19 計画
「さあ、これから忙しくなるわよ。都に行って、叔父様に会わなくては。まずはそのための作戦を考えましょう」
山から下りて、村の南西の林の中で休憩をとっているとき、ヴィオレーヌは急にそんな宣言をした。
ここまで付き添いをしてくれた元近衛兵の皆さんは帰ってしまった。昼ご飯を囲んでいるのは俺とヴィオレーヌとジセン。あと、アニエスが輪の外で不貞腐れている。
「あーあ。私疲れたー。もう、あるけなーい。馬車はないの? 馬車がないなら動かないから」
ブロンドの巻き毛を指でいじくりながら、そばかすのついた頬を膨らませている。この少女は山塞を出てからずっとこの調子だ。
彼女の愚痴とわがままを無視して、俺はヴィオレーヌにたずねる。
「作戦と言ったって、簡単なことだろ。おじさんの屋敷に行って、その髪留めをみせる。この紋所が目に入らぬかーってな。そうすれば、その桔梗の紋を見て、みんなはへへーっとひれ伏すんだろ」
「なに。それ?」
ヴィオレーヌの蔑むような視線が俺の胸をえぐる。そうだった。ここでは水戸黄門は通じないんだ。わかっているけど、なんか寂しいな。
俺のささやかな哀しみには気づく由もなく、ヴィオレーヌは説明を続ける。
「この髪留めをみせただけじゃ、たぶん叔父様に会わせてはもらえないでしょうね。実際ジセンさんは勘違いだと言ったし、アルベルトさんは私の両親を知っていたから信じてくれたんだと思う。アポなしで突然訪ねたのでは、きっと門前払いをくらうわ」
「じゃあ。どうするんだよ」
「六月に建国記念日があって、国を挙げての祝賀行事がある。その時期、各地方領主たちも都に集まるの。家族を連れてね」
そして彼女は横目でアニエスを見た。小娘は捕まっていた時のうっぷんがよほどたまっているのか、まだ元気に愚痴をこぼし続けている。おなか減ったー。こんな固いパン食べられない。足もだるいよー。誰か揉んでくれないの?
「私はアニエスの家庭教師になって、彼らに同行して都に行く」
「都に行ったところで、叔父さんに会えないんだろ」
「そう。普段ならね。だけど、その時期は違う。いろんな行事があって、その中には宰相が出席するものもあるの。そのイベントに参加して、彼の面前に出る機会を得れば。そしてその時に、このお母さんの形見をみせて私はあなたの姪ですって名乗れば……」
「でも、大丈夫かなあ」
珍しく深刻そうな表情でジセンが口をはさんだ。
「前にも君たちに語ったが、現宰相は、陰謀好きのお方だ。政敵となる者を次々と蹴落としている、恐ろしい人とのうわさだよ。君の父上だって、どうして貴族をやめたかわからないのに。ひょっとしたら彼に追い落とされた可能性だってある。そうだとしたら、名乗り出るのはむしろ危険じゃないかね」
「彼が私から何を奪うというの? 私は何も持っていない。これ以上落ちようがない。私には、彼が恐れる要素が何もない」
「血だよ。肉親は、時に強力なライバルになりうる」
「息子ならそうみることもあるのかもしれないけれど、私は娘よ。もちろん、彼を脅かす気持ちなんて、さらさらない。その気持ちはちゃんと伝えるつもりよ。叔父様に手紙を書いて渡すの。あなたを敬愛していますっていう内容の、親愛の気持ちを込めた手紙を。それに、大丈夫っていう確信があるの。何故かはうまく言えないけど、なんだか感じるのよ。まだあったこともない叔父だけど、きっと私は彼から気に入られる、って」
「しかし……」
なおも何か言おうとするジセンを俺は手でなだめる。
「いいじゃないか。やってみれば。いくら怖い人物だとしても、挨拶したくらいでこんな少女を殺しはしないだろうよ。気に入らなければ放り出されるだけだ。それより、そのイベントとやらにめぼしはついているのか」
「もちろん。宰相主催で行われる、武道大会」
「武道? 舞踏会じゃなくて? 大丈夫かよ」
「舞踏会には宰相は出てこない。もっとも、武道大会だって、ある程度勝たないと宰相には会えないらしいのだけど。でも大丈夫。修行するから」
「そうか。まあ、頑張れ」
「うん。まずは、アニエスの家庭教師になって……」
その時、小鳥のさえずりのように独り言の文句をつぶやき続けていたアニエスが、突然こちらに顔を向けてかみついてきた。
