31 王太子シャルル

 二回戦を突破し準々決勝進出を決めたヴィオレーヌが控室にもどって鎧を脱いでいると、係官が戸を開けて入ってきた。


「ヴィオレーヌさん。クラリス様からお誘いがあります。一緒にお昼を食べましょうと」


 準々決勝は午後からだ。それまでに残った選手は昼食をとる。その時間を一緒に過ごしたいとクラリスが言っているというのだ。

 俺たちはその提案に思わず顔を見合わせる。

 クラリスが招待? 冗談じゃあるまいな。

 その真意はともかく、いずれは試合であたる相手だ。試合後ならともかく、試合の前に仲良くご飯を食べるのはいかがなものだろう。


 今は断った方がよいのでは、とささやきかけようとした瞬間、どういうわけかヴィオレーヌはうなずいていた。


「わかりました。すぐに参ります」


 おいおい。いいのかよと思いながら彼女の顔を覗き込むと、ヴィオレーヌはその瞳を鋭く光らせて虚空をにらみつけていた。いかなる挑戦も受けて立つ。そんな気合を込めて。


     〇


 各選手の次の試合までの行動は割と自由だ。建物の外を散歩していてもいいし、売店で買い物をしてもいいし、客席で観戦していてもいい。ただし、次の試合の十分前に係官が迎えに来る、それまでに控室に戻ってきていないと失格になる。

 二回勝ってヴィオレーヌも心に余裕ができてきたのだろう。もう、朝のような緊張感は漂わせていなかった。なにせ次に勝てば準決勝だ。目標の三位以内は、手に届くところまで近づいてきていた。


 係官から案内されて連れてこられたのは、闘技会場の建物の二階にあるカフェだった。半屋外のバルコニーのようなところで、いくつかの白いパラソルの下に円形のテーブルが並んでいた。

 クラリスの姿はすぐに確認できた。バルコニーの真ん中の、一番広い席に、ゆったりと座ってカップに口をつけている。その水色の衣装の着こなしも、姿勢も横顔の表情も、一度見たら忘れられない。ほかにも大勢いる中で、彼女はいやおうなく目立っていた。ヒロインのオーラ。それを俺は思い知らずにはおれなかった。


 クラリスはひとりではなかった。隣に誰か座っている。藍色の軍服に身を包んだ、男の人だ。長身で、額が広くて切れ長の目を持った、賢そうな顔をした若者だ。俺はその顔を見たことがあると思う。どこで見たか……。一生懸命思い出そうと悪い頭をひねっているうちに、係官に席まで誘導されてしまった。


「お待ちしておりました。さあ、こちらに座って」


 クラリスが相変わらずの朗らかな口調で、男と反対側の自分の隣の席をヴィオレーヌにすすめる。ヴィオレーヌが言われるままに座り、その隣に俺が座ると同時に、紅茶が目の前に置かれる。なんかちょっと居心地悪くて居住まいを正してしまう。横を見るとヴィオレーヌもちょっと緊張した面持ちで手を膝の上で重ねてかしこまっている。

 そんな俺たちの様子を楽しげに眺めてから、クラリスは隣の男の人を紹介してくれた。


「こちらはシャルル王太子様よ」


 手にしたカップから思わずお茶をこぼしそうになる。俺は慌ててカップを置き、もう一度男の顔を見る。その口と輪郭に想像の中で金色の髭をつけ足してみて、ようやく思い出す。そうだった。確かにこれは王太子シャルルだ。いずれヴィオレーヌと婚約し、その婚約を一方的に破棄する奴。ゲームでは宰相による政略結婚だったはずだが、その前にこんなとこで出会っていたのか。しかもクラリスの手引きで。


「ちょっと。行儀が悪いわよ」


 唖然としている俺に非難するような一瞥を向けてから、ヴィオレーヌは席をたって会釈をした。


「お、王太子殿下でしたとは。しちゅれい、いたしました。ごご、ご同席できて、こ、光栄でしゅわ……」


 ぎこちなくそう言って、再び座ろうとして椅子の足にけつまずく。お前だって動揺して言葉噛みまくってんじゃねえか。と、突っ込んでやろうとしたら、彼女の手がカップにあたって中身が俺の膝の上にこぼれた。


