26 都へ

 マクシミリアンは宮廷で侍従長という地位にある。王の側近である。


 侍従長マクシミリアン。俺はその名を知っていた。確か、クラリスの後ろ盾になって、なにかと助けてくれる大貴族だ。ゲームの中では心強い味方なのだが、どうも、この広間の空気を見るに、あまり快い人物ではないようだ。


 モルガンは苦虫を噛み潰したような顔のままうめき声をあげている。

 アルベルトは眉間にしわを寄せ、怒ったように眉を逆立てて説明をつづけた。


「あいつは、かつて俺が告発しようとした上官の肩をもって、俺を追放した。その後俺がこの地方に逃れたことを知って、ケントを俺の山塞にもぐりこませたらしい。俺とモルガンが手を組まないように。俺たちの仲を裂こうとして。そしてアニエス嬢をさらわせた。マクシミリアンめ。俺の告発で奴の勢力がそがれるのを恐れているんだ。だからモルガンに協力させまいとして……。卑怯な奴め」


 彼はそう言って、握りこぶしをふるわせた。

 

 いまいちこの世界の現在の政治情勢が呑み込めていない俺は、そっとヴィオレーヌにたずねてみる。


「おい。マクシミリアンって、悪い奴なのか」

「そんなこと、私がわかるわけないでしょ」

「わかるわけないってことあるか。お前はヴィオレーヌだぞ」

「言ってる意味がわからないわ。わからないことぐらいあるわよ。侍従長って何それおいしいの?って感じよ」


 宮廷を牛耳ることになる人間のセリフとは思えない。たしかにまだ一介の田舎娘なんだからしょうがないのだけど。でも、なんだか調子は狂うな。


 前列で肩をつつきあっていがみ合っている俺たちに気づいたらしい。アルベルトはひとつ咳払いをして、手短に説明してくれた。


「今、宮廷は二つの勢力に分かれて権力闘争を繰り広げている。宰相派と王党派だ。侍従長は王党派の中心人物で、俺とモルガン卿は宰相派。俺はかつて侍従長の側近の将軍の不正を告発しようとして追放されたんだ」


 どうやら、マクシミリアンはアルベルトとモルガンの敵らしい。

 俺は頭の中で彼らの勢力図を確認する。

 アルベルトとモルガンは宰相派。アルベルトとモルガンは親しく、ミシェルさんのポンデュピエリー家とも親しい間柄。もちろんヴィオレーヌもこちらの派に属するのだろう。そして、その対抗勢力として侍従長マクシミリアンがおり、彼が後ろ盾となるはずのクラリスがいる。


「それで、どうしましょう」


 おずおずと発言したのはルミエールさんだ。


「アルベルト殿もモルガン様もマクシミリアンに警戒されている。このまま予定どおりに上京するのは危険かと思われますが……」


 モルガンは獣のようにうめいている。

 広間の人々は息をつめてそんな彼の様子をうかがっている。

 やがて、うめくのをやめたモルガンが、重々しく宣言した。


「わしは、予定通りに上京しようと思う。こんな脅しに屈してたまるか。わしが警戒されているならむしろ好都合だ。マクシミリアンの目をわしが引いておいて、別の者を宰相と接触させる」


 そして、彼は厳かにヴィオレーヌを見つめた。


「ヴィオレーヌ。頼めるか」


 一同の視線が、ヴィオレーヌに注がれる。ざわめきにのった、好奇と驚きの視線。そんな視線に一斉にさらされて、しかし彼女は動じることもない。相変わらずの病的な白い頬に微笑を浮かべて、ただ、当然といった様子で、静かにモルガンを見返している。