「あんたなんか、ごめんよ。家庭教師なんかいらないんだから!」
ヴィオレーヌは口を閉じてアニエスに顔を向けた。その口元と目元からサッと表情が消える。突き刺すように相手をにらみつけながら、雪のような顔をアニエスに寄せたかと思うと、彼女のフリルのついた胸ぐらを乱暴につかんだ。
「うるっさい、このガキ! つべこべ言わずにあんたは黙って私を家庭教師にすればいいの。もし断るんなら、あんたをまたあの怖いおじさんのいる穴倉に引きずっていってやるんだから!」
ヒッ、とアニエスの口からひきつった悲鳴が漏れた。彼女は金縛りにあったみたいにびっくりした顔で固まり、声を発することもやめ、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
〇
ジセンはさすがに後ろめたいのか途中で別れ、嘘のようにおとなしくなったアニエスとヴィオレーヌと俺だけが村へと戻った。
昼の陽光の注ぐ村の往来は、平和で柔らかい空気に包まれていた。広場の噴水や、家々の窓に反射した光がまぶしい。木造りの屋根。煙突。石畳の道……。なじみの風景が、故郷に帰ってきたような錯覚を覚えさせる。
城では、モルガンはじめルミエール執事、家政婦長、メイドたちや衛士たちまで門の外に出て待っていてくれた。その中にはミシェルさんの姿もある。
「アニエス~。心配したよ。無事でよかった!」
モルガンはアニエスに駆け寄ると娘を抱きしめ、その髭の濃い頬をジョリジョリと彼女に擦り付けた。
アニエスはひきつった顔に、懸命に笑みを張り付けている。チラリとこちらを覗き見て、またヒッと悲鳴を上げそうな表情を浮かべ、モルガンの胸に顔をうずめた。
横を向いてみると、ヴィオレーヌが冷笑を浮かべてアニエスに刺すような視線を送っている。はやく私を推薦しなさいよ。でないと、どうなるかわかってるよね。そう、脅すように。
俺はちょっとアニエスが不憫になる。やめてやれよ。完全に怯えているじゃないか。
「チッ。なかなか言わないわね」
ヴィオレーヌがしびれを切らしかけたとき、ルミエール執事がミシェルさんを伴ってこちらに歩み寄ってきた。
「ヴィオレーヌ。無事でよかった。さあ、家に帰ろう」
そう言ってヴィオレーヌを抱きしめようとするミシェルさんをやんわりと手で制して、ルミエール執事は彼女の前に立った。
「よくやってくれたね、二人とも。お手柄だよ。ご褒美をあげなくては」
執事を見上げるヴィオレーヌの目に光がともる。では、私をアニエスの家庭教師に。今にもそう言いだしそうに、彼女の口が半開きになる。
しかし、先に言葉を発したのはルミエール執事だった。
「ヴィオレーヌ。手を出して」
首をかしげてヴィオレーヌは手を差し出した。
ルミエール執事は差し出されたヴィオレーヌの手を取って、そこに数枚の金貨をのせる。その金貨を一瞥して問うような視線を向けた少女に、彼はいつもの優しい表情を返した。
「これは少ないがとっておきたまえ」
そう言って、ポンとヴィオレーヌの肩をたたいて踵を返す。優しいが、有無を言わせぬ態度だった。
え? それだけ?
俺はそう思いながら、モルガンの傍らに戻っていくルミエール執事の背を、何度も瞬きしながら見つめていた。
それだけで済ますつもりかよ。そりゃあ、何もかも自分たちの思うとおりにいくとは思わなかったけど。だけど、ヴィオレーヌは誰も行きたがらない危険な山賊の根城に乗り込んで、アニエスを無事に連れ帰ったんだぞ。その見返りが、たった金貨数枚? いくらなんでも馬鹿にしてはいないか。
振り向くと、ヴィオレーヌはうなだれて、金貨を乗せた手のひらにしょぼんと視線を落としていた。その肩が心なしか震えているような気がする。そんな彼女を取り残し、城の人たちはアニエスを囲んで喜びあっていた。
「さあ。帰ろう」
ひとりぽつんとうなだれているヴィオレーヌに、ミシェルさんが寄り添う。労わるような表情で、優しく、娘の肩を抱こうとする。
その時だった。
「ちょっと、待ってください」
ヴィオレーヌが顔をあげ、手を握り締めて駆け出した。
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