21 修行開始

「さあ。今日から修業を始めるわよ」


 アニエスの家庭教師として初出勤のこの日、城の裏庭でヴィオレーヌはさっそくそう宣言した。

 その場に集められたのは俺とアニエス。

 俺は店の手伝いがあるからとひとしきり嫌がってみせたのだが、簡単に論破されて城に連れてこられてしまった。ミシェルさんからも娘を見守ってほしいと言われたので、もう、しょうがない。


 それにしてもさっそくあからさまに自分の都合優先とは。職務をこなすふりでもしないと、首になっちまうぞ。

 そう思いながら横を向いてアニエスの様子をうかがうと、彼女は不満そうな様子を見せるどころか、へつらうように追従笑いを浮かべている。


「えへへ~。お姉さまぁ。わたしは、なにをすればいいんですかぁ?」


 こいつもいつの間にかヴィオレーヌの下僕になってしまったらしい。まあ、確かにその方が賢明かもしれない。家庭教師になられてしまったからには、かなりの時間、彼女はヴィオレーヌと一緒にいなければならない。城の中では逃げ場もない。逃げられないなら、逆らうよりもこびへつらう方が得と察知したようだ。こいつはこいつなりに自己防衛本能を働かせたってことか。


 ヴィオレーヌはそんなアニエスに、本当の教師みたいな謹厳な表情をむけて答えた。


「あんたには、化粧の仕方と淑女の立ち居振る舞いを教えてもらう。でも、今は勉強していて。この課題をこなしなさい。わからないところがあったらきいて。一週間ごとにテストをするから、そのつもりで」


 そして文字がこまごまと書き連ねられた紙の束を渡す。それをみて俺は、昨日の夜遅くまでヴィオレーヌが何やらしねこねと書き込んでいたのを思い出した。何をつくっているのかと思ったら、アニエスの勉強のためのテキストだったのか。意外と教師の方もやる気があるんじゃないか。


「はーい。ヴィオレーヌ先生。俺は何をしたらいいんですかぁ」


 敬意を込めて呼んでやったつもりなのに、今にも泣きだしそうなアニエスから俺に視線を移したヴィオレーヌは、不快そうに眉をひそめた。


「あなたには、武術を教えてもらう」

「えっと。俺は剣も槍も使えないんですが」

「前も言ったでしょ。石の投げ方を教えて」

「投石なんか、大会で使っていいのか」


 ヴィオレーヌは得意げな顔でうなずく。


「ちゃんと参加要項は確認済みよ。『飛び道具可。ただし、何を使うかはあらかじめ審判に申告し、相手を傷つけない工夫がほどこされていること』と書いてあるわ」

「あ、あの……」


 俺が口をはさむ前に、隣でアニエスが声を震わせた。

「お姉さまぁ。これ、ちょっと難しいんですが……」


 アニエスの訴えを無視してヴィオレーヌは手をたたく。


「さあ、授業開始。アニエスはさっさとあの木陰に行って。タケル。さあ、投石をはやく私に教えなさい」


 俺は顎をさすりながら考え込む。教え方なんか、分からない。何となく投げ続けてできるようになったんだから。何となくとはいえ、今の腕前になるまで、ゆうに十年以上はかかっている。それなのに、きけば六月にあるというその祝賀行事まで、あと二カ月くらいしかないそうだ。

 この二カ月で投石をマスターするのか。どうやったらいいんだ。お姉さま。ちょっと難しいんですが。


     〇


 考えに考えて、俺はある方法を思いついた。

 思いついたというか、思い出したというか。以前読んだことのある物語のまねをしようと思い立ったのだ。


 それは、弓の名人を目指したある青年の話だった。

 青年はある弓の名手に師事した。その師匠が青年に課したことはふたつだけ。そのふたつの課題をこなしたあと、弓をとって射てみると、青年は百発百中の腕前になっていて・・・。という話だった。


 その課題のうちのひとつは……。


 俺はヴィオレーヌに速足で歩み寄ってゆくと、彼女の目の前でパチンと手を鳴らせた。

 当然彼女は目を閉じて、顔を背けながら一歩後ずさる。


「何するのよ!」


 ヴィオレーヌは眉を逆立て、こぶしを振り上げて声をあげる。俺は猫のような素早さで距離を取ってから、慣れないウインクをしてみせる。もちろん嫌がらせをしたのではない。これがその課題の一つだ。


「課題その一。目を閉じない修行だ。俺はお前の目の前で手を鳴らす。お前はけして目を閉じるなよ」


 ヴィオレーヌは腕を組み、思案するように首をかしげる。

「それがどうして、石を投げる訓練になるの?」

 そんなこと知るか。物語にあったんだよ。……とは言えないので、俺は適当に考えついた理屈を教えてやる。

「相手をよく見る。目を背けないというのは、投石に限らず、敵と戦うには大事な基本スキルだ。それを鍛えておくことは今後あらゆる武術に役立つ」

「そう。わかったわ」

 意外と素直にうなずいたヴィオレーヌは、後ろ手を組んで俺を見つめた。

「じゃあ、はじめましょ。どこからでも来なさい」


 よし。じゃあ、遠慮なく。

 俺は揉み手をしながら彼女に近づいてゆく。さっきはビビったくせに、自信満々に言いやがって。よーし。どさくさに紛れて、頬をひっぱたいてやる。日頃のお礼だ。ちょっとくらいあたっても、しょうがないよな。ククク……。

 さっきみたいに無様に飛びのくヴィオレーヌの姿を想像して、思わず頬が緩む。


「ちょっと待って」


 何かを察知したのか、ヴィオレーヌが俺を呼び止める。細められたその瞳に、刃のような光がともった。


「変なこと考えないほうが身のためよ。もし、私の顔に当てたりしたら、承知しないから」


 気のせいか、胸に鈍痛がはしる。何も突き刺さっていないことを確かめるために胸をさすりながら、俺は乾いた笑い声をあげた。


「ははは。お姉サマ。ご冗談を」


 日頃のお礼は、別の機会にするとしよう。

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