果と麗香が両側から自分にしがみついているのだから。別にそんな事を態々しなくてもバスタブの面積は十分広い。だが、杏果と麗香は、その小さな体を密着させている。御蔭で明照の頭の中は鳴門海峡の大渦だった。

「あたしが前から洗うから、麗香は後ろからね」

「任せといて、杏果」

この言葉を合図にバスタブから上がると、明照は膝立ちになった。

「それじゃ、洗うからね」

「痛かったり痒かったりしたら正直に言うんだよ」

幼い双子の姉妹に体を洗って貰い、明照は何時しか身も心も蕩けていた。数分前までは頭が爆発する寸前だったというのに、何故か今の状況を完全に受け入れている自分が確かに居た。

「風呂上がりには、明照君の爪を切るね」

「杏果が右手右足をするから、あたしは左手左足だね」

「有難いね、本当」

難しい事を考えるのはもう止そう。可愛い双子の姉妹が、損得勘定抜きに自分をこんなにも慕って呉れている。その事実さえ有れば十分だった。

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