30 武道大会②

 通路を抜けて闘技場に出ると、白い光が辺り一面に広がって、そして青い空が見えた。

 一瞬あと、それまでとはけた違いの音量で、歓声がヴィオレーヌを包んだ。目の前に広がるのは円形の競技スペース。体育館くらいの広さのその競技スペースを囲む、すり鉢のような観客席から、満員の人がひしめき合って手を振ったり口に手をあてたりしながら俺たちを見下ろしていた。


『Aゲート。ブルジヨン村のヴィオレーヌ』


 アナウンスとともに、波のように観客席がどよめく。その客席を口をあけながら見上げるヴィオレーヌは、手を振ることも忘れている。そんな彼女をひとりその場に残し、俺は係官に連れられて、競技スペースの隅の従者席へと向かった。


『Bゲート。ジャンヌ・ド・バルゴー嬢』


 また、どよめきと歓声。心なしかヴィオレーヌの時よりも何割か大きいような気がする。見ると、俺たちが入ってきた入り口の対面で、黄色のドレスアーマーに身を包んだ女性が手を振って笑顔で歓声にこたえていた。


     〇


 笛の音とともに、ヴィオレーヌと相手の双方は兜をかぶり、身構えた。


 ルールはこうだ。手にしている武器で相手を切ったり突いたりする。もちろん安全に配慮した偽物の武器だ。狙うのは胴、小手、腕、足。ただし、顔を狙うのはご法度。顔に当ててしまった場合は即失格となる。有効打かどうかは二名の審判により判定される。先に二本、相手に入れた方が勝ち。


 ヴィオレーヌの武器は剣と、石代わりのボール。ボールは小石を布で包んでそれを毛糸でぐるぐる巻きにしたものだ。武器としての使用許可も得ている。

 対するバルゴー嬢は剣のみ。ちなみに盾は使わないことになっている。


 両手で剣を構えたバルゴー嬢は、姿勢を低くしてヴィオレーヌににじり寄る。獲物に襲いかかる時の豹のように。慎重に、油断なく。対するヴィオレーヌは左手に持った剣の切っ先を前に向けて、バルゴー嬢の動きをけん制していた。


 バルゴー嬢が身をさらにかがめた。その直後、剣を振りかぶってヴィオレーヌにとびかかる。

 ヴィオレーヌはさっと飛びのいて攻撃をかわす。空を切った相手の剣は、しかしそれでとどまることはなかった。鋭い光を放つ剣の切っ先が、流れるようにヴィオレーヌに襲いかかる。二撃目を左手の剣で振り払い、三撃目を身をよじらせてよけたヴィオレーヌは、ついに相手に背を向けて駆け出した。


 客席から歓声と笑い声が上がる。たぶん、ヴィオレーヌのことを嘲笑しているのだろう。しかし俺はよしとひとり膝を打った。彼女が、相手と程よい距離をとったから。しかも相手はヴィオレーヌの行動を見て油断した様子だ。


 バルゴー嬢は、剣の構えを解いて薄笑いしながら、二十歩ほど離れて振り返ったヴィオレーヌを見つめている。再びヴィオレーヌが構えても、余裕の表情で直立したままだ。


「今だ」


 俺は思わず声をあげる。もちろんそれは歓声にかき消されてヴィオレーヌには届かない。しかし、それがきこえたかのようにその瞬間、ヴィオレーヌは腰に下げた包みからボールを取り出した。


 相手がようやく異変に気づいて剣を構えようとしたときには遅かった。ヴィオレーヌの手から離れたボールはバルゴー嬢の腹にあたり、二人の審判が赤い旗をあげていた。


 会場が一瞬静まり返る。何が起こったのか理解できないといった様子で。

 やがて会場の数か所からざわめきが生まれ、それは次第に客席全体へと広がっていった。歓声ではなかった。もっと重苦しくて耳障りな。まるで土砂降りのような。


 これが、ブーイングか。


 俺は振り返って客席を見上げながらぼんやりと思った。現場で実際に聞くのは初めてだ。近くの客席から断片的な言葉が降ってくる。「卑怯だぞー」「飛び道具とかふざけんなー」「ちゃんと戦え」「弱い奴が悪あがきすんなー」……。あと、聞くに堪えない中傷の断片も聞こえた。これがヴィオレーヌに聞こえていないことを願う。


 やまないブーイングの嵐の中、試合が再開される。しかし、ヴィオレーヌは動揺しているのか、客席を見上げたまま動こうとしない。そのすきにバルゴー嬢が間を詰めてくる。


「あぶない、ヴィオレーヌ。よけろ!」


 俺はこぶしを握って叫ぶ。もちろんその叫びもブーイングに遮られて届かない。さっきのように俺の声がリンクする様子もなく、ヴィオレーヌは茫然と立ち尽くしている。そしてそんな彼女にバルゴー嬢の剣が襲いかかる。


