34 クラリスの闇
「ふーん。それで、あなたはヴィオレーヌさんのために働いているわけね」
俺の話をきき終わると、クラリスはそう言って空を見上げた。
黄昏時の繁華街。この時間でも街は賑やかだ。すれ違う人がみんな俺たちの方を振り返る。もちろんクラリスのことを見ているんだ。
俺は宿舎までの道をクラリスと一緒に歩いている。今日はちゃんと道はわかっているが、クラリスが一緒に行こうと言ってくれたので従った。
道を歩きながら、俺は彼女に訊かれた「元の世界」について話した。もちろん作り話を、である。ここがゲームの中の世界だとか、日本の話とか聞かせても信じてもらえないだろう。俺は外国人でひょんなことから帰れなくなり、ヴィオレーヌの家に居候をしている。……ということにした。
「そうさ。あいつに投石を教えたのは、俺なんだぜ」
思わずちょっと得意げな口調になってしまう。クラリスの隣を歩いて、俺もテンションが上がっているらしい。余計なことまで口ばしってしまわないように気をつけないと。間違ってもクラリスがゲームのヒロインだとか、そういうことを言ってはいけない。
クラリスは立ち止まって、空を見上げながら後ろ手を組んだ。
「でも、彼女はあまり、あなたのことを大事にしていないみたいね」
「どうなんだろう」
答えようとして、しかし俺は口を閉じてしまう。クラリスの言葉を肯定も否定もできなかったから。今まで大事にされたことなんてない。それどころかいつも割と無碍に扱われてきた。言い争ってばかりだった。俺が彼女を小憎らしく思うように、彼女も俺を嫌っていると思ってた。でも、本当はどうだったんだろう。ヴィオレーヌは俺のことを、どう思っているんだろう。
「ひとつ言えるのは、俺の役目はもう、終わりつつあるということだよ」
そう、ヴィオレーヌは無事に宰相に手紙を渡し、王太子ともいい雰囲気だ。もうじき宰相の養女となり、王太子と婚約するのだろう。彼女の出世街道のゴールは近い。俺の出る幕はもうほとんどないだろう。そしてそのことを裏付けるかのように俺はクラリスと出逢って、こうして一緒に歩いている。
「ねえ。さみしい?」
突然、クラリスはそう、俺にたずねた。
クラリスのその言葉を、そのいたわるような声をきいたとたん、どうしようもない感情が俺の胸にこみあげた。それはそれまで自覚していなかったことだった。いや、気づいていて、しかし自分では認めたくなかったことなのかもしれない。だって、俺はもともとクラリスのファンで、悪役のヴィオレーヌのことなんか、嫌いだったのだから。でも、改めてクラリスからきかれて、抑えられなくなった。どうしようもないほどにこの感情がつのって、それを抑えることができなかった。
「ああ。さみしいよ」
俺は、振り絞るように言う。さみしい。そう。俺は、さみしかった。ヴィオレーヌを王太子にとられて、さみしかった。
クラリスは俺を見つめ、ゆっくりとうなずく。
「そうか……」
そう言ってから、また、前を向く。
「わたしもだよ。わたしも、さみしい子なんだ」
「君が? まさか」
「ホントだよ。わたしはひとりぼっち」
そして細めた目を少し伏せる。
「みんなからいい子だと言われて、持ち上げられて。彼らの期待どおりでいなくちゃいけなくて。いい子だと言われれば言われるほど、本当に思っていることなんて言えなくて。本当のわたしではいられなくて。だから大勢の中にいても、わたしはひとりぼっちなの」
また空を見上げて、自嘲する。
「ヴィオレーヌさんて、真っすぐよね。彼女の投げる球のように。真っすぐで、頑張り屋で……。いいなあ」
目を細めてフフッとそよ風のように笑ってから彼女は、前を向いて数歩歩き、そしてまた立ち止まった。
今度は背中を向けたままだった。振り返らずに発せられた彼女の声は、ちょっと低くて、一瞬彼女のそれではないような気がした。
「ヴィオレーヌさんが投石攻撃をしていたら、わたしは負けていたかもしれない。あの時、ボールがなくなっていたでしょ。あれ、わたしの仕業なの」
俺は何も反応できない。彼女の言っていることが理解できなかった。クラリスがそんな卑怯なことをするわけがない。そう、頭から思い込んでいるから。彼女は、ヒロインだから。
「ほんとうは、あんまりいい子じゃないんだ。わたし」
ようやく振り返ったクラリスは、笑っていなかった。碧い瞳は夏の水辺にうかぶ水影のように揺れていて、その瞳を見つめていると、自分も深い水の底へと落ちていきそうな錯覚を覚える。
