20 ミシェルさんの訴え

 ヴィオレーヌはモルガンの前に進みでたかと思うと、叫ぶように声をあげた。


「山賊の棟梁は赤鬼のアルベルトでした。彼は私と話し合って、この村を襲うことはないと約束してくれた」


 その声に反応してモルガンは娘に擦り付けていた顔をあげる。

 ぱちくりと不思議そうに瞬きをする城主に、握っていた手を開いて差し出し、ヴィオレーヌは訴えるように言葉を続けた。


「私は山賊と話をし、彼らを慰撫しました。村を守り、アニエス嬢を無事に連れ帰った。それは、たった金貨数枚の価値しかないことでしょうか」


 にぎやかだった門前が、しんと静まり返った。誰もが息をのみ、探るようにヴィオレーヌとモルガンを交互に見やっている。


 モルガンはじっとヴィオレーヌを見つめたまま、なかなか言葉を発しようとしない。

 緊張がその場を支配し、つばを飲み込む音さえ聞こえるような気がした。


 まずいな、と俺は思う。ここでモルガンが逆切れしてヴィオレーヌを追いだしたりでもしたら、すべて水の泡だ。ここは何か俺も言ったほうがいいのか。ヴィオレーヌをフォローしこの場を収めるような何か。ああしかし、何もいいセリフが浮かばない。


 その時、モルガンの胸に顔をうずめていたアニエスがもぞもぞと動き出した。


「お……。お願い、お父様」


 言いかけて、彼女はいったん声を詰まらせる。横目でヴィオレーヌの表情をうかがい、またヒッと顔を背ける。しかしモルガンの胸を震える手でつかんで、なんとか次の言葉をつづけた。


「わ……、私、先生いなくなっちゃったから、ほしいの。新しい先生。あの人……。ううっ。あの人がいい。ヴィオレーヌを私の……、私の家庭教師に、して! お願いぃぃ~」


 鼻をずるずるとすすり、目から涙をぽろぽろこぼしながら、彼女は振り絞るようにそう言ってくれた。

 どうやら林での彼女の脅しが功を奏したようだ。黙っていることもできただろうに、ヴィオレーヌに対する恐怖が約束(というか、一方的な言いつけ)を守らせたということか。

 さすがヴィオレーヌと感心する反面、俺はやっぱりアニエスのことがちょっと不憫になる。完全にトラウマになってるな。ヴィオレーヌよ。家庭教師になったら、せいぜい優しくしてやるんだぞ。


     〇


 城で行われた簡単な祝いの宴の後、館から出ると、すっかり空は暮れ色に染まっていた。

 蒼い夕やみの漂い始めた街路を歩きながら、俺は空を見上げる。茜色と淡い紫と群青が次第に移り変わりながら、どこまでも深く、宇宙にまで吸い込まれそうな空。ここに来てからもう何度も見あげた、空。それにしてもこの世界の空はなんて澄んでいてきれいなんだろう。大きく息を吸い込むと、湿り気を含んだ空気と一緒に、花の甘い香りが鼻孔に入り込んできた。


「お前は、アルベルトにあってきたんだな」


 俺と同じように空を見上げていたミシェルさんが、ポツリとヴィオレーヌに話しかけた。それは夕やみの中に溶けてしまいそうな小さな声だったが、ヴィオレーヌはちゃんとうなずいて答える。


「アルベルトさんは、お父さんのことを、知っていた」

「彼から、話をきいたんだね」

「絵も、見せてもらった。この髪留めの紋章の意味も」


 ミシェルさんはひとつため息をついて立ち止まった。そこは噴水広場だった。俺たち三人のほかにはもう誰もいない。広場を囲む家々の煙突からは、煙が吐き出されている。もう、夕食の時間なのだ。


「あそこで少し、休もうか」


 橙色の光を散らす噴水の傍のベンチを目で示し、ミシェルさんはまた歩き出した。


   * * *


 アルベルトはかつて我がポンデュピエリー家に仕えていた衛士で、父の推薦で近衛隊の将校になった人だ。

 ヴィオレーヌよ。お前がアルベルトから聞いた通り、お父さんは昔、貴族だった。

 父は宰相で、お父さんはその後継ぎとして厳しく教育された。


 でも、向いていなかったんだ。

 勉強がじゃない。政治がだよ。


 華やかなのは表向きだけ。誰もが相手を陥れようと機会をうかがっている。そんな世界だ。腹の探り合い。足の引っ張り合い。陰口。裏切り。そんなのばかりだ。

 何年か宮廷生活を送るうち、お父さんは、そんな世界にすっかり嫌気がさしてしまった。

 別の世界で生きたい。もっと素朴な、貧しくても屈託のない生活を送ることができたら、どんなにいいだろう。お父さんとジョセフィーヌとヴィオレーヌ。三人でつつましくも平穏な日々を送ることができたらどんなにか。


 お前のお母さん、ジョセフィーヌも私に賛同してくれた。

 そしてお父さんは、地位を捨てたんだ。

 父と喧嘩し、弟のラファエルにすべてを託して、お父さんはあの家を出た。ジョセフィーヌと、まだ赤ん坊だったヴィオレーヌと一緒に。

 アルベルトの友人であったモルガン卿のこの村で道具屋を開かせてもらい、ジョセフィーヌとともに新しい生活をはじめた。


 ここでの日々は幸せだった。ジョセフィーヌも心から楽しそうだった。若くして亡くしてしまったが、最後の時まで、自分は幸福だったと言ってくれた。

 しかし、ヴィオレーヌよ。お前はいつも、どこか不満そうだったね。心からの喜びをみせることはなかった。貴族の生活も知らないのに。その記憶はないはずなのに。まるで、自分がいるところはここではないと知っているかのように。

 でも、言わせてほしい。貴族は、つらいぞ。宮廷は地獄だ。お父さんはな……


   * * *


 ミシェルさんはベンチに座ったままうなだれた。

 噴水の水のほとばしる音が、濃くなった夕闇の隙間をひたしている。その音に深いため息を乗せて、彼は最後の力を振り絞るように言った。


「お父さんは、お前に、あんな世界に行ってほしくないんだよ」


 その言葉に応じるように、俺の隣でヴィオレーヌが動く気配がした。振りあおぐと、立ち上がった彼女がミシェルさんを見降ろしている。しばらくそうしてから、しかし彼女は何も言葉をかけることなく、スタスタとひとりで道具屋の方に歩いて行ってしまった。


「おい。待てよ、ヴィオレーヌ」


 俺が声をかけると、ヴィオレーヌは歩みを止めて振り返った。


「ねえタケル。私に、石の投げ方を教えてよ」


 薄暗くてその表情はよく見えない。しかし彼女の発した声は、意外と優し気で柔らかくて、どこか寂しそうな響きを持っていた。夕闇の底に流れ続ける、噴水の水の音のように。

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