12 家庭教師追い落とし作戦

 城門をくぐって城の内部に入ると、石畳の広場には数人の兵士に守られて一台の馬車が留まっていた。車輪や、車の屋根についた飾りが、朝の光を反射して誇らしげに輝いている。栗毛の馬が地面をかきながら眠たそうにいななき、御者が大あくびをする。人がまだ入っていない窓の向こうに、柔らかそうなピンク色のソファが見えた。


「あれは、アニエスの馬車よ。今日はピクニックの日なの。私は衣装係の見習いとしてそのお供を仰せつかった。あなたには、私の助手を務めてもらう」


 兵士たちに挨拶し馬車の脇を通り過ぎてから、ヴィオレーヌは歩きながら教えてくれた。

 その説明を聞いた俺は、少し拍子抜けした気持ちになる。

 衣装係の見習いの、そのまた助手かよ。俺なんか、いらないんじゃないか。

 俺の不平は表情に出てしまったらしい。ヴィオレーヌが俺の顔を見て、意地悪そうに口の端をゆがめた。


「ご不満?」

「まあ、な」

「与えられた仕事はきちんとしなさいよ。昨日は格好悪いところをみせちゃったみたいだから、今日は私の格好いいところを見せつけてあげる」


 なんだ。名誉挽回のつもりで俺を誘ったのか。つまり俺の前でいい格好してみせたいと。意外と単純な奴。

 俺が笑いをこらえていると、ヴィオレーヌに思いっきり腕をつねられた。


「いてて。おい。暴力はやめろよ」

「あんた、何か勘違いしていない。今日の本当の狙いは、あいつよ」


 玄関わきで立ち止まって、彼女は今出てきた男に道を開けた。馬車に向かって歩いていくその男を、目だけで指し示す。見覚えのある人物だった。白いコートを羽織って、顎髭を生やしていて……。あいつはたしか、昨日館のホールでぶつかった男だ。


「アニエスの家庭教師。ガーメルっていうの。あいつのせいで私は教師になれなかったのよ。試験は完ぺきだったのに。私は三カ国語しか話せないけど、あいつは八カ国語も話せるって……。でも、きっと出鱈目。だって、私が話しかけた時に答えられなかったもの。隣の国のライツ語よ。あとね、いろいろと怪しいの。目つきとか、態度とか。今日こそ化けの皮をはがしてやる」


 立場が違いすぎて今まではなかなか近づけなかった。しかし、今日はその絶好の機会なのだそうだ。

 胡散臭い教師の弱みを握って奴を追い落とし、かわって家庭教師の座を射止める。それが今日の彼女の計画だった。


 おお。ようやくヴィオレーヌらしいじゃないか。


「よし。そういうことなら協力するぜ」


 彼女の背中を押すように、俺は言ってやる。昨日のガーメルの態度を思い出しながら。人を嘲り見下すようないけすかない態度。俺もあいつのことは気に食わないんだ。徹底的にやっつけてやれ!


     〇


 アニエスと家庭教師ガーメルを乗せた馬車、それを守る五人の兵士、そして二人の衣装係とヴィオレーヌと俺の一行は、湖岸の道を通って、村の南西にある低い丘へと向かった。


 静かにさざめく林を抜けると、広い野原に出た。ところどころに白や黄色の小さな花が群れて咲いている。その向こうに、白い無数の光を散らして輝く湖が見えた。森の緑を背にしたモルガンの城が、湖上のきらめきの奥に幻のようにうかんでいた。湖から渡ってくる暖かい風は清涼感があって、微かに甘い香りがするように思えた。そういえば、今まで季節について考えたりしなかったが、風のあたたかさや、木の葉の色や、花があんなふうに咲いているところをみると、きっと今は春なんだろう。


「うーん。今日は湖がきれい。風も気持ちいいし。やっぱり春はいいわね」

「おい。くつろいでいるなよ。計画はどうした」


 大きく息を吸いながら伸びをするヴィオレーヌに、俺は小声で喝を入れる。確かに今日はピクニック日和で、野原に寝転んでいたい気分だが、俺たちはそれをしている場合じゃない。この陽気にガーメルの奴が油断して、しっぽを出したところをとっちめるんだろ。俺たちが油断してどうする。


「おい、新人! 何やってる。はやくこっち来て手伝いなさい!」


 甲高い声がのどかな空気を裂いた。びっくりして振り向くと、先輩メイドが険しい顔でこちらを睨みつけている。

 おお、怖っ。そういえば、衣装係の見習いってことは、つまりはこいつらの監視下にあるってことじゃないか。大丈夫か。こんなことでガーメルたちの監視なんてできるのかよ。

 俺はその懸念を込めてヴィオレーヌの顔を見るが、彼女は余裕そうな表情で、二人の先輩にペコペコ頭を下げていた。


「すみませーん。せんぱぁ~い。今日はよろしくおねがいしまーす」


 使い慣れない猫なで声なんか出して。ゴマでもすりだしそうな低姿勢で。気持ち悪っ! 自分じゃ気づいていないだろうが、笑顔がひきつってるぞ。


     〇


 野原で昼食をとった後は、読書の時間となった。

 もちろん本を読むのはアニエスだけである。野原の中ほどにある木立の木陰にシートを敷いて。行儀よく膝の上にのせた本を眺めているが、時々顔をあげてはあくびをする。その傍らにはガーメルが寄り添うように座り、時々話しかけたり質問に答えたりする。