「ぐわっち……。ヴィオレーヌ、てめ……。ふざけんなよ」

「うるさい。無礼な家臣ね。今ふいてあげるからありがたく思いなさいよ」


 そんなやり取りをする俺とヴィオレーヌを、上品に笑いながらシャルル王太子は見つめていた。


「いやあ、面白い人だね。かしこまらなくていいよ。今日はおしのびできているんだから」

「お、恐れ入ります」


 俺の膝を適当に拭いたヴィオレーヌは、また膝の上に両手を重ねてかしこまる。力が入りすぎて両肩があがっている。これは後で肩ががちがちになるぞ。一方でリラックスしたクラリスはにこやかに紅茶をすすって、ヴィオレーヌのことを王太子に紹介する。


「こちらがヴィオレーヌさん。先ほどあなたがお話していた、投石の方よ」

「やあ。君がそうか。試合を見ていたよ。珍しいね」

「あ、あの……。なんか、すみません……」


 ヴィオレーヌがうつむいてなぜか謝る。怒られるとでも思ったのか。しかしそんな彼女の気持ちをほぐすように、王太子は顔の前で手を振って、白い歯を見せほほ笑んだ。


「いや。君を非難する気なんてない。むしろ、好感を持っている。この大会で投石の使い手が出るのは三十年ぶりなんだ」

 そして彼は、遠くを見つめるように目を細めた。

「三十年前、ある少女がその投石の技で大会を盛り上げた。彼女はやがて王に嫁ぎ、僕を生んだ。母は僕が子供のころ、よく一緒に石を投げて遊んでくれた。だから、その技を見るのは、なんだかなつかしくてうれしい。母は、もういないから」


 ヴィオレーヌはまだうつむいている。肩がさっきよりもあがっている。このままだと顔が肩の間に埋もれてしまう。そんな心配を半分しながら様子をうかがうと、彼女の頬が少し赤くなっていることに俺は気づいた。


「おい。黙ってないで何か言えよ。王太子が待ってるだろ」


 俺がささやきかけて腕をつついてやって、ようやく彼女は少しだけ顔をあげる。上目遣いに王太子を見て、しかしまた顔を伏せてしまった。


     〇


 結局その昼食の時間、俺たちは王太子とクラリスの会話をその傍らでただ聞いているだけだった。たまにクラリスが話を振ってくれたが、ヴィオレーヌはそのどれにもうまく答えることができなかった。

 それに引き換え、クラリスは王太子相手でも屈託なく、話題も豊富で、会話も実に巧みだった。その言葉や表現の端々に、教養と聡明さがにじみ出ていた。ヴィオレーヌはまるで、彼女のすごさを思い知らされるためにその場に座らされているようだった。彼女と自分の違いを見せつけられて、惨めな思いをさせられるためだけに……。


 ようやく解放されてカフェから控室に戻る間、ヴィオレーヌはずっとぼんやりしていた。虚空を見つめ、何度かすれ違う人とぶつかりそうになって舌打ちをされた。


「おい。どうしちゃったんだよ。具合悪いのか。変なもんでも食べたかよ」


 部屋に入っても鎧をつけようともしない彼女に、俺はそう問いかける。

 閉めた控室の扉に背をあずけて、まだぼーっと天井を見上げながら、ようやく彼女はつぶやいた。


「すごいわね。あの娘は……」

「ああ、クラリスか。しょうがないよ。彼女は都会っ子だし、場慣れもしてるし、王太子とは知り合いみたいだったし。こちとら何もかも初めてで、驚くことだらけだもんな」

「ううん。そうじゃなくて……」

 そして目を細める。まるで起きがけに見ていた綺麗な夢を想いだそうとするかのように。

「王太子は、きっと彼女のことが好きなのよ」

 そう言って、彼女は深いため息をついた。

「いいなぁ……」


 これはいかんな。ヴィオレーヌの様子が本格的におかしい。

 焦りながらも次の準備をすることしか思いつかず、俺はあたふたと武具の確認をはじめた。もう、出番まであまり時間がない。

 ノロノロと鎧をつけはじめたヴィオレーヌに急いで、ボール用の布包みを渡す。

 異変に気づいたのはその時だ。


 軽すぎる。


 心臓がひとつ大きな鼓動をうつ。俺は乱暴に布の中を手探りする。ない。ひとつもボールが入ってない。

 こぼれてどこかに転がっているのか。俺は這いつくばって控室の隅々を探し回ったが、ボールはひとつとして出てこなかった。

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