8 怪盗ジセン②

 ライトに照らし出されたのは気障ったい髭を生やした長身の男だった。

「うっ。何だこれは。何も見えない」

 男は手をかざして顔をかばい、背後に飛びのこうとする。しかし後ろにあった棚にしたたか背を打って床に倒れ込んだ。その衝撃で棚に並べられていた鍋や大皿などがばらばらと落ち、男の肩や背中に追い打ちをかけた。


 男は両手で目を抑えながら床を転げ、叫ぶ。


「目が! 目がぁ~」


 どこかで聴いたようなセリフだ。しかし今はそんな感慨に浸っている暇はない。はやくふん縛ってしまわないと。その前にランプだ。ライトを照射し続けるのはもったいない。電池の消費が気になる。

「ヴィオレーヌ。ランプに灯を」

 反応がない。振り返ってみると、ライトに照らし出された空間を茫然と眺めわたしている。

「ヴィオレーヌ。ランプ」

 もう一度呼びかけてようやく、彼女はハッとしたように動き出した。


 ランプの中に小さな赤い火が点る。それと同時に俺はライトのスイッチをOFFにする。小屋の中の明るさは急速にしぼみ、ランプの周囲を照らす柔らかい光を残してあとは闇に沈んだ。

 傍らにランプを置いて、ぐったりとしている男の体を起こそうとすると、その懐から何かが落ちて明かりに照らし出された。見覚えのある小箱だ。桔梗の紋章の刻印された化粧箱。あの化粧箱だ。こいつが、盗人だったのか。


     〇


「驚いたわ。さっきのアレは、魔法?」


 男を縛り上げて一息ついたとき、ヴィオレーヌが新種の動物でも見るような目で俺を見ながら言った。


「使える人もいるってきいたことはあるけど、見るのは初めて」

「残念ながら、魔法じゃないよ。今のはライトという道具で、ざっくり言うとランプのものすごい進化版だ。だけど使用限度がある。だからめったなことでは使いたくない」


 それよりも、今はこいつに訊きたいことがいろいろある。一体どうやってあの部屋に忍び込んであの小箱を盗み、どうやって逃げ出したのか。

 まだ、戦闘の響きは遠くで流れつづけている。俺は戦況を気にしつつも、男の頬を軽くたたいてやった。


「ぐぬ。いてて……」


 目を覚ました男は周囲を見渡してから身体を動かそうとして、そしてそれが叶わぬことに気づき、ため息をついた。そして顔だけをめぐらし、俺たちの姿を認めると、がっくりと首を垂れた。


「捕まったのか、吾輩は」

「そうよ。あなたは捕まったの。私たちの大事な小箱を盗んで。許せない。領主様に突き出してやるから、覚悟なさい」


 感情を抑えているけれど、ヴィオレーヌの声は冷たい。それはそうだろう。戻ってきたとはいえ大事な母の形見を盗まれたんだ。ちょっと痛めつけたぐらいで怒りが収まるわけがない。ミシェルさんもさっきから黙り込んでいる。

 その空気を察したのか、盗人は神妙な顔で居住まいを正した。そして意外なことを言った。


「あなた方が、小箱の持ち主でしたか。それは良かった。実は、返そうと思っていたんです」


 俺の中の疑問がますます深まる。どういうことだ。こいつは何者だ。なぜ盗んだ。どうやって盗んだ。どうして、返そうと思うんだ。

 ヴィオレーヌも同じようなことを感じていたらしい。鼻息を荒くしながら盗人に人差し指を向け、乱暴な口調でたずねた。


「どういうことなの。全て白状しなさい。でないと、さっきのやつをまたお見舞いするんだから」


     〇


 男の名はジセンといった。

 彼が道具屋を訪れたのは盗み目的ではなかった。はじめはただ客として店に入ったのだが、しかしそこであるものを見て、盗みを決行することにしたのだそうな。

 そのあるものとはミシェルさんの指にはめられた、桔梗の紋の刻印された指輪だった。

 彼はその紋に見覚えがあると思った。都のある貴族の紋章に似ている気がしたのだ。


 この道具屋は貴族にゆかりのある店か。ならば、ひとつ何か盗んでやろう。


 まず彼はミシェルさんに店に並んでいない商品の所在を訊ねた。ミシェルさんが倉庫に行っている隙に住居部分に忍び込む。そしてヴィオレーヌの母の部屋を物色し、あの小箱を見つけて懐に入れたのだった。


