41 作戦開始

「どう。私の、宰相っぷりは。たいしたもんでしょ」


 執務室の隣のこじんまりとした部屋に入るなり、ヴィオレーヌはそう得意げに言って、紫のドレスのスカートをつまみ上げ、くるりと体を一回転させた。


「正確には宰相代理なんだけど。でも、あの日から、この姿をあなたに見せたいと思っていたの。再会したとき、恥ずかしくないようにって。あなたから悪口言われないように。できれば褒めてもらえるように。今の私をあなたが見たら、なんと言うだろう、って。それを支えに、頑張ってきたんだ」


 そうして、スカートのすそをつまみ上げた格好のまま首をわずかにかしげ、瞬きをする。「どう?」と問いかけるように。


 ヴィオレーヌのその姿は、別れたときとは、ずいぶん変わっている気がした。容姿はもちろんヴィオレーヌそのままだ。肌の白さと黒髪のつややかさ、大きな目と鋭い光を放つエメラルドグリーンの瞳と、それにかぶさる長いまつ毛は変わらない。だがその雰囲気はあの時とは違う。

 何というか。成長した、と思う。

 あのころよりもずっと大人びている。落ち着いていて、堂々としていて、余裕が感じられる。蕾のような固さが取れ、程よくほころんでいて、色香のようなものもそこはかとなく漂わせている。


 でも、何より……。


 何より、少女のころはなかった、陰りのようなものをその表情の中に見出さないわけにはいかなかった。日々の仕事の疲れ。宮廷での人間関係の気苦労。寂しさ、哀しみ……。そういったものがごちゃ混ぜになって、彼女の表情をより一層大人びた、魅力的なものにしているような気がした。


 彼女の成長した姿を眺めながら思う。ああ、彼女は本当に頑張ってきたんだな、と。この三年間、苦労して頑張って、何とか今までやってきたんだ。傷つけられることも多かったろうに。悔しい思いもたくさんしたろうに。


 俺の前にいるのはおそらく、俺と一緒にいた真っすぐで負けん気が強くてどことなく頼りない少女ではない。きっとあの頃よりずっと強い。俺がゲームで散々悩まされた悪役令嬢のように。


「ああ。すごいな。お前は、立派になったな」


 俺は感慨を込めてそう言ってやる。もっとかけてあげたい言葉があった気がしたが、何も出てこなかった。ただ「頑張ったな!」と、そう褒めてあげたい気持ちだけが、俺の冴えない顔いっぱいに広がる。


 こんな言葉で伝わらないと思ったが、ヴィオレーヌは照れたようにほほ笑んで目を伏せた。その時だけ、少し、少女のころの面影がよみがえる。


「ありがとう。また来てくれて、嬉しいよ」


 その少女の面影に背を押されるように、俺は意を決する。そう。どんなに出世しても、いろんなことを経験して成長しても、根もとにあるのはあの少女だ。彼女は紛れもなくヴィオレーヌ・ド・ポンデュピエリー。俺が救いたい人なんだ。


「ヴィオレーヌ。今さらやってきて、偉そうなことが言えないのはわかっている。だけど、伝えたいことがあるんだ」


 俺はいったん目を閉じて深呼吸してから、ゆっくりと話しはじめた。


「俺は天使じゃない。ただのゲーム好きな腐れ大学生だ。ここはゲームの中の世界なんだ。ヴィオレーヌ。お前はそのゲームの悪役で、やがて失脚して処刑されてしまう」


 目を開くとヴィオレーヌの怪訝そうな表情が視界に入った。ショックを受けているというより、理解できないというような。

 理解できないよな。しょうがない。でも、それでもいい。大事なことはこの場合、ひとつだけだ。

 俺は彼女の肩に手をおいて、その大事なひとつのことを言い放った。


「俺はその未来をぶっ壊しに来た。ヴィオレーヌ。絶対にお前を死なせはしない」


     〇


 丸い小さなテーブルにつき、紅茶を飲みながら、俺はヴィオレーヌの近況を聞き、そして自分の知っていることを話した。ゲームの結末。ジョセフィーヌさんの想い……。


「俺の右頬をはたくなよ。そうしたら今度は、二度と戻ってこれなくなる」

「そうか。お母さんが……」


 ヴィオレーヌは手に持ったカップの中をのぞきながらつぶやく。


「お母さんのこと、よく覚えていないんだ。私」

「ジョセフィーヌさんはずっと、お前のことを気にかけていたよ」


 カップをテーブルに置いて、彼女は俺の目を覗き込んできた。俺の中にある母の姿を探そうとするかのように。


「ねえ……。私は、お母さんと似ているの?」

「とてもよく似ている。ジョセフィーヌさんにも同じことをきかれたよ」

「そう……」


 そして目を伏せ、フフフと、寂しそうに笑った。その笑い方もジョセフィーヌさんに似ていると、ふと俺は思う。


 紅茶のカップに視線を落としてしばらく黙り込んでいたヴィオレーヌは、やがて鼻をすすり、目をぬぐった。


「私としたことが。まだ涙があったなんてね」

「ヴィオレーヌ。ところでお前のことだが……」


 俺は話を先にすすめることにした。本当は一緒にしんみりしていたいところだが、感傷に浸っている時間はあまりない。


「一番手っ取り早い方法は、争いをやめることだ。クラリスと仲良くすることって、できないのか」


 ヴィオレーヌはくるりとこちらを向き、まだ濡れている鋭い目で俺をにらんだ。


「それは無理」


 即答かよ。


「じゃあ、亡命するのは? そうすれば、権力はなくなるが、ミシェルさんやアニエスやモルガンさんたちと暮らせるぞ」


 クラリスの策略によりモルガン一家が領土を失い亡命したことは、今ヴィオレーヌからきいた。ミシェルさんも彼らと一緒に隣国のライツ帝国に移り住んだということだ。そこに行けば、今よりは不自由かもしれないが、家族や昔馴染みと一緒に暮らしていける。


「まあ、いざとなったらね。でも、クラリスを蹴落とすことができれば、問題ないんでしょ。大丈夫。こちらも策を練って、今、進行中なんだから。今日にも決着がつく。これが成功したらあの娘を捕らえて国外追放にしてやるの」


 そう言ってヴィオレーヌは不敵な笑みを浮かべた。紅い唇をゆがめて。エメラルドグリーンの瞳を怪しく光らせて。するとたちまちその全身に悪役の雰囲気が醸し出される。

 貫禄があるなと、俺は妙に感心してしまう。やはりヴィオレーヌはこうでないといけない、という想いが俺の中にもあるようだ。そんな彼女を応援してやりたいという衝動にかられて、せっかくの争わない案を、俺も端に追いやってしまった。


「それで、その策とは?」


 俺は頬をゆるませて身を乗り出す。きっと悪代官のようなにやけ顔になっていることだろう。そんな俺の耳に唇を寄せて、ヴィオレーヌはその内容を教えてくれた。


 その話をきくうち、しかし俺は自分の顔から血が引いていくのを感じた。


「いかん。ヴィオレーヌ。それは返り討ちにあうぞ。急いでジセンの奴を止めるんだ」

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