やばい。引きずり込まれる。そう思ったとき、クラリスは目をぬぐって、その表情をふわっと笑みに切り替えた。その場の妙に緊張した雰囲気も掻き消え、柔らかい安らかな空気がよみがえる。
さっきの一瞬みせた影を追いやるように、クラリスは大きく腕を振って、石を投げる真似をした。
「ねえ、タケル。もしよかったら、わたしにも投石を教えてくれないかしら」
しばらく遠くを見晴るかすようにしてから、顔にかかった前髪を照れくさそうにかきあげて、唖然としている俺にウインクをする。
「気が向いたらでいいわ。来月にある舞踏会で返事を聞かせて」
「でも、それに出るかどうかわからない」
「出ないならそれまで。でも、出るわよ。きっと」
そしてクラリスはもう一度、ほんわかとほほ笑んだ。さっき見せた一瞬の影などどこにもないかのような、純度百パーセントのスマイルだった。
〇
宿舎に帰ると、皆が俺の周りに集まり、今日の首尾を訊ねてきた。モルガン、アニエス、メイドたちに、ジセンまで。特にアニエスはずっと外に出られないので、食いつきがすごい。
「上手くいきましたよ。試合は準々決勝敗退でしたけど。手紙は宰相に渡せました」
「お姉さますごーい」
アニエスがぴょんぴょん跳ねながら万歳をする。その隣でモルガンがいぶかしそうに俺の左右に視線をはしらせた。
「それで、ヴィオレーヌはどこへ行ったんだ」
「彼女は、王太子とデートをしています」
一同がざわつく。そのざわつきに背を向け、俺は自分の部屋へと向かった。
〇
自分の部屋に閉じこもり、ベッドに大の字に横たわって俺は夜までの時間を過ごした。何回か扉がノックされたが起き上がろうとはしなかった。一行で今日の祝賀会が開かれているということだったが、腹が減っていないからといって、出るのを断った。
本当に腹は減っていなかった。考えることが多すぎて、それで胸も腹もいっぱいだ。自分がどうしたらいいかわからなくなって。俺の立場も目的も本来明快だ。明快なはずなのに、それが本当に正しい道なのかわからなくなっている。クラリスのもとに行って、キスされて、めでたく元の世界に帰る。本当にそれでいいのか。タケルよ。お前はそれで満足なのか。
気づくと窓の外はもうすっかり暗くなっていた。扉の向こうからは、まだやかましい宴会の声が流れてくる。ひときわ大きい声はジセンの奴のだ。
いつまで飲んでいるんだよ。まったくおめでたい奴らめ。そう思ったとき、また、扉がノックされた。
「俺は、いいですって。本当に、腹が減ってないんだ」
何度めかの俺の断りの文句を無視して、ノックの主は、今度は勝手に扉を開いた。
部屋に入ってきたのは、ヴィオレーヌだった。
「何、すねてるの?」
反応できない俺をよそ眼に、彼女は手に持ったランプを俺のいるベッドわきのテーブルに置き、その隣にシチューの皿をおいた。ベッドに座り、フーっと吐息をつく。
「おい。俺の足の上に乗るなよ」
「うっさいわね。あんたがどけなさい。っていうか、ご主人様が来たんだから、寝っころがってないで、せめておきなさいよ」
相変わらずの口の悪さ。しかしいつもと違って、心なしかその声音が優しいような気がする。
俺は素直に起き上がって、ヴィオレーヌの隣に座り、彼女の顔は見ずに訊ねる。
「……どうだった、王太子は」
「舞踏会に、招待された。来月だって。だから私は、来月までここに滞在するつもり」
「そうか」
「みんなにも話した。了解してくれたわ。お金はモルガンさんが出してくれる。お父さんにも話しておいてくれるって」
「寂しがるだろうな。ミシェルさん」
ヴィオレーヌが黙り込む。その沈黙にはヴィオレーヌの父への愛情と、逡巡が詰め込まれていることが、俺にはわかる。そしてその沈黙に耳を傾けながら、俺は卑怯者めと自分を責める。
卑怯者め。そんなこと、ヴィオレーヌはずっと承知だ。それを承知で、悩んで、覚悟して、ここに来たんだ。今さらミシェルさんのことを言って、彼女の心をゆらそうとするなんて、俺は本当に、器の小さいバカ者だ。
「覚悟は、している」
ヴィオレーヌはやがてそうつぶやいてから、俺の方を向いた。
「タケル。わかっていると思うけど、あなたはここに残りなさい。あなたは私の、家来なんだからね」
「ああ。わかっているとも」
俺はうなずいて、ヴィオレーヌを見つめ返す。
俺も覚悟を決めなければならない、と思いながら。
進む覚悟。元の世界に帰る覚悟。……ヴィオレーヌと離れる覚悟、を。
きっとその舞踏会が、俺の最後の任務になると思うから。
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