44 グレゴリーとの対決
「どうして、お前がここにいるんだ。ここで、何をしている」
やっと絞り出した俺の問いに、グレゴリーは答えようとしない。代わりに、背後から声がした。
「あまり騒がないでくれるか。おしのびだからね」
振り返ると、柱の陰から声の主が出てきた。王太子シャルルだ。いや。元・王太子か。彼の姿を見て俺は息をのむ。恐怖したからではない。その容貌が変わり果てていたから。
いつも整えられていた髪はぼさぼさになり、無精髭を伸ばし、聡明そうな光をたたえていた目は澱んでその下には灰色のクマができている。あれから三年しかたっていないはずだが、二十歳も老けたみたいだ。そこにはかつてヴィオレーヌが憧れた王子様の、面影の欠片すら見出すことはできなかった。
「これから、ヴィオレーヌを殺しにいくんだ」
ふわふわとした寝ぼけた調子でそう言い、ケタケタと彼は笑った。
「あいつのせいで、僕の人生はめちゃくちゃだ。だから、あいつに僕が罰を下してやるんだ」
あまりの身勝手な言い分に、俺の胸に怒りの火がともる。ヴィオレーヌのせいにするんじゃない。お前の権威の失墜は、お前自身の不誠実さがもたらしたものだろうに。
「お前……。本当に腐ってるな。だが、ヴィオレーヌはお前なんかにやられないぞ」
俺の怒りなど意に介さぬように、シャルルは、これだけは変わらぬ高慢な態度で話をつづけた。
「おや。あの女も何か企んでいるのか。だけど無駄だよ。もうすぐクラリスも部隊を率いてくる。グレゴリーは暗殺係。僕は見物さ。官邸の構造は熟知している。謁見の間の天井裏には、ひそむのに格好な場所があるんだ。そこから弩であいつをねらって……」
グレゴリーの背負っている弩を一瞥した彼はまた、下卑た忍び笑いを漏らす。
俺は彼をにらみつけつつ、じりじりと後ずさりをする。手をゆっくりと、石の入った腰袋に伸ばしながら。
これはまずいな。こいつらは、ヴィオレーヌに奇襲をかけるつもりだ。兵力はどれくらいかわからないが、状況は不利だ。ヴィオレーヌは今、何も知らずに、広い謁見の間の真ん中に独りでたたずんでいる。親衛隊は次の間に潜んでいる場合じゃない。彼女の命が危ない。はやく、このことを知らせなければ。
「下郎。まさか、今見聞きしたことを知らせよう、なんて、思っちゃいないだろうな」
腹に重く響くしわがれ声が、俺の後退を止めた。
グレゴリー。シャルルの護衛係が、俺の前に立ちはだかる。
「残念だが、それはできないぜ。お前は、ここで、死ぬのだからな」
そして血まみれの剣を構える。同じく血のこびりついた頬を、獲物をむさぼるオオカミのように舌で舐め、彼は喉の奥で笑った。
〇
鈍い光を散らしながら、剣の切っ先が容赦なく俺に襲いかかる。突き。斬り。払い。また突き。左に流れる水平斬りをかわせば、すかさず手首を返して右への斬撃が襲ってくる。休みなく繰り出される攻撃に、俺はよけるのが精いっぱいで、攻撃の姿勢をとることさえできない。
「どうした、どうしたぁ。得意の石投げは、しないのかぁ」
笑いながらグレゴリーは、腰袋に伸ばそうとした俺の右腕めがけて、また突きを繰り出す。
投石をしたいのはやまやまだ。だけど奴はそれを見越し、決してそのすきをつくらなかった。俺に石をつかませようとしない。俺に距離を取らせようとはしない。距離をとろうとしてもしつこくついてきて、攻撃の手を休めない。石だけが俺の武器なのに。これじゃあ、勝負にならない。
石だけだって? そうじゃない。石だけじゃない。指弾があった。
俺はようやくそれを思い出してポケットに手を入れる。グレゴリーは石の入った腰袋に気をとられているせいか、俺はやすやすと指弾用の豆をつかむことができた。動きながらなのでちょっとだけだが。二三発あてれば、ひるますことができるだろう。
よし。くらえ。
グレゴリーの横っ面に向けて豆を弾き飛ばそうとした、その瞬間だった。
グレゴリーの上半身が、視界から消えた。それと同時にわき腹に強い衝撃が走り、俺の身体が宙に浮いた。
浮いたと思ったのは一瞬だった。左肩と頭が何かに激しくたたきつけられ、赤い絨毯を敷いた床が視界の中で横に傾く。
その絨毯を、やはり横になったグレゴリーの足が踏みしめながら、こちらに近づいてくる。
横になっているのは俺の身体だ。俺は起きようとするが腹も肩も頭も痛くて起き上がれない。そうこうしているうちにグレゴリーは俺の傍までやってくる。
俺は痛みに耐えながら腰袋に手を伸ばし、石をつかもうとする。その右上腕部に鋭い痛みが走る。思わず腕に視線を向ける。腕が血に染まっている。どうやら斬られたみたいだ。腕は動くみたいなので、そんなに深くはなさそうだが、俺は握りかけた石を手からこぼす。
「調子にのりやがって。お前みたいな下郎が、抵抗なんてするんじゃねえよ」
グレゴリーの声と一緒に、腹に衝撃が降り注ぐ。蹴られているんだ、と思うけれど、もうよけることもできなかった。
「どうした下郎。くやしいか。よけてみろよ」
悔しいがよけることができない。衝撃が体のどこかを襲うたびに、喉の奥から湧き上がる鉄の味が濃くなるような気がする。
「弱ぇ奴が、背伸びなんかすんなよ。お前も、あの女も。下郎のくせに。目障りなんだよ。下郎は下郎らしく、そうやって地面を這いつくばってろよ」
やがて衝撃が止む。薄く目を開けて見上げると、グレゴリーの奴が薄笑いを浮かべながら剣を振り上げていた。
「よし。そろそろとどめをさしてやる。あの女も、後を追わせてやるぜ」
よけなきゃ。そう思うが、俺の身体はもう動かなかった。だめだ。逃げることができない。腕も指も動かない。何もできない。ただ、斬られるのを待つだけなのか。
ああ。俺は、死ぬのか。
あらゆる抵抗が無駄と悟った時、静かな諦めの気持ちが俺の胸に染みわたっていった。俺はやることはやった。もう、ここまでだ。
さようなら。ヴィオレーヌ。
そして俺は目を閉じた。
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