 ほかの連中はめいめい自由に行動していた。

 兵士たちは林の入り口で馬の世話をしているし、一方で二人のメイドは花摘みに夢中になっていた。どちらもアニエスのいる木立からはずいぶん離れている。律儀に待機場所にいるのは俺たちだけだ。


「結局は、私に仕事を押し付けるのよ。あの人たちは」


 衣装ケースにさっきアニエスから投げ渡された上着をたたんで押し込みながら、ヴィオレーヌはつぶやいた。


「だから、メイドたちは気にしなくて大丈夫よ。みてなさい。今にみんな私の前に這いつくばらせてやるんだから」


 そしてエプロンのポケットから雑誌みたいな紙の束を取り出して眺めだした。古紙のような質の悪い紙面にこまごまとした字が並び、挿絵が描かれている。


「何してるんだ」

「私も暇だから新聞でも読んでる。あなたは監視を続けて」

「へー。新聞なんてあるんだ」


 そう言いながら俺はさっそく言いつけを破り、興味のままにその紙面を覗き込む。そして、その挿絵を見て、思わず息を飲み込んだ。そこに描かれている女の人の絵が、クラリスにそっくりだったからだ。


「ちょっと。ちゃんと監視してなさいよ」

「その絵の女の人って……」

「ああ、この人? この人は最近話題になっている女の子で……」


 俺の予想は的中した。その女の子はクラリスだった。ヴィオレーヌの説明によると、今、都で評判なのだそうだ。ある大金持ちの娘なのだが、貧しいものに施しをしたり、街頭で演説をしたりして話題を集めている。その容姿の良さと人柄から、聖女などと呼ばれ、多くの人気を集めているらしい。記事は、そんな彼女が男爵に叙されたというものだった。


「結局は、お金と顔でしょ。いいわね。みんな持っていて」


 ヴィオレーヌは吐き捨てるように憎まれ口をたたいた。しかし不思議なことに、挿絵を見つめる彼女の目は、まぶしそうに細められていた。どこまでも青く澄んだ空を見上げるように。春風に揺れる湖上のきらめきを愛でるかのように。


 意外だな。と、俺は思う。まるでヴィオレーヌはクラリスにあこがれているみたいだ。そりゃあ、この世界のヒロインなんだから、ずるいくらいに魅力的なのは当たり前だけど、ヴィオレーヌは彼女のことを嫌いじゃなければならないと、何となく思っていたのに。


「ちょっと。ボケっとしてないで、ちゃんと監視しなさいよ」


 ヴィオレーヌの叱責で、俺は我に返った。そうだ。今はクラリスのことはいい。まだその段階じゃない。目の前のことに集中しなくては。


 みると、まだアニエスは本を読んでいる。あるいは読むふりをしている。その隣でガーメルはおとなしく膝を抱えて座っている。


「すまん。大丈夫。異常なしだ」

「なかなかしっぽを出さないわね」

「そのそぶりもないな。そもそも、お前はどんなところを怪しいと思ったんだ」

「あいつの視線と目つきよ」


 フンとひとつ息を鼻からはいて彼女は答えた。


「あいつ。いつもアニエスのおっぱいを見てるの。いやらしい目つきで。みんな気づいていないみたいだけど、私の目は騙せないわ。きっと今日は人の目を盗んで変なことしようとするに違いない」

「変なことって、何だよ」

「私の口から言わせないでよ。男ならわかるでしょ。あんなことやこんなこと。ううー。許せない」


 ヴィオレーヌの鼻息はますます荒くなる。心なし頬が紅くなっているような気もする。おいおい、何を想像してるんだこの娘は。実はむっつりスケベだったのか。

 高まるヴィオレーヌの興奮に反し、俺の期待は少しずつしぼんでいった。

 ひょっとしたら今日の計画は不発かもしれない。これは、みんなヴィオレーヌの妄想だけで終わる可能性もあるな。


「そうだ。今のうちに武器を渡しておこう」

「え。それなら、木の棒があるけど」

「それより効果的なやつだ」


 そう言って俺は懐から棒型スタンガンを取り出してヴィオレーヌに渡す。


「何。これ?」

「俺の秘密兵器その二さ」

「どうやって使うの?」


 首をかしげて瞬きする彼女の右手をとり、スタンガンを正しく握らせて、俺は簡単に説明する。


「棒のこの先の部分を相手にあててだな。持ち手側のこのスイッチを押す。すると電気が流れて敵の動きを封じることができるから不思議だ」


 今日は使う機会はないかもしれないがな。

 そう言いかけてアニエスの方を向いたとき、変化がおこった。

 アニエスが舟をこぎはじめたのである。本を読んでいるうちに睡魔に襲われたようだ。やがてその首がガックリと垂れ、膝から本が落ちた。ガーメルは彼女をおこそうとはしない。落ちた本をそっとどけて、彼女の身体ををシートの上に横にする。じっと彼女の様子をうかがい、そしてきょろきょろと周囲を見渡した。


 俺たちは慌てて新聞を読みふけるふりをする。


 紙で顔を隠し、視線だけガーメルの方に向ける。

 安全と悟ったのか、やがて、ガーメルの腕がゆっくりと動いた。そして、鷲のそれのようにかぎ型に五指を開いたその手が、震えながらアニエスの胸へと延びていった。

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