 家から出ていくのも正面からだった。小箱を盗んでからは家の中に身をひそめ、脱出するチャンスをうかがっていたのだ。そしてミシェルさんが森の入り口までヴィオレーヌを迎えに行ったときに、正面から堂々と出ていった。


 しかし彼には心に引っかかっていたことがあった。どうもあの家は豊かではなさそうだった。ひょっとして貴族とつながりがあるというのは、自分の勘違いだったのではないだろうか。気になって小箱を開け、彼は自分の過ちに気づいた。その中に入っていたのは、干からびた紅さしと筆が一本だけだったから。


 それは彼の主義に反することだった。彼は貧しい者からは盗まない。その標的は常に金持ちや貴族だったのだ。


     〇


「すぐに引き返そうとしたが、戦がはじまってしまった。戦闘に巻き込まれるのを避けるためこの小屋に隠れていたところを、このとおり捕縛されてしまったというわけだ」


 ジセンが話し終わると、静寂が小屋の中に戻った。いつの間にか地面のとどろきはとまっている。戦闘の騒音もやんでいて、代わりに万歳の声が小さく、波がよせるように闇をゆらしていた。


「さあ、それでは、城に連れて行こうか」


 ミシェルさんが、重い腰を上げるような口調で言う。それをとめたのはヴィオレーヌである。


「待って。私は、この男を、逃がしてあげたいと思う」


 沈黙が、再び降りる。


「どうして」


 しばらくしてから、ミシェルさんが短い問いを発する。ヴィオレーヌはそれに間髪を入れず答える。億劫そうなミシェルさんの口調に対して、ヴィオレーヌのそれは軽い。


「この男は義賊よ。いい人だわ。役人に引き渡すなんてもったいない。私の家来にしたい」

「また、馬鹿なことを……」

「でも、都のことも知ってそうだし。色々話を聞きたい。気になることも言ってたじゃない。お母さんの紋章を、貴族のそれに似てるって。ひょっとしたら私のご先祖さまって……」

「貴族なんか、関係ない!」


 ミシェルさんの声があまりにも激しかったので、俺は思わず彼の顔を見た。彼はくたびれたように背を曲げて、床の一点を見つめている。その表情は岩のように固まっていて、あの優しいミシェルさんのそれとは思えなかった。

 意外な父の剣幕に、さすがのヴィオレーヌも黙り込んでしまった。気まずい空気が流れれる。


「でも……」


 ヴィオレーヌは訴えるようにミシェルさんを見つめ、そして顔をそらして伏せる。しばらく考え込む様子を見せてから、小さな声でつぶやいた。


「せめて、引き渡しは明日にしましょう。今日は、混乱しているから」


 そして立ち上がり、小屋の戸を開けた。開いた戸の向こうには夜の闇が広がっていて、湿り気と冷気と土の香りを含んだ空気が流れ込んでくる。その空気と一緒に、祭りのようなにぎやかな弾んだ声が押し寄せる。


「どうやら、戦いに勝ったようね。家に戻りましょう」


 そしてヴィオレーヌは小屋から出ていった。


     〇


 ジセンは物置小屋に縛り付けておいて、俺とヴィオレーヌとミシェルさんは道具屋へと戻った。

 やっと寝ることができる。

 俺はヴィオレーヌの母の部屋でベッドに横たわり、安堵の大あくびをしながら今日のことを振り返った。ヴィオレーヌに森を連れまわされてハチと戦って、薬草を採って、盗人を捕まえて……。いろいろと忙しい一日だった。こんな日が毎日続くのだろうか。それを考えただけでうんざりする。どうか明日からは平和な日々が送れますように……。


 布団をかぶり、目を閉じた、その時である。

 部屋の戸を叩く音で、俺のわずかな安らぎの時間は終わりを告げた。


「タケル。入るわよ」


 俺の返事を待たずに部屋に入ってきたヴィオレーヌは、勢い良く俺の布団を引っぺがした。


「小屋に戻るわよ。ジセンを逃がすの」

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