35 デート

 侍従長の腹心、近衛師団長のドルトンが宰相により汚職の罪を追及されて失脚した。そのニュースが宿舎に届けられたのは、すべての祝賀行事が終わった次の日のことだった。


 モルガンはじめ、衛兵もメイドもこのニュースに沸いたが、ヴィオレーヌだけはさえない表情をしていた。

 理由はすぐにわかった。ヴィオレーヌ個人に対しては、今になっても宰相から何の音沙汰もなかったから。告発文と一緒に、ヴィオレーヌの手紙もちゃんと渡ったはずなのに。告発には反応があって、彼女のメッセージに対しては、何かが起こる様子もない。宰相はそれを読んで何も思わなかったのだろうか。それとも、ヴィオレーヌの手紙は読まなかったのだろうか。


 喜びと消沈の入り混じる宿舎に王太子が訪ねてきたのは、お昼時が近づいて、ジセンがヴィオレーヌを外に連れ出そうとしていた時だった。


「また、おしのびだよ」


 そう言って白い歯を見せた王太子は、唖然とする俺とジセンの間を通り、戸惑うヴィオレーヌを、着替える余裕も与えずに連れ去ってしまった。


「これは、いい……」


 口髭をなでながら二人が出ていった扉をにらみ、ジセンはいやらしく口をゆがめた。


「タケル君。我々も遅れてはいけない。彼女らのあとを、つけようではないか」

「え。でも、デートの邪魔をしちゃあ、悪いだろ」

「邪魔などせんよ。無粋だなあ。ただ、見守るだけだよ。紳士的にな」

「……つまり、覗きだな。悪趣味な」


 ジセンは俺の言葉を否定せずに、口の端をあげて舌なめずりした。


「吾輩、他人の色恋話は大好物だ。君も、ヴィオレーヌ嬢の弱みがほしいだろ。あとでいろいろからかってやろうぜ」


 うむ。そういうことならしょうがない。俺も同行するとしよう。


     〇


 ヴィオレーヌと王太子が最初に向かったのは、繁華街からは少し離れた街の西部。歴史地区と呼ばれている地域だった。

 二人を乗せた馬車が広い道端にとまる。そこから見えない木の陰に、俺たちも馬車をとめて車から降りる。道の先には大きな石の建物がそびえていた。柱にいろんな彫刻がほどこされて、槍のような屋根が天を突きさしている、立派な建物だ。


「ここは、どこだ」


 その立派な塔を見上げながら、俺はジセンにたずねる。


「エルガレ寺院だよ」

「有名なところなのか」

「ああ。でも、デートにはあまり行かないがな」


 そして首をかしげながら、真っすぐ寺院へと向かう二人を追った。


 次に訪れたのは、瓦礫の転がる、廃墟のようなところだった。広い敷地のところどころには草が茂り、柱や壁の名残のようなものが寂しそうにたたずんでいる。


「ここは、古代アルフェイト帝国の遺跡だ」


 ジセンはそうつぶやいて、足元の石ころを蹴った。どうも、ここも定番デートコースではないらしい。


「楽しいのか? 彼女らは」


 そう言って、ジセンは眉をひそめて目をすがめる。

 横倒しになった柱に隣り合って座るヴィオレーヌと王太子は、俺の目には楽しそうに見えた。王太子は手ぶりを交えて何か熱心に語っている。彼を見つめるヴィオレーヌの目の表情は、興味のあることを聴いているときのそれだ。その口もとが笑っている。新しい本を手に入れて読んでいるとき、いつもそんな表情をしていたことを俺は思い出す。そういえば、好きな科目は歴史だとか言っていたっけ。


「どうやら、楽しんでいるようだよ」

「変わったお嬢さんだな」

「変わってるな。だけど、それがヴィオレーヌだ。今まで、話が合う友達なんかいなかったんだ。ひょっとして、王太子もそうなのかも。だからきっと、うれしいんだ」


 もう、あとをつけるのはいいような気がした。もう十分だった。やっぱりヴィオレーヌには王太子が必要だ。彼なら、彼女になんでも与えることができる。コネや地位や金だけじゃない。楽しい会話。充実した時間……。ひょっとしたらヴィオレーヌの渇望していたものすべてを、与えることができるのかもしれない。


 俺はジセンの顔を見上げて首を振った。もう帰ろうという意味だったが、ジセンは口をへの字に曲げて、俺の提案を退けた。どうやら浮ついた現場を見ずには気が済まないようだ。

