13 襲撃
ガーメルの手が今にもアニエスの胸に触れそうになる。彼は獲物を前にした蛇のようにいやらしく目を細め、舌なめずりをした。
奴め。ついに本性を現しやがったか。見た目通りのドスケベ野郎だ。
俺は集めておいた石を握り締め、腰を浮かせた。
「やっつけてやろうぜ、ヴィオレーヌ」
「よし。攻撃開始よ。家臣タケルは援護しなさい」
突撃を指示する将軍のように手を前方に向けて振り下ろしたヴィオレーヌは、自ら新聞を投げ捨てて駆けだした。手にはさっき渡した警棒型スタンガンを握っている。斬り込み役はヴィオレーヌ。俺は援護射撃。たった二人だけの軍隊。しかし、まぎれもなきヴィオレーヌの初陣だ。
俺たちのたてる喚き声にガーメルが気づき、何事かと振り返る。間髪を入れずに俺は、立て続けに二発、石を投げつけた。一発は腕に、もう一発は足に向けて。俺の手を離れた石は、弾丸のようにまっすぐ標的に襲い掛かり、狙いたがわず奴の右手首と左膝をしたたか打った。
ガーメルはうめき声をあげてその場に倒れ込む。そこにすかさずヴィオレーヌが襲いかかる。大きく振りかぶって、何をするのかと思ったら、せっかくのスタンガンを奴の頭に思いっきり振り下ろした。
「神よ。許したまえ!」
ぶつぶつと祈りの言葉を唱えながら、ヴィオレーヌは二撃三撃と追い打ちをかける。頭を抱えたガーメルの身体が、逃げ場を求めてゴロゴロと左右に転がる。
おいおい。使い方違うし。それにたたきすぎだ。たいがいにしておいて、こいつに罪を白状させないと、俺たちが犯罪者になってしまう。
俺はヴィオレーヌをとめるために慌てて彼女に駆け寄った。その間も彼女は黙々と、ただの棍棒と化したスタンガンをふるい続ける。
「許したまえ。許したまえ。許したまえ。ゆる……あれ?」
突然ピタリと彼女の手が止まった。
「どうした?」
「この人、髭が取れている」
よく見ると確かに、あの特徴的な顎鬚が取れている。それだけじゃない。眉毛も、髪の毛も、あるべき位置からずれていて、なんだか顔が変な方向に曲がっているように見えた。
俺たちは奴の顔からそっと眉や髭を取り除いてゆく。付け髭、付け眉だ。髪はかつらだった。こいつ、変装なんかしていやがったんだ。
それらのものがすべて取り払われたガーメルの顔を見て、俺とヴィオレーヌは思わず同時に声をあげた。
その男は、ジセンだった。
〇
「どういうことだ。お前が何でこんなことをしている」
「あなた。変態だったの?」
目を覚ましたジセンに俺とヴィオレーヌは矢継ぎばやに質問を浴びせかけた。なんで盗人のお前が、変装なんかして家庭教師に成りすまして、アニエスの胸を揉もうとしているんだ。
「おお。いてて。ひどいなあ、君たち」
そう言って頭をなでながら、ジセンはきょろきょろと周囲に視線をはしらせ、傍らのアニエスを見下ろした。そういえば、あれだけ騒いだのにアニエスはまだ寝ている。五人の兵士と二人のメイドも、いつの間にかそれぞれ林の入り口とお花畑で正体なく倒れていた。
「睡眠薬を、飲ませたんだ。ちょっと、その辺でも歩きながら話そうか」
そして、彼は彼のたくらみについて話してくれた。
* * *
まず断っておくが、吾輩は断じてアニエス嬢の胸を揉もうとしていたわけではない。これは名誉にかけて言わせてもらう。吾輩は、紳士だからな。
吾輩の目的は、アニエス嬢が身につけている首飾りだったのだ。あれは、何百年も前からモルガンの家に伝わるもので、まあ、ざっくり言えば、いいものなのだ。だから俺はその首飾りを盗んでやろうとした。
だが、どこにしまわれているかわからない。わかるのは、それはあの家の娘が晴れの舞台でのみ身につけるということだった。だから、吾輩は家庭教師としてアニエスの身辺にはりつくことにした。都で行われる舞踏会にでも同行できれば、その時に……と思ってね。
