14 危険な任務
山賊からのその矢文には、こう書かれていた。
『娘のアニエスは我々が捕らえた。返してほしくば、十万フルーレ用意しろ』
その文を読んだ領主モルガンは当然のごとく激怒した。
「あの山賊どもめ。許せん。かくなるうえは奴らのねぐらに攻め込んで、皆殺しにしてくれる」
黒い髭に囲まれた岩のような顔を真っ赤にして、文をくしゃくしゃと丸めた彼は、その小柄な体躯に似合わぬ大きな声で号令する。
「皆の者。出陣の支度をせい」
しかしそのドラ声は城の広間に虚しく響いて、窓から差し込む黄色い光に溶けて消える。広場にいる数人の人間の中で、彼の呼びかけに応える者はいない。執事のルミエール。家政婦長。ピクニックに同行した二人のメイドと兵士五人。みんなうつむいて黙っている。あと、ヴィオレーヌと俺は部屋の隅に立たされているが、発言できるような雰囲気でもない。
誰の責任かという議論は当然なされたが、それはすぐに落ち着いた。家庭教師のガーメルのせいだ。皆が口をそろえてそう言った。実質彼が一行の責任者のような立場であったし、彼に化けていたジセンの奴は騒ぎのどさくさに紛れて姿を消していたので、それが誰もが納得できる結論だった。
「だから、はじめから私を家庭教師にしていればよかったのよ」
暮れ色に染まった光の這う床の絨毯をにらみながら、ヴィオレーヌがポソリとつぶやく。
俺も異論はない。そもそもジセンがアニエスの首飾りを盗むために睡眠薬を盛らなければ、あるいはこんなことにはならずに済んだのだから。あの騒ぎの時、矢文に気を取られている隙に逃げられてしまったことは、痛恨の極みだ。そして、そんな奴をうっかりアニエスの家庭教師に据えてしまったモルガンが一番の責任者なわけだが、今はそれは言わないでおこう。それよりも大事なのはこれからどうするかということだ。
「どうした。なぜ誰も動こうとしない」
「恐れながら、山賊討伐に足るほどの兵力がありません。敵の数もわかりませんし、無理攻めをすれば、こちらの犠牲がはかりしれないだけでなく、アニエス様の命もあぶないかと」
発言したのは執事のルミエールさんである。俺の弁当をヴィオレーヌに届けてくれた長身の紳士だ。多分もう四十代くらいだろう。落ち着いていて物腰が柔らかくて、誠実さがにじみ出ている。紳士というのはこういう人のことを言うのだろう。ジセンの野郎は彼を見習うべきと思う。
「この前の戦闘では、勝ったではないか」
「あの時はこちらは守る側で必死でした。しかも敵は偵察程度で本気ではなかったように見受けられました。相手を侮ってはなりません」
ルミエールさんは腰をかがめて馬鹿丁寧にお辞儀をしながらモルガンに提案する。
「ここはおとなしく身代金を払うのがよろしいかと」
モルガンは苦虫をかみつぶしたような顔で黙り込んだ。彼も、兵を募って山賊討伐など難しいと分かっているのだろう。大事なのはアニエスの命。金で解決できるなら、安いものだ。
ところで、十万フルーレって、大金なのか? この世界の貨幣価値の分からない俺は、こそっとヴィオレーヌにたずねる。
「なあ。十万フルーレって、高いのか」
「そうね。軽く家一軒建つわ」
その時、モルガンが意を決したように顔をあげた。
「よし。金を払ってアニエスを返してもらおう。命には代えられん。誰か。アニエスを迎えに行ってはくれぬか」
広間にまた沈黙が降りる。アニエスを迎えに行く。それはつまり金をもって山賊の待ち伏せているところまで行くということだ。命の保証はない。心なし広間の人間たちの垂れた首がますます低くなったような気がする。
ただ、静まり返った広間の床を、光だけがゆっくりと這ってゆく。その音さえ聞こえるように思えたとき、俺の隣で衣擦れの音がした。
振り向くと、ヴィオレーヌが手をあげていた。か細い腕を精一杯伸ばし、モルガンをまっすぐに見据えて彼女は言った。
「私が、行くわ」
〇
林の木々のさざめきは、昨日と同じように優し気で軽やかで、その音に誘われて見上げれば、朝の光の瞬くこずえとこずえの隙間に、空の蒼さがのぞいていた。
