42 首飾り事件
王立博物館へと向かう宰相専用の馬車の中は思っていたよりも広くて、振動も少ない。しかし、ガラガラと石畳の道の上を回る車輪の音に耳を傾け、窓の外の闇の中を流れていく街灯の光を眺めながら、俺は落ち着きなく足をゆすぶり続けた。
「こら、タケル。貧乏ゆすぶりをやめなさい」
「うるさいなヴィオレーヌ。お前だって、ずっと爪を噛んでいるじゃないか」
暗い車内にいる俺たち二人に落ち着きがないのは、さっきヴィオレーヌが話してくれた作戦というのが、ゲームの中でも重要なイベントで、ヴィオレーヌの破滅につながっている出来事だったからだ。
名付けて、首飾り事件。
そのことの顛末はこうである。
アルフール王国には、建国時からこの国を守ってきたとされる豪華な首飾りがあった。それは国宝として、王室からも国民からも非常に大切にされていた。ある日ヴィオレーヌは、この首飾りを盗んで、クラリスをその犯人に仕立て上げようと画策する。国家転覆を企てる重罪人として地位を奪い、国外に追放するためだ。
しかし、ヴィオレーヌのこの作戦は裏目に出る。その計画を察知したクラリスが、先にヴィオレーヌの手先の盗人を捕らえて、彼女こそが国宝を奪おうとしていたことを暴くのだ。
この事件によりヴィオレーヌの求心力は大きく低下し、それまで日和見を決め込んでいた民衆と貴族もほとんど敵になってしまうのである。
「ジセンなんかに任せるから……」
俺は貧乏ゆすぶりをしながら、この説明をしてから何度吐いたかわからないぼやきをまた繰り返した。
そう、その国宝奪取のためにヴィオレーヌが遣わしたのが、あのジセンだったのだ。
「しょうがないじゃないの。彼は義賊だし、優秀な怪盗よ。紳士だしね」
「俺たちに二回も捕まっているがな」
「うるさいわね。私には仲間が少ないの。あと、貧乏ゆすぶりをやめなさい」
がしっと、はたくような勢いで彼女は俺の腿を抑える。
痛ぇな、となおも食って掛かろうとして、しかし俺は口を閉じた。ヴィオレーヌの指が、わずかに震えているのが伝わってきたから。
そうだ。彼女を責めるのはお門違いだ。彼女は何も知らなかったんだから。そして突然現れた俺に、いろんな話をきかされて、きっと気持ちの整理だってついていないはずなのに。俺のこと。ジョセフィーヌさんのこと。自分の運命について……。今一番混乱し、動揺しているのはほかならぬ彼女だ。俺がしっかりしなくては。
俺は貧乏ゆすぶりをやめて、ヴィオレーヌの手に手を重ね、謝った。
「……ごめんな」
「それで……、私は、どうすればいいの?」
「解決方法はひとつ。クラリスより先に、ジセンの奴をとっ捕まえる。奴は、今夜首飾りを盗む予定だと知らせてきたんだろ。予定を知っているなら、俺たちの方が有利だ」
「でも、彼を簡単に捕まえられるかしら」
「初めてあいつと出会った日のことを思い出すんだ」
初めてジセンを捕まえた日。あの時あいつは、ジョセフィーヌさんの小箱を道具屋から盗み出した。日中に客として堂々と道具屋に入り、ミシェルさんの隙をついて家の中に忍び込んだ。そして家の中に潜み続け、騒動に紛れてまた堂々と正面から出ていったんだ。
「だから今度も、同じ手を使っているかもしれない。日中堂々と博物館に入り、今頃はその建物のどこかに潜んで、脱出の機会をうかがっているかも」
確信はない。ひょっとしたらもう、とっくに脱出して街で酒を飲んでいるかもしれないし、まだ行動に出ていないかもしれない。とにかく今俺たちができることは、博物館に行って首飾りを守るか一刻も早くジセンを捕まえることだけなんだ。
「フフフ。懐かしいわね」
突然ヴィオレーヌがおかしそうに言ったので、俺は思わず振り向いて彼女を見た。
「何が」
「あの日の夜。あなたが不思議な光をあてたら、ジセンたら、地面を転がって、目がぁ~、って騒いで……。びっくりしたな。あれは」
あの夜のことを思い出して、俺も思わず笑いを漏らしてしまう。まるで昨日のことのように、よく覚えている。ひょっとしたら簡単にあの時に戻れるのではないかと、錯覚してしまうくらいに。
「なあ、ヴィオレーヌ。あいつを捕まえたら、またあの光あててやろうか」
「できるの? 面白いわね。フフフ……」
俺たちが顔を見合わせて笑おうとしたとき、馬車が止まった。博物館に到着したのだ。
〇