しかし、思ったよりも早く好機は訪れた。突然アニエス自身がピクニックにつけていくと言い出したのだ。こともあろうに、吾輩に見せびらかしたいと。きっと吾輩のあふれ出る誠実さと魅力が、彼女にそう言わせずにはおかなかったのだろう。この短期間で彼女にそこまで言わせてしまうとは。分かっていたが、己の力が我ながら恐ろしいよ。
……というわけで、このピクニックで吾輩は首飾りをいただこうと、皆の昼食に睡眠薬を混ぜたというわけなのだが……。
* * *
「君たちは昼のお茶を飲むふりをして飲んでいなかったか。まさか、君たちに見破られていたとは。恐れ入ったよ」
そう、大して恐れ入ったというふうもなく言ってジセンは、これだけは彼のものである口髭をなでた。
実際のところ奴の計画など見破ってもいないし、お茶は意地悪で飲ませてもらえなかっただけだ。別にほしいとも思っていなかったので口もつけていない。その他、話の中でいろいろ突っ込みたいところはあったが、とりあえず俺たちは黙って彼の話を聞いていた。ところでこいつの話し方はどうにかならんのか。などと思いながら。紳士だって? どさくさに紛れて胸も揉もうとしてたろ、絶対。
「まあ。いずれにせよ、お前を見逃すわけにはいかんな。俺たちは今、モルガンに仕えているんだ。お前をここで捕まえれば、大手柄だ。なあ、ヴィオレーヌ」
俺はちょっとだけ首を傾け、視線だけをヴィオレーヌに流した。一応許可を求めるように。この前は逃がそうとしたけれど、今回は捕まえるので異論はないよな。
それに対して、ヴィオレーヌは黙っている。春の柔らかな風がその黒い髪をなびかせて、彼女の頬を優しげになでる。頬にとどまった髪をはらうこともせず、彼女はじっと、足もとで揺れる草花を見つめている。
どういうわけか、ジセンの奴も、逃げ出そうとはしない。今なら、簡単にここから脱出することができるだろうに。眉根にしわを寄せて、まるで何かに耳を澄ませているようだ。その視線は次第に斜め上へと移動し、それから林の入口へと向けられた。
そして彼は、口を開いた。
「君たち。はやくここから逃げなさい」
どういうことだ? なんで俺たちが逃げねばならない。逃げるのはお前だろうに。
俺がきょとんとしていると、ヴィオレーヌも林の方を向いて身構えた。
「何か来る!」
ヴィオレーヌが鋭く叫んだところで、俺も気がついた。林の方から何かがきこえる。きこえるというか、とどろいている。足もとの地面が揺れるような、腹の底が細かく震えるような感覚。これには覚えがある。そうだ、前にジセンを捕まえた夜も遠くから鳴っていた。騒乱の振動。馬蹄が地面を踏み鳴らす音だ。
ようやく目覚めた兵士たちが、蜘蛛の子のように逃げ散りながら叫んでいた。
「山賊だ。西の山の山賊たちが攻めてきたぞ!」
彼らの言葉と同時に、林の枝々がざわめき、幹の間から馬が飛び出した。騎馬兵だ。次々に草原へと飛び込んできた彼らは全部で七騎。皆傷だらけの胸当てをつけ、汚れた兜をかぶっている。
彼らの馬を駆る技量が優れているということは、素人の俺でさえ何となくわかった。身を低くして、荒々しく身をうねらす馬と一体になったかのように動き、広い草原をまるで舞でも舞っているみたいに駆け巡る。馬たちが足を跳ねさせるたびに草や花が散り、砂煙が上がる。
やがて彼らのうちの一騎が、アニエスの横たわっている木立に駆け寄っていった。
しまった。と思っている間もなかった。
その騎兵は身を乗り出して地面すれすれに手を伸ばす。そしてさっそうとアニエスの身体をすくいあげ、林の中へと駆け込んだ。他の騎兵も彼の後を追い、その姿を次々と林に飲み込ませていく。
「あいつら。アニエスを……」
ようやく我に返って今さらながら駆けだそうとした俺たちの足元に、矢が刺さる。林から放たれたもののようだ。その矢には何やら紙が結びつけられていた。
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