27 首都フリュイー
首都フリュイーは、大変にぎやかな街だった。
見上げるような大きな建物たちが、所狭しと並んでいる。ずらりと並ぶ飾り窓。色とりどりの花の咲き乱れるベランダの下を、大勢の人が行きかう。整備された石畳の歩道は結構広いのに、まっすぐ歩くことができない。
馬車の行きかう大通りはごみごみしていて、人の声や馬のひづめの音や、そのほかよくわからないざわめきで騒々しい。並木をなす街路樹が陽光をさえぎってくれているが、間違いなくブルジヨン村よりも何度か暑い気がする。それはきっとこの街のエネルギーのせいだと俺は思う。数万数十万の人間の渦が巻き起こすエネルギーのせいだと、俺は思う。
建物にかぶさる赤い瓦屋根たちの向こうに、いくつもの高い尖塔が空を突き刺すように屹立している。それを見上げていると、俺でさえ柄にもなく気持ちが高ぶり、自分もまたそのエネルギーの一部になっていくのを感じた。
「さて、今日はどこにいこうか」
俺と一緒に街に出たヴィオレーヌの声も弾んでいる。今までになく興奮している。まるで修学旅行に来た学生のように。振り向いてその顔をうかがうと、彼女もまた赤い屋根屋根とその向こうの塔を見上げていた。目をキラキラさせて、大声で笑うような形に口を大きく開けて。
都に到着して二日目。今日は自由行動の日で、観光に行ってきてよいとモルガンからお許しを得た俺たちは、喜び勇んで宿所から街へと繰り出したのだった。ちなみにアニエスはお留守番。またさらわれたらいけないというので、外出許可は下りなかった。護衛をつけられた部屋で不貞腐れてる。可哀そうな奴。後でいろんな土産話をきかせて悔しがらせてやろう。一応ちゃんと本物のお土産も買っていってやろうか。
それにしても……。
俺はヴィオレーヌのいる側とは逆の方向に首を曲げて、うんざりと息を吐きだした。
「うん。都は観るところがたくさんありすぎて、数日では周りきれん。まあ、吾輩が案内してやるから安心したまえ。代表的な観光名所は宮殿美術館と、リーベル公園と、王立博物館と、ノートン教会と……」
気障な口髭をなでながら得意げに説明をはじめるその長身男をにらみつけて、俺はそっと愚痴をこぼす。それにしてもジセン。なんでお前が一行にいるんだよ。
アルベルトが一行の護衛につけてくれた配下の中に、ジセンはまぎれていたのだ。本人が言うには、あの後また山塞を訪れた奴はアルベルトと意気投合し、それ以降アルベルトの世話になっていたそうだ。そして今回都に行く一行の護衛のひとりにと、名乗りを上げたのだという。
「アルベルト殿は快く承知してくれたよ。なにしろ吾輩は君たちと親しいうえに、都のこともよく知っているからね。君たちのことをよろしく頼むと、懇願されたよ。わからないことがあったら何でも聞いてくれたまえ」
保護者気取りで偉そうにうそぶく。そんな彼に、もはや嫌味を言ってやる気もしなかった。
しかしヴィオレーヌは機嫌がいいからか、そんなジセンに頼もし気な視線をむける。
「じゃあ、案内よろしく頼むわね、ジセン。まずは美術館に行きたいわ」
「あ。俺は博物館の方がいいなあ……」
「かしこまりましたお嬢さん。それではご案内仕りましょう」
俺のつぶやきは無視して、ジセンはヴィオレーヌに向かって姿勢を正し、右手を胸に当てて慇懃にお辞儀をした。
〇
よく晴れた初夏の空の下、ヴィオレーヌと俺とジセンの三人は都の辻々を闊歩した。
宮殿のような美術館。勇壮な騎士の像のある広場。ドームのような屋根を持つ神殿。川べりの道……。
スキップでもし出しそうな、今にも躍りだしそうなヴィオレーヌを、俺とジセンが挟んで。慣れた面のジセンまでステップを踏み出しそうで、俺はそわそわした。やめてくれよ恥ずかしい。お上りさん丸出しじゃないか。
「落ち着けよヴィオレーヌ。みんな見てるぞ」
「嫌よ。だって、楽しいんだもん。都よ。都」
俺の忠告になど聞く耳を持たず、彼女はついに石畳の地面を片足でけって飛び上がる。俺の腕をとるものだから、俺までつられてスキップする羽目になった。抗議の意思を込めてヴィオレーヌをにらんでやるが、彼女は意に介さない。街路樹を、窓々を、赤い屋根を、雲を空を見上げて、笑っている。降り注ぐ初夏の陽光が、その白い顔をさらに白く、透明に輝かせる。
「次は、リーベル公園に行きましょう」
「残念だがお嬢さん。そこまで行っている時間はないな。そろそろ帰らないと」
「わかったわ。じゃあ、アニエスにお土産買っていきましょう。タケル」
そしてヴィオレーヌは振り返り、さっき通ってきた商店街の方を指さした。
「さっきのスイーツ店で売ってたシュークリームをいくつか買ってきて。私たちは先に宿舎に行ってるからね」
おいおい。つかいっぱしりかよ。愚痴をつぶやきながら俺はそれでも弾んだ足取りで商店街へと駆け出す。久しぶりの都会で俺もちょっとテンションが上がっているようだ。
そう、都会を巡り歩いて舞い上がっていたらしい。俺は冷静な判断力をかいていたようだ。そしておそらくヴィオレーヌも。
シュークリームを買って二人のいない路地に戻った時に、うかつな俺はようやく思い出したんだ。俺がここの位置も宿舎までの帰り道もわからないことを。
〇
初めての街で、俺は仲間からはぐれてしまった。
人の流れの衰えぬ道端にたたずんで、俺は茫然と自分の影を眺めていた。もうかなり日も傾いてきたようだ。このまま待っているべきだろうか。宿舎の場所がわからぬ以上、下手に動いても迷うばかりだ。すれ違いになる可能性もある。しかし、誰も迎えに来なかったら? このままここに夜になっても放置されていたら、俺はどうなってしまうのだろう?
本来ならば俺はそこで待っているべきだったのだろう。ヴィオレーヌを信じて。しかし不安は俺をそこにとどめておく気持ちにはさせなかった。残念ながら俺にはそんな度胸も冷静さもない。俺は本当に小心なんだ。
とりあえず、来た道を戻ろうとして足を踏み出しかける。そのとき、俺は自分が持っている白い箱に気がついた。
そうだ……。
俺は立ち止まってシュークリームの箱を開けた。
ひょっとして俺はこの街で野垂れ死ぬかもしれない。この世の名残りにこのシュークリームを食ってやろう。
そう思いながら、手のひら大のベージュ色の泡のようなお菓子を一つ取り出し、ひとかじりした。
生クリームの甘みが口の中に広がる。うまい。
俺が思わず舌鼓を打った、その時だった。
「わあ。美味しそうなシュークリーム」
それこそクリームのようなふんわりとした甘い声が背後からした。
振り返った俺が声を出せなかったのは、口の中にシュークリームが詰まっていたからだけではない。
それがあまりに偶然で、都合がよすぎで、唐突だと思ったから。俺は、彼女との出会いはもっと劇的で必然的なものだと思っていた。もっとちゃんと整えられた舞台で出会うもんだと思っていたんだ。
それなのに、こんなところで不意打ちみたいに出会うなんて。
彼女と……クラリスと!
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