公園の中にある博物館の周辺は、夜にはすっかり静まり返っているはずだった。
しかし馬車から降りた俺たちを迎えたのは静けさではなく、火事場のような喧騒だった。
王立博物館の周囲は騒然としていた。窓という窓からは明かりが漏れ、入り口の前の長い階段には大勢の兵隊がたむろしている。
「どういうこと?」
官邸からの衛兵二人と俺を引き連れて、ヴィオレーヌはその兵隊のひとりに近づき問いかける。しかし彼は答えようともしない。
「無礼者! 私を誰だと思っているの」
そう鋭く言って、階段の兵隊たちを見渡す。
兵隊たちの挙動は不審だった。彼らはヴィオレーヌに気づいていないかのように、そっぽを向いたり、うつむいたり、博物館を見上げたりしている。わざとらしく。まるで彼女とかかわるまいとしているかのように。
「皆の者。ひかえなさい。私はこの国のさい……」
ヴィオレーヌがなおも毅然と兵たちに呼びかけようとしたその時、博物館の入り口の大きな扉が開いて、中から人影が現れた。
「この国の宰相代理、ヴィオレーヌ・ド・ポンデュピエリー様。何か御用ですか」
聞き覚えのある朗らかな声が降ってきて、それと同時にそれまでバラバラに立っていた兵たちが、サッと階段の両脇に整列した。
博物館の明かりを背にした彼女は、舞台の主演女優のように優雅な足取りで階段を下りてくる。ヴィオレーヌの前まで来て立ち止まると恭しくお辞儀をして、そして柔らかくほほ笑んだ。その優しく包み込むような表情は、三年前より一層魅力的になっているように思えた。
「クラリス……。なんであんたがここに……」
ヴィオレーヌが苦いものを吐き出すようにして言う。
クラリスは薄笑いを浮かべたまま、夜の暗がりの中でも輝くブロンドを指でかきあげ、首をかしげる。何をおしゃっているの? 私がここにいる理由はあなたが一番よく知っているのではなくって? そう語り掛けるように。
「ええ。通報があったものですから。大切な宝物が狙われているという」
「そんな馬鹿な……」
ヴィオレーヌは思わず声を上げそうになって、あわてて息をのんだ。
その様子を見たクラリスの目が細められる。口もとを笑みの形にしたまま。ヴィオレーヌの頭の中を見透かすように。身動きのできない獲物をもてあそぶように。
「何か、ご存じなのですか」
「知らない。私も、通報を……、受けたから、来たの」
咳払いをしてから、ヴィオレーヌは落ち着きを取り繕おい胸を張る。
「……それで、宝物は無事なのですか」
「ええ。盗人も捕らえましたわ」
「えっ……」
ヴィオレーヌの堂々とした態度ははやくも崩れる。
その時、宝物館の入り口から数人の集団が階段へと出てきた。何人かの兵隊の中心に、手を縛られた男がいる。ジセンだった。
ジセンとそれを取り囲む兵隊の集団は、階段を降りるとクラリスの前でいったん止まる。
俺たちに気づいたジセンは、一瞬目を見開いたかと思うと、すぐにその目をそらして顔をそむけた。
「この者のことは、知っていますか」
クラリスの問いに答えず、ヴィオレーヌは少しだけ顔を伏せる。その手が強く握りしめられ、震えている。知らないと言え、ヴィオレーヌ。俺はそう心の中で呼びかけるが、一方で彼女がそれを言えないだろうこともわかっていた。昔からの知り合いであるジセンを切り捨てられないことを。
そんな彼女を見ていられずに、俺は一歩前に進み出て、ヴィオレーヌの代わりに答えた。
「ヴィオレーヌ様が、このような盗人を知っているわけないだろう」
俺の方を向いたクラリスが、口もとから笑みを消し、きょとんと瞬きをした。何か不思議なものでも見るように俺をじっと見つめ、そして首をかしげる。
「あなたは、どなた?」
俺は言葉を詰まらせる。
覚えてないのかよ。俺は……。
俺が説明をする時間はしかし彼女から与えられなかった。興味もなかったのだろう。クラリスはすぐにヴィオレーヌの方に向き直ると、また元のように柔らかいほほ笑みを顔に貼り付けてお辞儀をした。
「わたくし忙しいので、これで失礼しますわ。盗人の尋問をしなくちゃ」
そしてジセンと兵隊を引き連れて去っていった。整列していた兵たちも続々とそれに続く。
やがてその場に残された俺たちは、ようやくおとずれた夜の静けさの中で、茫然と暗い空を見上げていた。
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