指定された金の引き渡し場所は、昨日ピクニックに来た時に抜けた村の南西の林の中ほどだ。いつもより早起きしたヴィオレーヌは、ルミエールさんに村はずれまで付き添われ、そこで金を託された。俺が巻き添えを食らったのは言うまでもない。
「お金の受け渡し場所は、ここらへんのようだけど……」
ヴィオレーヌは、腰に手をあてて注意深く周囲を見渡す。木漏れ日のあたる木々の幹が静かに立ち並んでいる。しかし人の姿はない。
「誰もいないわね。……ちょっと!」
そして容赦なく俺のへっぴり腰をたたく。十万フルーレという大金の入った袋を担がされているのはもちろん俺だ。金貨だか何だか知らないが、やたらと重い。カードがないのはしょうがないが、せめて紙幣はないのか。
「ちょっと休もうぜ。俺はもう疲れた」
ぶつぶつと愚痴を言いながら袋を地面に置いた俺を、ヴィオレーヌは腰に手をあてたまま嘲るように見る。
「まったく。情けない家臣だこと」
「情けなくて結構。あんまり俺をあてにしないでくれよ」
「何て言いざまかしら。任務がうまくいったら、ちょっとは報いてあげようと思ってたのに」
「ちょっとって……。ヴィオレーヌさんは、俺に何をくれるのかな」
苦笑いしながら俺がたずねると、ヴィオレーヌは人差し指を顎にあてて斜め上を見上げた。
「そうね……」
「なんだ。考えてないのかよ」
「そんなことないわよ。そうだ」
ポンと手を打つようにパチンと瞬きをした彼女は、スカートのすそをつまんで一回転してから、その白い手を俺の肩においた。つんと鼻を上に向け、見下ろすような視線を俺に向けて、ちょっと気取った得意げな口調で言う。
「私が出世したら、あなたを執事にしてあげる」
俺はまた苦笑い。ドレスを着たヴィオレーヌの横で、ルミエールさんみたいに黒い制服で身を固めて髪をびしっとオールバックにきめたさえない顔の俺は、きっと滑稽だろうな。そんな絵もちょっと微笑ましくて、あるいは面白いかもしれないけれど、残念だがそれが実現することはないだろう。そのころ俺はきっと、元の世界に戻っているのだろうから。
「なあに。ご不満なの?」
ヴィオレーヌがまた腰に手をあてて、不満そうに頬を膨らませる。
「いや。そんなことないよ。それは面白そうだ。楽しみだよ」
そう答えてみると、自分の心のどこかに、本当にそれも悪くないという想いが灯っていることに気づいて、俺は少し動揺する。それはきっと、望んではいけないことだ。そんなシーンがこの世界にはないことを俺は知っている。ヴィオレーヌの家臣にタケルというキャラは本当はいない。俺の今の立場は仮のものなのだから。でも……。
「ちょっと。誰か、いる」
ヴィオレーヌの緊張した声で、俺は我に返った。
頭上からいくつかの違ったトーンの小鳥のさえずりが、重なりながら降ってくる。その弾むような掛け合いを、木々のさざめきが押し流してゆく。
風が弱まると、明らかな人の足音がきこえた。土や落ち葉を踏みしめる音。隠すつもりもない、無造作な、散歩でもしているようなのんきな足音。
俺とヴィオレーヌは身構えて周囲を見渡す。しかし誰の姿を見つけることもできない。
「山賊かしら」
「ひょっとして、獣だったりしてな」
「吾輩だよ」
声とともに突然背後の木陰から人の顔がひょこっとのぞいたので、俺たちは思わず悲鳴を上げて飛び上がった。そのとき図らずも抱き合いそうになって、俺の手がヴィオレーヌの胸に触れてしまったのはしょうがない。大体、あいつの胸が意外と大きいのがいけないんだ。そのつもりがないのにあたってしまう……というのは、見苦しい言い訳になるから言わないでおこう。
お約束のようにはたかれて、赤い手形のついた頬をさする俺に、木陰から姿を現したその男はいやらしく笑いかけた。
「久しぶりだね。いや、そうでもないか。早速だが、その金をもらおう」
そう言って気障な口髭をなでたのは、ジセンだった。
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