「君はアニエスの家庭教師としてよくやってくれているし、先日の働きも見事だった。度胸があって勇敢だ。それにまだ敵に認識されていない。それに……」


 言いかけて、モルガンは口を閉じる。手に持っていた饅頭を落としかけて、それを慌てて口に入れるみたいに。

 しかし、その落としかけた饅頭をすばやく奪い取るように、ヴィオレーヌが言葉を継いだ。


「それに、私は、宰相の姪」


 広間がシンと静まり返る。

 沈黙の中、ヴィオレーヌは一歩だけ前にすすみ出る。

 長い窓から差し込む午後の光が、スポットライトのようにヴィオレーヌの身体を包む。その黒髪に、キリリとした眉に、杏仁型の大きな目を囲む長いまつ毛に、金色の光の塵が散る。モルガンを見つめるエメラルドグリーンの瞳がきらきらと輝いている。


「わかりました。引き受けましょう。望むところです」


 そしてドレスのスカートをつまみ上げ、腰を落とすようにしてお辞儀をした。

 あ。それ、この前アニエスに教わったやつだろ。そう思って俺は思わずニヤリとしてしまう。しかしその場で頬をゆるませているのは俺だけだった。なぜかみんな、アルベルトやモルガンまで緊張した、真剣な顔でうなずいている。

 ちょっと気まずいな。

 そう思っていると、ヴィオレーヌがそっと横を向いて俺の様子をうかがい、不器用なウインクをしてくれた。


     〇


 一週間後に迫った上京の編成はほどなく発表された。


 まずは城主のモルガン。そして娘のアニエスと家庭教師のヴィオレーヌ。ヴィオレーヌの召使の俺。あとは衣装係のメイドと衛兵数名だ。ルミエールさんは留守番。


 アルベルトはお尋ね者でしかも目立つので山塞にとどまることになった。そのかわりに配下の人を何人かつけてくれるらしい。

 これはありがたいことだと、俺でなくても思うだろう。どうもモルガンの衛兵はあまり頼りにならない。それに比べるとアルベルトの部下は精鋭ぞろいだ。その技量は丘の公園や林で嫌というほど見て知っている。


 それだけでは足りないと思ったのだろうか。アルベルトはもうひとつ心遣いをしてくれた。

 ヴィオレーヌに剣の稽古をつけてくれたのだ。

 ヴィオレーヌがマクシミリアンに怪しまれることなく宰相に近づく方法として、モルガンとアルベルトが考えたことは、図らずもヴィオレーヌの計画と一致していた。

 武道大会に出ること。

 ただ、そこには一つ問題があった。大会で三位以内に入らないと、宰相から声をかけてもらうことができないのだ。

 どうにかして勝ち上がらなければならない。そのためには、投石だけでは心もとなかった。短い期間とはいえ、赤鬼のアルベルトに武術を伝授してもらえるのはありがたいことだった。


 そして六月中旬。ついに都へと旅立つ日がやってきた。


     〇


 その日もよく晴れて暖かい日だった。いつもは静かな村はずれは、見送りに集まった住人たちでにぎやかだ。その中にはミシェルさんの姿もあった。


 自らの過去について語ってくれたあの日以来、ミシェルさんはヴィオレーヌとあまり会話を交わしていない。今日も人々の後ろから、静かに俺たちを見守っている。

 そんな彼が人ごみの中から出てきたのは、いよいよ一行が出立しようというときだった。

 ミシェルさんはしばらく無言でヴィオレーヌを見つめ、そして一言だけ言った。


「気をつけて、行ってきなさい」


 それは実にありふれた挨拶だったが、緊張していたヴィオレーヌの頬がふっとほころんだのがわかった。

 ミシェルさんはつづいて俺の顔も見つめる。何も言わないが、何を言いたいのか俺にはすぐにわかった。俺が力強くうなずいてみせると、ようやくミシェルさんもほっと笑みを見せてくれた。


 ミシェルさんの笑みを合図としたかのように、一行は出発した。


 俺はこの世界に来て初めてブルジヨン村の外に出る。

 この世界に来た最初の日に俺の行く手を阻んだ荒野から、俺は何度も振り返った。振り返っては名残を惜しむように見つめた。木造りの屋根を、石造りの煙突を、城の塔の三角屋根を。何カ月も過ごした村の風景を。

 振り返るたびに村の建物は小さくなり、そして何度目かにはついにその姿は岩の陰に隠れて見えなくなった。

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