10 メイド・ヴィオレーヌ①
「どう? 似合うでしょ」
そう言ってヴィオレーヌは、新しい服のスカートのすそをつまみ上げ、くるりと回ってみせた。
窓から差し込む朝の光が、深緑色の布地の上を走る。
スカートの裾や襟や袖口にフリルのついた、木綿のドレス。腰にはリボンがついている。決して高い代物ではないが、それを身にまとったヴィオレーヌは珍しく嬉しそうだ。頬に笑みなんか浮かべてスカートに視線を落としながらもう一回転する。そして俺にまた問いかける、その声はピクニックに行くみたいに弾んでいる。
「ねえねえ。似合っているよね」
そう言って上目づかいに俺を見る。その長いまつ毛に挟まれたエメラルドグリーンの瞳とまともに目が合って、俺は思わずドキリとする。
「ああ、似合う似合う。それより早く家を出ないと仕事に遅刻するぞ」
そう言って俺は追い立てるように彼女を部屋から出した。
〇
あの日ハチを倒して採った精力増強剤は、ヴィオレーヌの言った通り、金持ち連中に高い値で売れた。それを売りまくって大金を手に入れ、その金でヴィオレーヌは新しいドレスを手に入れたのだ。
それだけではない、結果逃がしはしたものの、ジセンを捕縛した彼女の(本当は俺だが)武勇伝はちょっとした話題になった。そうは見えなかったが、あの気障ったい男は実はけっこう有名な泥棒だったらしい。何でも巷では怪盗紳士とか呼ばれているとかなんとか。本当かよ。
それはともかく、その金とちょっと名を売ったおかげで、彼女は新しい仕事にありつくことができた。
このブルジヨン村の領主の城でのお勤めだ。
そして俺は彼女の行きかえりのお供を仰せつかったのである。
〇
「どうだよ。城勤めは慣れたか」
今日はいい天気だ。城に通うようになって五日目だが、今まで雨でもったいないからと着れなかったドレスをようやく身につけることができて、ヴィオレーヌはご満悦の表情で歩いている。スキップでもしそうな勢いだ。その雰囲気にほだされて、この数日は胸の奥に潜ませておいた愛想を、久しぶりに俺も見せる気になった。
「別に。普通だよ」
「いじめられてないか」
「ちょっと。馬鹿にしないでよ。言ったでしょ。私、メイドの中でも特別なんだから」
「城主の娘の教師だっけ」
「そう。まあ、できの悪い子で大変だけど、充実してるわ」
ヴィオレーヌの話によると、彼女は領主の娘、アニエスの家庭教師に抜擢されたのだそうな。この家庭教師というのは重要な役職らしく、勉強を教えるのはもちろんアニエスの相談役になったり、外出時はお供をしたりするのだという。ヴィオレーヌに務まるのかよと思ったが、十三歳のアニエスには、ヴィオレーヌくらいの年頃の娘がちょうどいいのだとか。従業員というよりは友達のような立場なのだということだった。
まあ、充実した生活を送っているのはいいことだ。おかげで昼間はこのヴィオレーヌからこき使われないで済む。
そんなことを考えているうちに、村の南東にある領主の城がみえてきた。
領主モルガンの城は、湖のほとりにたたずむ、石造りの要塞みたいな建物だ。人の背丈の二倍程度の城壁に囲まれ、その四つの角に円柱形の櫓がそびえている。
正面の城門の前には二人の衛兵が立っていて、そこで俺たちは呼び止められた。
「ああ。新入りのメイドか。入っていいよ」
衛兵はあくびをしながらすんなり通してくれる。そんなんで大丈夫なのかよ、とも思うが、そんなもんなんだろう。ヴィオレーヌはどこから見てもヴィオレーヌだし。確かに怪しい者じゃないと一目でわかる。
「じゃあ、また。いつもの時刻に迎えに来なさい」
ヴィオレーヌはつんと鼻を上に向けて偉そうにそう言ってから、開いた扉の向こうに姿を消した。
俺は彼女がもう見ていないことを確かめてから、舌ベロを出して応えてやり、すっきりとした気持ちで踵を返した。
〇
ヴィオレーヌが城で働いている昼の間、俺は道具屋で店番をしている。ミシェルさんが訪問販売をしたり市に売り出しに行ったりする、その間の留守番だ。今まではヴィオレーヌがやっていたことだが、俺が暇なので引き受けた。
はっきりいって、ミシェルさんの道具屋は暇な店だ。そもそも、この村自体そんなに栄えてはいない。客などあんまり来ないから、コミュ障の俺でもなんとか留守が務まる。ヴィオレーヌと一緒に薬草を売り歩いたおかげで、村の人々からも何となく認識されたようだし。
「ただいま、帰りました」
店に戻ってきたミシェルさんが、汗を拭きながら馬鹿丁寧にあいさつをしてくれた。彼はいまだに俺のことを天使と思っている。最初は誤解を解こうと試みたのだが、今はもうあきらめて、天使でいいやということにした。一応異世界出身だし、何となく未来のことも知ってるから、あながち間違いでもあるまい。
「お疲れ様ですミシェルさん。じゃあ、俺は上で休んでますね」
天使からは程遠い風貌に精一杯の笑みを浮かべて、俺はカウンターから離れた。
腕をあげて大きく伸びをしながら階段をのぼる。今日はあとは何をしようか。ヴィオレーヌの迎えに行くまではすることもない。
好きなだけ寝ていられる。などと喜んでいられたのは三日ぐらいだ。することがなさすぎる。テレビもゲームも漫画もない。働いてでもいないと暇すぎて死んでしまう。あるいは腐って溶けてしまいそうだ。何と恐ろしい世界だろう。
……というわけで、晴れてもいることだし、俺はヴィオレーヌの部屋の掃除でもしてやろうと思いたつ。ついでに本棚も整理しといてやるか。何と気の利く家来だこと。そしてあいつが帰ってきたら、ピカピカになった部屋を恩着せがましく披露してやるとしよう。しかし、果たして俺は、こんなことをしていていいのだろうか。
ヴィオレーヌの部屋に入って、すぐに俺は違和感を覚えた。
何かが違う。
俺の視線は机にとまる。そうだ。机だ。いつも本が山積みになっているヴィオレーヌの机の上に、本以外のものが置いてある。なんだろう、あの包みは……。
その瞬間俺は思い出す。大事なことを。新しいドレスに気を取られてすっかり忘れていた。
お弁当!
俺はその包みをひっつかんで部屋から飛び出し階段を駆け下りる。俺はお母さんかよ! そう、ひとりで突っ込みながら。こんなことでヴィオレーヌは本当に宰相の養女になれるのか。前途は多難だな。
そして俺は、うかつに城に行ってしまったことを、ほどなく後悔することになる。
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