18 ヴィオレーヌの出自

 時間ももう遅くなっていたので、その日は帰ることができず、俺たちは山塞に一晩泊めてもらうことになった。もちろんアニエスはちゃんと無事で、翌日俺たちと一緒に山を下りることは約束してもらえた。あと、首飾りとお金も返してくれるらしい。ありがたいけれど、あれをまた担がねばならないのか……。


 とりあえず任務は果たせそうだ。しかし、その夜俺は寝ることができなかった。


 ミシェルさんは元貴族だった。しかも宰相を輩出する家柄。そしてヴィオレーヌは前宰相の孫娘ということになる。アルベルトさんの話によると、今の宰相、ラファエルはミシェルさんの弟だという。つまりヴィオレーヌの叔父だ。どういういきさつでミシェルさんがあの村の道具屋になったのかは教えてもらえなかったが、ヴィオレーヌが貴族の血筋であることは確かだ。


 これからどうするんだ、ヴィオレーヌよ。


 わかっている。ヴィオレーヌがそれを知ってじっとしているわけがない。きっと次の行動をおこそうとするだろう。それが何かはわからないが、俺はそれを助けなければない。しかし気になることがある。


 どうして、ミシェルさんはそれを隠していたのだろう。ミシェルさんとヴィオレーヌのお母さんは、なぜ何不自由ないはずの貴族の地位を放棄したのだろう。自ら捨てたのか、それとも奪われたのか。そういえば、ジセンの奴を捕まえた夜、貴族の話をしようとしたヴィオレーヌに、彼は珍しく声を荒げた。あの剣幕。彼は娘を貴族にしたくないのではないか。それほど、その地位には、ポンデュピエリーの血筋には恐れるべき何かが潜んでいるのではないか。


 何を今さら。


 俺は湧き上がる想念を振り払おうと寝返りを打つ。

 彼女の運命など知れているではないか。親が子を心配するのは当然だ。それとはかかわりなく、俺がやることは決まっている。でも、ふと思ってしまう。もし、貴族にならないという選択肢があるなら。それが違う未来をつくるというのなら。それはどんなものなのだろう。


 俺は大きくため息をつきながら起き上がった。頭をかきつつ部屋を出る。とりあえず外の空気でも吸って頭を冷やそう。


 暗い通路にはところどころにランプがぶら下がっていて、その周囲にだけ、思い出したように岩肌が浮かび上がっている。その一つ一つを目指しながら、その間を埋める闇の中を俺は歩いていく。


 ダメだ。俺としたことが、何を考えているんだ。俺の立場は明瞭で、目的もはっきりしている。ここはゲームの世界で、ヴィオレーヌはその悪役で、俺は彼女が嫌いだ。俺はこことは違う世界の住人で、元の世界に戻らなくてはならなくて、そのためにヴィオレーヌを出世させなければならない。彼女がどうなるかとか、どう思うかとかなんて、考えなくていいんだ。


「悩んでいるのか。お前は何も考えなくていい。ただ、あの娘がふさわしい地位につくまで寄り添っていればいいんだ」


 聞き覚えのある声が闇の底から突然湧き出して、俺は思わず立ち止まった。腹の底に響く、震えだしそうな声。デスティネ。運命の声だ。


「あんた。いたのか」

「我はいつもお前たちの傍にいるよ。順調のようじゃないか」

「そおみたいだな。俺は何もしていないがな」

「謙遜するな。お前はよくやっている。これから忙しくなるぞ。彼女が道を踏み外さぬよう、励めよ」

「思ったんだが……」


 俺は、ふと疑問に思っていたことを口にした。


「あんたが運命をつかさどる者だというなら、あんたが思うようにすべてを動かせばいいじゃないか。何もわざわざ無力な俺をこき使うこともない」


 闇の中から、笑い声が返ってくる。背筋に悪寒を覚えるような、嫌な笑いだ。


「我は、何もせんよ。ただ、見守っているしかできない。故あって、この世界の人間には我の姿は見えぬし、言葉も通じぬのだ。だからお前のような、この世界とは無縁な者を使って導いているのだよ」

「だったら、もし……」


 俺はいったん口を閉じた。またある疑問が浮かび、しかしそれを訊くべきか、悩んだから。それは考えるだに恐ろしいことだった。しかし、怖いもの見たさの好奇心が、危機感を抑えて俺の口を動かした。


「もし、あんたの意思に逆らったら?」


 俺は言いながら、闇に目を凝らす。しかし奴の姿は見えない。地面から適当な石ころをつかみとって、声のするあたりの闇にほおり投げてみる。手ごたえはなく、ただ石ころが岩に当たる音だけがむなしく響いた。しばらく動かずにじっと耳を澄ませていたが、デスティネの奴はもう俺に話しかけてくることはなかった。


    〇


 外に出ると、もう空は白んでいて、東の方角に浮かぶ細い雲の底が紅い光を散らしていた。


 洞窟の入り口前にある櫓の下に、その雲を見上げて突っ立っている人影があった。ヴィオレーヌだ。


「なんだ。お前も眠れないのか」


 傍によって話しかけてやると、彼女は空を見上げたまま答えた。


「眠れるわけがないじゃない」


 その声が、今までにないほどの喜びを含んでいることに、俺はすぐに気がつく。ずっとほしかったおもちゃをプレゼントされた子供のように、無邪気に、朗らかに、彼女は声を弾ませる。


「嘘なんじゃないかって、今でも信じられない。ずっと願ってたの。でも、やっぱり無理なんじゃないかってどこかであきらめていた。所詮ははかない夢だ、って。でも、夢じゃない。夢じゃなかった。もう、じっとなんかしていられない。ねえ」


 そしてようやく俺の方を向く。その両手を俺に差し出して、


「踊りましょ。私と」


 彼女の視線が俺のそれとまともにぶつかった。俺の鼓動が一気に高まる。

 ヴィオレーヌって、こんな表情をするんだ。

 氷が解けたような、花がほころんだような柔らかな笑顔。その笑顔に見つめられて、図らずも俺の頬が熱くなってしまう。差し出された手を握ろうとして、自分の指がふるえていることに気づく。


「なあに。緊張してるの」

「う、うるさい。ダンスなんか踊れないんだよ」

「大丈夫。私がリードしてあげるから」


 そして彼女はステップを踏み出す。俺もそれに合わせてぴょんぴょん跳ねる。ダンスなんか、小学生の時以来だ。でも、悪くない。ただ飛んだり跳ねたりするだけで、なんだか心も弾むみたいだ。


「下手くそねえ。でも、楽しいわ」


 そしてヴィオレーヌは声を出して笑った。彼女の花開くような笑みが目の前ではねている。今昇った朝日が木間より差し込んで、彼女のエメラルドグリーンの瞳を輝かせた。

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