 やれやれとため息をついて、俺は彼のあとに従った。


     〇


 あと二つの寺院と一つの遺跡を巡って、ようやくヴィオレーヌと王太子はカフェで休憩をとった。もっとも、歴史地区の、遺跡を利用した公園の一角にあるカフェだが。


 そのカフェの建物の柱の陰から、屋外席のパラソルの下に座る二人の様子をうかがいながら、ジセンはプルプルと全身を震わせていた。


「寺と遺跡ばかり。寺と遺跡ばかり……。あいつら、正気か。ショッピングは? 観劇は? ロマンチックな場所でイチャイチャしないのか」

「寺巡りは俺も好きだよ。っていうか俺の国は歴史好きの女の人は多いけどな。この国は違うのか? カップルで共通の趣味の場所に行くなんて、ふつうだろ」

「カップルというか……」


 ジセンは俺に向き直って、急に真剣な表情になった。「見てみたまえ」という風に彼らの方をあごでしゃくってみせるので、俺は首を伸ばして屋外席の二人を覗き見る。

 白いテーブルに隣り合って座って、王太子とヴィオレーヌの二人は、相変わらず楽しそうにしゃべっている。はじめよりもずいぶん打ち解けた様子で。やはり手ぶりを交えて、子供のように目を輝かせて何かを語る王太子。ヴィオレーヌはテーブルに頬杖をついて、身を乗り出すようにしてそんな王太子を見つめている。瞼を半分くらい綴じて。それは何やら夢を見ているようで……。


「ヴィオレーヌ嬢は王太子に惚れてるな。きっと。しかしどうも、王太子の方は、友達としか見てないんじゃないか」

「そんな。根拠はなんだ」


 椅子に座りなおしてジセンをにらむと、彼も真剣な表情のまま俺を見据えて、どや顔で言った。


「吾輩の、勘だよ」


 そんなもので勝手にヴィオレーヌを片思いにするんじゃない。そう思う一方で、急に俺の胸に不安が灯った。確かにヴィオレーヌは王太子と婚約する。だけど、ゲームではその婚約は破棄されるんだ。片思い。その予想はこれから来る破滅を暗示しているような気がした。片思いじゃダメなんだ。片思いじゃあ。


 気がつくと俺は立ち上がって屋外席の方へと歩いていた。

 ほとんど衝動的だった。考えるより先に体が動いていて、自制心やらはなかなか追いついてこない。そしてついに王太子のいるテーブルの前まで来てしまい、そこでようやく俺は立ち止まった。


 まず、声をあげたのはヴィオレーヌだ。

「タケル。何でこんなところにいるのよ」

 非難するというよりは驚いた口調で言って、身を乗り出す。


 一方、その隣で王太子は、落ち着き払った態度でお茶をすすっている。足を組んで座ったまま、こちらを向こうともしない。

「やあ、どうしたね。召使い君」

 鼻で笑うような言い方。俺など歯牙にもかけていないことがよくわかる、余裕たっぷりの表情だ。


 でも、俺はそんな王太子の態度など少しも気にならなかった。彼が偉いとか、金持ちとか、そんなことは関係なかった。

 俺は感じる。みんなが俺を見ていることを。ヴィオレーヌが見ている。ジセンが見ている。そのほかのお客も、多分見ている。

 皆が注目する中、俺は、おもむろに王太子の前に膝をついた。


「恐れながら、王太子殿下に、お願いがございます」


 そして次の言葉をつづけようとした、その時だった。


「この、無礼者め!」


 突然背後から、怒鳴り声がした。知らない男の銅鑼声だ。驚いて振り返ると、剃刀の刃のような頬をした鋭い目つきの男が、腕を組んで俺を見下ろしている。


「お前がごとき下郎が、王太子殿下に願い事とは……」

「よい。グレゴリー」


 王太子が片手をあげて合図をすると、その目つきの鋭い男は黙り込んで一歩引き、姿勢を正して頭を下げた。


「この男は私の護衛でね。おしのびの時も目立たないところから見守ってくれているんだ」

 そう説明してから、ようやく王太子は俺の方に顔を向けた。

「ところで君。その願い事とやら、聞いてやってもよいぞ。ただし……」

 いったん口を閉じてにっこりとほほ笑む。その瞳に、無邪気さと意地悪さの混ざった、興味の光がともる。

「私の要求に、応えることができたなら」

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