 幸いだったのは、バルゴー嬢も冷静ではなかったということだ。予想外の攻撃で一本取られて逆上したらしい。ヴィオレーヌに攻撃を仕掛けるとき、こともあろうに彼女は無駄に叫び声をあげて、大げさに剣を振り上げ、自分で奇襲を台無しにしてしまった。


 危機一髪で我に返ったヴィオレーヌは、舞うようにその体を翻した。よけた彼女の背の数センチ横を、バルゴー嬢の剣の切っ先がすり抜けてゆく。

 舞ったヴィオレーヌの両足が地面から離れる。

 体勢を崩しながら、ヴィオレーヌは腰の包みに手を入れる。

 ヴィオレーヌの身体が傾く。彼女の右腕がしなり、ボールが相手のわき腹へと吸い込まれてゆく。


 ヴィオレーヌの身体が闘技場の地面に横たわり、土ぼこりが上がる。それと同時に二人の審判が赤い旗をあげ、試合終了の銅鑼が鳴った。


     〇


 試合に勝ったというのに、控室でヴィオレーヌはずっとさえない表情をしていた。

 俺が淹れてやったお茶に口をつけず、アニエスが差し入れてくれたお菓子に手を伸ばすこともなく、テーブルに頬杖をついて顔をうつむけて、何もないテーブルの一点を見つめている。


「おい。何か食っとけよ。体力が持たないぞ。試合はまだまだあるんだから」


 俺が黙っていられずに声をかけてやると、彼女はテーブルの上を見つめたまま、ぽつりとつぶやいた。ただ一言。雫が葉の上からこぼれ落ちるように。


「ねえ。私って、悪者なの?」


 その質問に、彼女の意外なほど気弱な声音に、俺は思わずドキリとする。ひょっとしてさっきの試合で観客から投げつけられた中傷の言葉を、彼女は聴いてしまったのだろうか。


 確かに、彼女はリバージュ伝の悪役で、嫌われ役だ。だから、彼女が悪者というのは正しいのかもしれない。だが、俺は今の彼女の問いかけにうなずくことができなかった。だって、彼女はまだ何もしていない。ただ、試合で遠距離攻撃をしただけじゃないか。ちゃんとルールにのっとった正当な方法だ。ズルくなんてないし、ましてや卑怯でもない。それなのになんであんなに非難されなきゃいけないんだ。あんなひどい言葉を投げつけられなければならないんだ。


 一方で俺は、ヴィオレーヌの態度にももどかしさを覚えた。

 何をそんなにくよくよしているんだヴィオレーヌよ。お前はいつか、国中を敵に回して闘うんだぞ。試合のブーイングごときににくじけていてどうする。しっかりしろ。


 俺がヴィオレーヌを叱咤するなんておかしいかもしれない。俺は半ば無理やり彼女の家来にさせられて、しょうがなく彼女の活動の手助けをさせられているだけだ。彼女の気持ちはきっと、彼女自身が勝手に解決するんだろうと思っている。しかし今の彼女を見ていて、黙っていられなくなった。

 俺は立ち上がると籠に入っていた差し入れのクッキーを勝手にほおばり、彼女の目の前に置かれたカップをとってお茶を一気に飲み干した。


「何、くよくよしてんだ。お前は、悪者だよ。悪役は悪役らしく、開き直って堂々としてりゃいいんだ」


 そう一気にまくし立てて、彼女の肩をつかんでゆする。彼女が驚いたように俺を見上げる。その目を見据えながら俺はさらに続ける。


「お前の目的は、人に好かれることか? 違うだろ。貴族になって、偉くなって、みんなをひれ伏させてやるんだろ。そのために投石おぼえて、都まで来たんだろうが」


 ヴィオレーヌの俺を見つめる目に、光が戻ってきたような気がした。負けん気の強い、挑むような強い光。今にも俺に喧嘩を吹っかけてきそうだ。しかし彼女は何も答えない。ただ、俺を見つめたままゆっくりと立ち上がり、俺が手につかんでいたクッキーのひとつをひったくると、それを口に詰め込んだ。


「勝って、勝って、勝ちまくってやる。タケル。宰相に会いに行くわよ」


 そう言って、今度は籠のクッキーをわしづかみにした。


     〇


 第二回戦。ヴィオレーヌの態度は一回戦とは打って変わって堂々としていた。

 ブーイングの嵐の中、彼女は決して相手と斬り結ぶことはせず、躊躇のない投石攻撃であっけなく勝利を決めた。

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